第6節 昼休み追走曲 Ⅰ.
正午を告げるチャイムが鳴った。
「ようやく昼休みか……」
鍋島村雲の隣で、
『指導員』をすること数時間。
傍目にも疲労困憊といった様子だった。心なしか益々痩せたようにも見える。
「メシでも食って休憩するか、鍋島」
「ああ」
康峰の誘いに、村雲も頷く。
「まったく、分かっていたはずだが酷い学園祭だよ。この数時間でどれだけ指導や注意、果ては営業停止命令を出したか」
「報酬が報酬だからな」
「島外一週間の外出権って奴か。お前は興味ないのか?」
「俺は、別に」
「まぁ、お前はそういう奴だよな……しかし、それと無関係に悪ノリする奴やふざける奴も多かったな。マッサージ屋と称してセクハラしてくる店は予想ついたが、お化け屋敷と称してぼったくりしてくる奴がいるとは思わなかったよ……っと」
喋りながら、ふらりと康峰が横道に逸れた。
「ちょっとトイレに行ってくる」
「またか?」
「いいだろ別に。お前は先に食堂に行っててくれ」
ひとりになった村雲はともかく食堂に向かうことにした。
多くの生徒たちが同じ方向に向かっている。賑やかな談笑が周囲を包んでいた。
不意に女子生徒が走って来て、村雲の丸太のような腕を掴んだ。
「鍋島先輩! よかった!」
「え、いや、む」
村雲は急に異性に声を掛けられるとこうなる。
反射的に周囲を見回したが康峰はすっかりいない。女子との会話は基本的に彼に任せていたのに。
女子生徒はそんなことにお構いなしに腕を引いてきた。
「来てください。大変なんです」
「お、俺でなくては駄目か?」
「鍋島先輩しか頼れません!」
そう言われては従うしかない。『指導員』でもあるし。
「分かった」
重々しく頷いて、女子について歩いた。
手を引かれて着いたのは女子トイレの前だった。
女子を中心に人だかりができている。なかを覗き込んで何かひそひそ話す者もいた。
どうやらトイレのなかに何かあるらしい。
「何が起きたんだ?」
「それが今日、あたしの友達が告白するつもりだったんです。何でも学園祭中に桜の木の下で告白すると100%成功するって聞いて」
どこ情報か知らないが100%ガセだろう。
村雲でもそれくらい分かるのに。
「でも告白前にふざけた男子のぶちまけたタコ焼き粉が全身に掛かっちゃって。男子はシバいたけど、これじゃ告白なんてできない、付き合う前から白無垢かよって泣いちゃって」
「ふっ」
「ちょっと! なんで笑うんですか!」
「え、いや……済まない」
「とにかく個室に籠もっちゃって。あたしらが声掛けても聞く耳なくて……彼女を説得してくれませんか?」
「ええっ?」
思わず裏返った声が出た。
何故それが自分にしか頼めないことなのか。自分はカウンセラーでも何でもない。ただの臨時指導員だ。
そう言おうと思ったが、期待した眼差しに囲まれては断りにくい。
いやそれ以前に。
「で、では俺に女子トイレに入れと言うのか⁉」
「当たり前でしょ」
さも当然のように言われた。
村雲は口をぱくぱくさせる。
当然ながら村雲にはいままで女子トイレに足を踏み入れた経験なんてない。何なら一生入る機会なんてないと思っていた。別に入りたくもないが。
——いや、意識しすぎるのが変だ。
これだから馬更竜巻にもよく揶揄われる。別に変なことじゃない。泣いている生徒を宥めるために、指導員の仕事をするために一時的に入るだけだ。
「……分かった」
女子生徒の声援を背に、鍋島村雲は女子トイレのなかへと一歩踏み出した。
緊張しつつ個室の前に近付く。
扉の向こうから啜り泣くような声が聞こえていた。
「あー、ええと。失礼いたす」
どう話したものかと迷ううちに、時代劇みたいな言葉が出る。思わず赤面した。
——早く来てくれ、教官。
こんなに教師が必要と感じたことはない。
「ごほん。……そう泣くな。泣いていても何も始まらない。まだ告白が失敗すると決まったわけじゃないぞ」
啜り泣きは相変わらず聞こえる。
「よかったら力になる、俺が。まぁできることはないが、たいして」
しどろもどろに話していると、声が止んだ。
——効果あったか?
