第7節 昼休み追走曲 Ⅱ.
「……百物語?」
南校舎三階、胸倉を引っ張って連れ込まれた教室で。
沙垣先達は言った。
「うむ、そうじゃ。我々は島外一週間とか競争とかアイドルとか興味はない。それより島で撮れた心霊写真とか怪談とかそういうのが好きな者の集まりじゃ」
「はぁ。で、百物語をしようと?」
「うむ。折角の学園祭じゃしな」
集まりの代表らしい男子生徒が眼鏡を光らせて言う。
喋り方のクセが強い。
彼の額は汗でびっしょり濡れている。他の生徒たちも似たようなものだ。この短時間で先達も汗が浮かんできた。
無理もない。
まともにクーラーも利かない教室で閉め切って、しかも蝋燭を並べようとしていたのだ。教室の外まで熱気が漏れてた。
「で、床を焦がしたわけですか?」
「うぅむ、蝋燭を百本並べるのがここまで大変とは……失策じゃ。てか百本は普通に無理では? じゃ」
並べてる途中で蝋燭を倒し、床が焦げ、あわや十数人が幽霊になるところを慌てて消火していたらしい。踊っているように見えたのはその所為だ。
確かに素人が思いつきでやることじゃない。
——ある意味レジスタンスより危険だったな……
「頼む、ボヤのことは黙っておいてくれぬか? 元からこんな内装だったと言い張ればバレぬはずじゃ」
「本当にバレませんかね……」
「ところで君、どうしてここに来たの?」
傍にいた小柄な少女が会話に割り込んだ。
ローブに覆われ白い肌と口元以外はほとんど見えない。
「僕は……」
——そうだ。
逃げるならいまじゃないか?
このまま事態を
意を決した先達は彼らに叫んだ。
「じ、実は悪い連中に追われてるんです! 助けてください!」
それから数分後。
「い、行くぞみんな! 同志沙垣先達の無念を晴らせ!」
漆九条の号令とともに生徒が教室に突撃する。
先達がいつまで待っても帰って来ないので教室の連中をレジスタンスと決めつけたらしい。
豪快に硝子を割り、暗幕を突き破って生徒会が教室に殺到した。
「うわっ! ホントに来やがったぞ!」
「ああっ、そこは蝋燭が……」
「沙垣君! 沙垣君は無事?」
「げぇっ、何だこいつら、サバトか⁉」
「お主ら何じゃ……って痛い痛い! やめて!」
やかましい声が狭い教室にこだまする。
それを尻目に——
「こっちこっち」
先達はさっきの小柄な少女に案内され、窓の外の足場に出ていた。
踵から爪先までを乗せるのがやっとの足場だ。しかも三階。下を見ると竦みそうにはなるけれど、先達だって訓練を受けた生徒だ。このくらいなら歩ける。
「ほら、早く早く♪」
少女のほうはぴょんぴょんと隣の教室の外まで跳ぶ。見てるこっちが心配だ。
急いで先達も続く。
やがてふたつ隣の教室まで来ると、窓を開けて教室に入った。
幸い誰もいない。物置に使われている部屋だ。
しかし用心するようにカーテンの内側に隠れた。先達もその隣に来る。
どきりとした。
少女の息が近い。
今更ながら、見知らぬ女の子とふたりきりになった妙な展開に動揺する。
「あ、ありがとう、逃げるの手伝ってくれて……」
「あはっ、だってこっちのほうが楽しそうだったもん♪」
少女はひらひらと手を振って笑った。
「……ん?」
その口調。
と言うかその声。
「やっと気づいたの? 遅いよぅ」
少女が頭に被っていたローブを脱いだ。ついでに地味な髪色の鬘も。
ツツジ色の髪が揺れ、少女の大きな瞳が先達を覗き込む。ふわりといい匂いが漂った。
「
「だってクロ、ネクロマンサーだし。百物語って面白そーって思って。こっそり入っちゃった♪」
「な、なるほど……」
先達は痺れた頭で相槌を打った。
正直話の内容はあまり頭に入って来ない。
こんな至近距離でカーテンの裏でふたりきりで話してる所為で頭が芯まで掴まれたみたいだ。
「でも驚いたよ。確かこのあとステージがあるんじゃなかったの?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。ステージは午後からだしね♪」
「そ、そう」
先達は言いながらカーテンを開けようとした。
「ともかくここを出よう。漆九条先輩が来るかも——」
と、思いがけず強い力で腕を掴まれる。
「もう行っちゃうの?」
「え? あ、いや……」
「折角ふたりになれたのに。クロってそんなに魅力ない?」
「いえ、そんなことは。はい」
つい仕事で怒られてるおじさんみたいな口調になる。
あまり意識しないようにしてたけど……
やっぱり美人だ。
改めて言うまでもなく。
白い肌や長い睫毛は何かこう、自分とは違う人種、生き物のようにさえ思えた。宇宙人でもおかしくない。
正直、先達だって彼女を見てこころが騒がないわけじゃない。
昨日だって下心が皆無だったと言えば嘘になるかもしれない。
