第8節 昼休み追走曲 Ⅲ.

 

「まったく……」


 どこだかのトイレの個室。

 ズボンを下ろした軛殯くびきもがり康峰は大きく嘆息した。

 ここまで学園祭が大変なものとは。いや、この鴉羽学園で学園祭をやることが大変だとは、と言うべきか。

 指導員なんて人柱同然の役割を安請け合いしたのを今更ながら後悔する。今日だけで寿命が半分減った気分だ。

 とはいえ——

 脳裏に生徒たちの声が蘇る。


『あっ、キモガリ! ちょうどいいとこ来た。これどう思う?』

『先生も言ってやってよー、あんなのルール違反だよね、ね?』


 自分を見つけて声を掛けてくる生徒。

 愚痴にせよ冗談にせよ、自分を「先生」と見なして話しかけてくる生徒たちの元気な声と顔を思い起こすと、どこかくすぐったい気持ちになった。

「勝手な奴らだよ、本当……」

 まぁ、学園祭ももう折り返しだ。

 もう少しくらい付き合ってもいいだろう。

 ——基本的に鍋島村雲に押し付けながら。



「あっ、先生いた!」

 トイレを出た途端、女子生徒の甲高い声が康峰を刺した。

 一気に嫌な予感がシャワーのように押し寄せてくる。さっき一新した気持ちが嘘のように霧散した。

「……何だ?」

「大変なの、校舎内に禍鵺マガネが出たって!」

「なにぃ?」

 それが真実だとすれば相当大変だ。学園祭どころでなくなる。

 しかし——

「本当か?」

「うん。とにかく急いで、こっちこっち」

「お、おいよせ、引っ張るな。ごほぉっ」

 抵抗も空しく、女子生徒に引き摺られて廊下を歩いた。



 辿り着いた女子トイレの前には人だかりができている。主に女子だが、その集まりを見て何事かと男子も集まりつつあった。

 トイレを覗き込んだり小声で話し合ったりしている。

 見るとそのなかに鍋島村雲のうすらでかい図体もあった。

「なんだ鍋島、お前も呼ばれたのか?」

「う、うむ」

「禍鵺が出たって?」

「ああ、まあ」

 村雲はこっちと視線を合わせない。受け答えも曖昧だ。


 どうも妙だ。

 村雲は禍鵺との戦いに慣れている。禍鵺が出たなら何故トイレの前で突っ立ってる?