様子を見ていると、がちゃりと鍵の音がした。
軋んだ音とともに扉がゆっくりと開く。
なかにいる女子の顔を見ようとして——
「繧Дke☆7——」
「なにっ⁉」
襲い掛かった影に、視界が覆われた。
***
「あれ~? 馬更君も店潰されちゃったのぉ?」
廊下をずんずん歩いていた馬更竜巻は、背後から聞こえた声に振り返った。
このいつでも緊張感なく眠たげで、聞いてるこっちまで眠くなるような声は——
『烏貴族』で着ていた水着同然の恰好から着替え、制服を着ている。それでも胸元のボタンは外していた。
否応なく見える谷間に、周囲の男子生徒や客がチラ見する。露骨に目を向ける者もいる。
ちなみに夢猫は竜巻のふたつ下だが、幼い頃からの付き合いなので妙に馴れ馴れしい。
「ンだよ早颪、その言い方はお前のとこもか? キモガリにやられたか」
「センセーに虐められたんだよぅ。体触らせてあげたのにぃ」
「体触らせるような真似したからだろ。大方察しがつくぜ」
竜巻は『
「ねぇ、向こうに美味しそーな店あったんだよね。イワシのカレー味みたいな?」
「俺に奢らせようってハラか?」
「へっへっ、頼みますぜ馬更のダンナ」
夢猫が手を揉みながら言う。
「一昨日きやがれッてんだ。お前に奢るくらいなら鍋島でも見つけておちょくってるほうが千倍マシってもんよ」
「鍋島君? ならさっき女の子に手ぇ引っ張られて連れてかれるの見たかもー」
「馬ッ鹿それを先に言え、どっち行った?」
俄かに楽しげになった竜巻を先導して夢猫が歩く。
だがその足が間もなく止まった。
妙に廊下の向こうが騒々しい。どころか、驚いて立ち尽くす生徒や面白がって人を呼ぶ客もいる。
何かが起きているのは間違いない。
「あっ、馬更先輩!」
向こうから駆けてきた生徒がこっちを見て叫んだ。「助けてください!」
「オイオイオイオイ藪から棒たァこのことか。どういう料簡だァ?」
「それがその、元会長さんがご乱心で……」
「はァ?」
その意味を問い質す暇もなく。
目の前の生徒の姿が消えた。
正確には、向こうから吹っ飛ばされた来た別の生徒の下敷きになって倒れた。竜巻は後ろに跳んで躱した。
「あっ、済まない!」
凛とした声を上擦らせて、廊下の先から姿を見せた
紗綺は見たこともないほど狼狽していた。髪も乱れている。こんな紗綺は付き合いの長い竜巻でも見たことがない。
「何してんだよ会長。人間投げなんて種目は聞いてないぜ」
「あっ、竜巻! ちょうどよかった。手伝ってくれ!」
「はァ?」
「捜してるんだ。一刻も早く見つけなければ……」
「落ち着けよ。何が何だか分からねえっての」
「何を捜してるのぉ?」
後ろからひょっこり顔を出して夢猫も訊いた。
「それは……っ」
何か言おうとした紗綺が急に言葉を詰まらせた。口をもごもごさせる。
「……小さくて、可愛いものだ」
「それだけ?」
「夜行性だ」
竜巻と夢猫は顔を見合わせた。
「と、とにかく頼む! あれが誘拐でもされたらと思うと……!」
紗綺は悩ましげに頭をぶんぶん振った。
廊下の向こうに走り去りながら叫ぶ。
「私はあっちを捜す。見つけたら教えてくれ!」
「えっ、いや待……」
「頼んだぞ!」
「……行っちまったな」
嵐が過ぎ去ったほうを見ながら竜巻は言う。
「んー。どうする?」
「しょーがねぇだろ。他でもねぇ会長の頼みだ、捜してやろうぜ」
「でも『小さくて可愛い』『夜行性』ってだけじゃ捜せなくない?」
「んじゃそれっぽいもんを片ッ端から捕まえるか」
「……はっ」
夢猫が自分の身を庇うように胸元の前で手をクロスさせた。
「いやーん、あたし捕まえられちゃう~?」
「寝言言ってろ、夜行性ってとこ以外何も合って……ぐふっ」
「あはっ、冗談おもしろ~い」
夢猫が竜巻に正拳突きをかましながら笑顔で言った。
「痛ってえな……ん?」
ふと、廊下の向こうを見る。
そこをふらふら走る少女がいた。七八歳か。長い髪に大きなリボン。泣きそうな顔できょろきょろしていた。
竜巻が自分について来ていた男子たちを振り返って怒鳴った。
「おいお前ら、アレ捕まえろ!」
「ええっ⁉」
「聞いてただろ、会長が捜してんのはアレだ」
「ほ、ほんとですか?」
「『夜行性』って部分は?」と夢猫。
「ンなもん見ただけで分かるかよ。とにかく俺の直感が言ってる、間違いねぇ」
「でも……」
男子生徒が躊躇するのを、竜巻は尻を蹴った。
「いいから捕まえんだよ! 行けお前ら!」
立ち尽くした少女は、不意に自分に迫ってくる数人の男子生徒を見た。
「待ちやがれ!」
竜巻の怒声に、少女は青褪める。
当然待つはずもなく、転がるように逃げ出した。
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