それでも——
「ご、ごめん。……
先達は玄音の手を解き、再びカーテンに手を掛けた。
ふふっと笑う玄音。
「ウソウソ。分かってるって。それでこそ先達君って感じ♪」
「は、はぁ」
そうあっさり離されると寂しいような、惜しいような……
いや、いまのナシ。宇宙人の妨害電波だから。
「昨日のだってクロの所為なのに、責めないんだもん」
「あれは半分僕の所為でもあるから。でも変なこと言い出したときは焦ったよ」
「あはっ、ごめんごめん。面白そうでつい♪」
「……はは」
先達は力なく笑う。
「でもその恰好のまま行く気? また見つかっちゃわない?」
確かに。
漆九条は先達への懲罰を諦めないだろう。
「ね、クロに任せて!」
勢いよくカーテンを引き開け、玄音が言った。
ふわりと流れ込んだ風に、少女の髪が舞った。
悪戯っぽく笑い、ウインクする。
「とーってもいい考えがあるの♪」
その眩しいばかりの笑顔に。
なんでだろう——
すごく、嫌な予感がした。
***
「何やってんだ、俺……?」
灰泥煉真は溜息を吐いた。
ここは北校舎一階の廊下の外。誰も通らない裏手のスペースだ。
座り込んでイワシの頭部を脱ぎ、傍に置いた。暑いなか長時間被り物をしていた所為で髪も服も汗だくだ。超不快。
——やっぱりやめときゃよかった。
イワシの姿でビラ配りなんて。どう考えても馬鹿げてる。あのときの俺は何を考えてたんだ?
「こんなことなら帰って寝てたほうがよかったかもな……」
いっそこのままバックレようか。
そんな邪念が思いついたとき、近くの茂みを掻き分ける音が聞こえた。
まだ十歳にもならないらしい少年が現れた。
頭に中古品みたいなゴーグルを付けている。
そいつはきょろきょろ見回すと、煉真と巨大なイワシの頭を見てびくっとした。
「何だお前。迷子か?」
「え、ええと……」
少年は泣きそうな顔で口を籠もらせた。
「いつまでサボってんだよ、オイル
後ろから
ふたりは煉真の向こうの男の子に気付いて目を向けた。
「あっ、さっきのエロガキ!」
綺新が男の子を指さして叫んだ。
「エロガキ?」
「こいつあたしの尻タダで触ったんだよね」
「ち、ちげーし! たまたま手が当たっただけで……」
「それは羨ま……じゃなくて、なんでこんな場所に?」
遊鳥の言葉に少年が答えた。
「ま、迷子になった友達を捜してて……」
「へぇ、迷子?」
「お前が迷子じゃねーのかよ」
「ちげーし。俺ちゃんと見てたし!」
少年は頬を膨らませる。
必死になったところがいかにも怪しい。
「じゃ、そういうことだから。お前らあと宜しくな」
煉真はふたりに言った。
「は? 何の話?」
「俺が迷子捜してうろつくわけにもいかねーだろ。警備に届けるにしても捜すにしてもお前らの仕事だ」
「ほっときなよ、こんなエロガキ」
「だからわざとじゃ……」
しばらく三人はぎゃあぎゃあと騒いだ。
聞きたくなくても話が耳に入ってくる。
どうやら少年の名前は
数分後、結局遊鳥と綺新が休憩がてらに少年を警備に届けることになった。
煉真に早くビラ配りに戻るよう釘を刺してから三人はその場を去った。
しばらくして再びイワシと化し立ち上がる。
校舎に入り、持ち場に戻ろうとした。
「あっ、イワシ男! 本物じゃん」
「おぉ、あれが噂の……」
「カッコイイー」
「ちっ」
通行人の声を無視して歩いていると、ふと気になる人影を見つけた。
少女だ。
まだ煉真の腰ほどの背丈もない。長い髪を靡かせ、大きな人形を抱えて走っている。風体はまさに魂が話していたのと一致した。
「……マジかよ」
こんなあっさり、それも自分が遭遇するとは。
だがどうする?
俺が声掛けんのか?
このオイル13が?
確実に怖がられるだろ。最悪悲鳴をあげられて自分は逮捕され正体も明るみに出る、一発アウトコース。とはいえ無視するか?
——いや。
俺の知ったことじゃねぇか。
どうせすぐに迷子のアナウンスが校舎内を響く。そうすりゃ誰かが保護してくれるだろう。わざわざイイコぶる必要はない。
そう思って踵を返した。
が。
「待ちやがれ!」
怒声とともに、廊下の向こうから校舎を揺らす勢いで走ってくる人影が見えた。
ひっと少女が声にならない悲鳴を上げる。
数人の男子生徒が少女に群がる。逃げようとしたその肩を掴んだ。
——マジか⁉
マジでいたのか。誘拐犯。ナマで見るのは初めてだ。って場合じゃなく。
「……ん?」
主犯格の男は煉真のよく知る顔だった。
馬更竜巻。
あと
「あいつら……何のマネだ?」
煉真は呟いた。
巨大なイワシの頭を被った奴の科白でもないと思うが。
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