 そもそも禍鵺出現時には濃い霧が出るが、それもない。生徒たちにも緊迫した空気はない。

 最初声を掛けられたときから感じていた違和感が益々強くなった。


「ねぇ先生お願い、ちょっと見てぇ」

「あのな、キッチンに害虫が出たのとワケが違うんだぞ。俺に退治できる昆虫より大きな生物はカカポとドードーぐらいだ、そんな男を化物退治に向かわせる気か?」

「見てくるだけでいいから。先生しか頼れないの。おねがぁい」

 女子生徒が両手を合わせ、腰をくねらせて言う。

 しばらく渋い顔をしたあと、仕方なく言った。

「……分かったよ。見るだけな」

「わぁ、先生頼りになるぅ」

「墓前は犬の散歩コースにしないでくれよ」

「見るだけだってば」

 渋々康峰は女子トイレに足を踏み入れた。


 生徒たちが固唾を呑んで見守るなか、唯一閉じられた個室の扉の前に立つ。

「あー、もしもし」

 扉に向かってひとまず声を掛けた。

 返答はない。だがかすかに衣擦れのような音がする。

 仕方ない。扉を開けようとしたとき、


「ヴヴヴヴヴォォォーッ!」


 迫真の絶叫とともに向こうから扉が開かれた。

 黒い何かが覆いかぶさってくる。

 背中に伸びた蝙蝠のような羽根。

 頭部から突き出た角。

 そして白い仮面。

 なかなかよく出来た『禍鵺』だ。

——声はかなり嘘くさいが。


「…………」

「あれ、先生驚いてなくない?」

「だから言ったっしょ。あんたの演技じゃ駄目だって」

 ぞろぞろと外の生徒が入ってきた。

「まぁ、そんなことだろうと思ったよ」

「よく出来てるでしょ? ここの紐を引っ張ると羽根が動くんだよ!」

 嬉しそうに衣装の仕掛けを見せながら禍鵺役の少女が言った。

 確かによく出来ている。夜道でなら本物と思うかもしれない。

「よく作ったな」

新橋しんばし久雨くれいんさんが協力してくれたんだよ」

「あの天才か……」

 彼女は偽物の禍鵺、《擬禍鵺マガノイド》なんてものを開発していた。このくらいの仮装セットを作るのはわけないのだろう。

 にしてもろくでもない悪知恵を入れたものだ。

 まぁ、あの子の性格ならさっきの自分みたいに頼まれて断れなかったのだろう。


「で、何も知らない生徒を招いては脅かしてたってことか?」

「ててーん、ドッキリ大成功☆」

「遅いよ。それに俺は驚いてないぞ。大失敗だ」

「えーノリ悪ぅ。鍋島君は腰抜かしてくれたのに」

「い、いや俺は足を滑らせただけで!」

「お前らなぁ……」

 康峰は女子生徒たちに向き直った。

「こんな企画は中止だ中止。怪我人が出かねない。即刻やめろ」

 ええっ、という抗議の声が一斉に上がる。


「おいセンセー、さっきからソレばっかじゃねえか! 俺たちから学園祭を取り上げるつもりか?」

 後ろで見ていた男子生徒から思いのほか強いクレームが上がった。

「いや別にそんなつもりは……」

「そうだそうだ!」

「横暴! 圧政!」

「陰険! 貧弱!」

 ここぞとばかりにクレームの嵐が吹き荒れた。

 まずい。やむを得ない事情もあるとはいえ、確かに権力を振りかざし過ぎたかもしれない。

 このままでは生徒の不満が噴出する。


 そのとき、不意に懐の無線に連絡が入った。

 生徒たちに背を向け無線に出る。

『先生、早く来てください!』

 聞き覚えのある生徒会の男子の声だ。

「今度は何だ?」

『とにかく大変なんです! 元会長がご乱心で、半魚人が暴れてて……』

「よし分かった、すぐ向かう」

 何を言っているのかさっぱり分からなかったが構わない。この場を切り抜ける口実ができた。無線を切り村雲の肩を叩く。

「悪いが俺は行かねばならん。ここは任せたぞ、鍋島君!」

「ええっ⁉ 俺に押し付ける気か、教官⁉」

「とにかくうまくやってくれ。頼んだ!」


 村雲の抗議を背に、康峰は走り出した。


***


「よぉ会長、あんたの捜し物ッてヤツぁ捕まえたぜ」

 馬更ばさら竜巻は無線機で紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺に連絡した。

 ここは空き教室。

 廊下であっさり捕まえた少女をここに連れ込んだ。

 幼い少女は泣きそうな顔できょろきょろ見回している。

 訓練を積んだ屈強な男子生徒に囲まれているのだから無理もない。


「……あの、馬更先輩。この絵面マズくないですか?」

「何が?」

 竜巻は何のことか分からないふうに言う。

「ゴチャゴチャワケの分かんねぇこと言ってんじゃねぇ。それよりしっかり捕まえてろよ」

「は、はぁ」


「わ、この子かわいー」

 男たちに混じって紅一点の早颪さおろし夢猫むねこが言った。

 少女を後ろから抱き締める。

「ひぇっ」

「怖くないよー。あっ、ちょっとクローネ似てるかも? ねー名前なんて言うの?」

「……た、珠萌たまも……」

「タマちゃんね。あたしは夢猫。宜しくね~」

 少女はぺたぺた触ってくる夢猫に怯えた目を向けた。

 ある意味男子生徒以上に怖がられている。


「オイ会長、聞こえねぇか?」

『馬更か? すぐ行く、場所を教えてくれ!』

 竜巻は部屋の場所を伝えた。

『もう逃げないように注意してくれ。見た目より余程すばしっこいからな』

「そりゃ分かってるけどよ、ホントにこれがあんたの大事なモンなのか?」

『それは……まぁその、そういうことだ』

 紗綺の歯切れは悪い。


「ちなみに名前は?」

『実はまだないんだ』

「本人は『タマ』って言ってんぞ?」

『は、話せるのか⁉』

 異様に驚く。

 まぁ確かに竜巻には怯えて口も利かなかったが。そこまで驚くことなのか。

『と、とにかく踏み潰さないよう注意してくれ』

「踏み潰さねぇよ。鍋島のデカブツじゃねーんだから」

「鍋島君でも無理でしょー」

 夢猫が横からツッコむ。

『それと、ちゃんと檻には入れてくれたか?』

「何だって? 檻?」

『ああ』

「あんたは入れてたのか?」

『私もよく知らないが、普通はみんな家でそうしてるらしいぞ』

「マジかよ?」


 そんなことを話していると、教室の扉がノックされた。

「会長?」

 生徒のひとりが扉に駆け寄る。

 引き開けようとした、そのとき——

 向こうから扉が吹き飛び、生徒を下敷きにした。何者かが力任せに扉を蹴り破ったのだ。


「ひぅっ」

「な、何だ⁉」


 少女の声と男子生徒たちの声が共鳴した。一斉に身構える。

 扉の向こうから『そいつ』が姿を現す。

 身構えていた生徒たちは唖然とした。

 首から下は純白のスーツを着たまともな人間だが。

 頭部は魚の被り物で顔を隠している。ぎょろりとした巨大な目がこっちを睨む。

「……半魚人?」

 誰かが言った。


 巨大な魚の口の奥から男の声がした。

「その子を放せ」

「は?」

「まさかお前らが子供を誘拐するとはな。見損なったぜ」


「いきなり出てきて勝手に見損なってんじゃねぇぞこの魚人! ぁあ⁉ てめぇこそイワシの切り身にして身を損なわせてやろうか!」

 馬更竜巻が地面を蹴って男に飛び掛かった。

 躱す半魚人。

 身を捻って反撃に出る。

 ふざけた恰好をしているが尋常の身のこなしではない。竜巻と互角に渡り合えている。学園内でもトップクラスの実力者である彼とこれだけ戦える奴はそういない。


 はっとして生徒が言った。

「た、大変だ! 早く止め……ってあれ、早颪さん?」

 夢猫は寝ていた。

「あっ、あの子がいない!」


 いつの間にか眠った夢猫の腕から脱して、珠萌は廊下に逃げ出していた。

 

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