第5節 学園祭 開演! Ⅴ.

 


——学園祭か……


 学園内、某所。

 天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろは不思議な感慨に立ち止まった。

 見慣れた学舎の、見違えるような騒がしさ——


 仮にも少し前まで生徒会長としてその学園の頂点に君臨していたというのに。そんな自分を蚊帳かやの外に生徒たちが宴に興じている。

 不快だった。

 生徒たちに対してではない。あんな奴らはどうでもいい。

 重要なのは——

——豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじくるる

 あの女だ。

 この学園祭自体が自分に対する当てつけにさえ思えてくる。


 あの涼しげですべて見透かしたような笑み。

 美しさに彩る縁の奥でどこまでも意地汚く計算高い光を放つ両の瞳。

 忌々しい。虫唾が走る。怖気立つ。

 だがいまは耐えねばならない。

 目的を達成するために。


「……急がないと」

 自分に言い聞かせた。

 時間はない。荻納おぎのう衿狭えりさがどれくらい枢たちを抑えていられるか分からないのだ。


 舞鳳鷺はひとり狂騒に背を向け、足を急がせた。


***


 鸚鵡、蛇、梟、猫、モルモット。

 北校舎三階の大教室には様々な動物が展示され、大勢の来客で溢れていた。

 新生徒会長である豊原紫紺藤花小路枢のコレクションだ。話には聞いていたがいざ実物を見ると迫力がある。

 客たちは驚きの声をあげたり、見入ったりしている。なかには動物特有の臭いに鼻を抑える者もいる。


「会長さん。こんにちは」

 そんな部屋に入り、衿狭は見つけた喪服の少女に声を掛ける。

 枢が振り返った。

 衿狭を見ると、緩やかに唇を曲げた。

「あら。貴方は……荻納衿狭さん、でしたわね?」

「あ、覚えてくれてたんだ。光栄だね」

 枢が抱いているのは猫だが、こんな島では絶対に見かけないような外国産の珍しい種類だ。サイベリアンというらしい。

 猫が興味深そうに衿狭を見て首を傾げた。

 ちょっと触りたい。


「勿論ですわ。玄音くろねさんがお世話になってるそうですからね。……彼女はご迷惑をお掛けしてないかしら?」

「その言い方、まるであの子もペットの一員みたいだね」

 衿狭の言葉に、枢は猫を撫でたまま笑みを崩さなかった。否定も肯定もしない。

 狐色に似た瞳の奥で、値踏みするように衿狭を見ている。

 薄々何か勘付いているようにも見える目だ。

 無理もない。自慢じゃないが、衿狭は社交的じゃない。いきなりほぼ初対面の枢に話しかけて怪しまれるのは日頃の行いってところだろう。

——さて。

 どうやって時間稼ぎをしようか。


 そのとき、群衆から小さな歓声が上がった。


「あっ会ちょ……紅緋絽纐纈べにひろこうけつさん!」

「お疲れさまです!」


 元生徒会長・紅緋絽纐纈紗綺だ。彼女は今日も見惚れるような綺麗な紅緋の髪を靡かせ、部屋に入ってきていた。

「ああ。おはよう」

 生徒の挨拶に答えつつ、視線を泳がせる。

 どこかそわそわした様子にも見える。


「まぁまぁ、いらっしゃませお姉様!」

 枢が素早く衿狭の横をすり抜け、紗綺に駆け寄った。

「あ、ああ。うちの子に大事はないか?」

 紗綺が枢に言った。

「ふふふ、ご心配なく。すやすやと眠ってますわ」

「そうか。それはよかった……」


 聞くところによると紗綺は先日枢からハムスターを貰ったらしい。

 だが学生寮では飼えないので、一旦また枢に預ける形になった。昨日沙垣先達の寮室を訪ねたのもその用件だという。

 どうやら今日ここへ来たのもそのハムスターの様子を見るためのようだ。そわそわしてた様子から見てもよほど気にしてたのか。

 あの鬼神の如き強さと普段しっかりした彼女から考えられないが——意外な一面ってヤツだろうか。


 枢に案内されて紗綺はハムスターを見つめる。

 騒がしさに目を覚ましたのか、小動物は起きる。眠そうに目を細めたままキャベツをんだ。

 紗綺の口元には見たことのないような穏やかな笑みが浮かんでいた。


「会長さんもそういうの好きなんだね。ちょっと意外」

 衿狭が声を掛けると、はっとして紗綺は頬を赤くした。

「あ、荻納衿狭……違うぞ。私は別にそこまでそうというわけでは?」

「いいじゃん。別に変とは思ってないよ」

「いやこれは、勉強になると思って。ほら、この子はエサを食べるにも全身を動かしてて、何事にも全力で取り組んでいる。私も見習わねばな、と」

「そのごまかしはちょっと無理ないかな……」

「ふふふ。お姉様には憩いが必要ですもの。いつも気を張っていては疲れてしまいますわ。ねぇ、お姉様?」

 枢が横から口を挟む。

 紗綺はどことなく困ったような顔をしたが、曖昧に頷く。


「そう言えばご存知ですか、お姉様? 鸚鵡はとっても長生きですのよ。この子ももう30年以上生きてますの」

 余程紗綺に構ってほしいのか、枢はしきりに話しかける。

「そうなのか?」

 流石に興味をそそられたのか、紗綺は色彩豊かな鳥の羽根を見る。

 鸚鵡がくりくりと目を動かし、嘴を開いた。

「ゴキゲンヨウ! ゴキゲンヨウ!」

「それに、たくさん喋れますわ。ほらフィー、ご挨拶なさい」

「イラッシャイマセ! イラッシャイマセ!」

 周囲の観客から歓声が上がる。

 枢は誇らしげに顎を上げた。

「ふふ。どうですか?」

「豊原紫紺藤花小路」

 紗綺が眉を顰めて言った。

「年長者に命令するのは、よくない」

「は、はぁ……」


 ぐりっと目を動かして、鸚鵡はまた叫んだ。

「オカアサマ! オカアサマ!」

「こ、こら」

 枢が慌てて鸚鵡をつついた。

 そのとき。


「××××! ××××!」


 鸚鵡が今度は何とも言えないけたたましい声を上げる。

 紗綺のハムスターはびっくりしたように小さく鳴くと、彼女の手から飛び出した。

 幸い低い位置にいたので怪我しなかったが、そのまま床を走り出す。

「あっ⁉」

 紗綺が声をあげたときには小動物は意外なすばしっこさで遠ざかっていた。

 大勢の脚が林立するなかで豆粒のような姿を見失うのは一瞬だった。

「あらまぁ、これは困りましたわね」

 興奮した鸚鵡を抑えつけながら、たいして困ったふうでもなく枢が言った。

 対照的に紗綺は目に見えて顔面蒼白になっていた。


「どこだ? どこへ行ったっ?」

「会長さん、あっち」

 衿狭が指さす先に、ネズミに似たシルエットは部屋の出入り口を擦り抜けようとしていた。

「いけない! そっちは危険……おぷち」

 慌てて駆けだそうとした紗綺は扉に鼻をぶつけて、普段聞かないような声を漏らした。

「会長さん落ち着いて……」

「済まない!」

 紗綺はおもむろに腰に差した刀の鞘に手を当てて叫んだ。「みんな止まってくれ! ほんの数秒の間!」


 群衆がその声に反応する。


「えっ、何々?」「紗綺さんどうかしましたか?」


 口々に言う者。

 素直に立ち止まる者。

 だが少し離れた人々にまでその声は届かない。ただでさえ学園祭の真っ最中だ。目の前のことに夢中で、廊下を駆ける者や叫んでいる者もいた。

 その足元をハムスターがいる。

 ひとりの男子の足の影がその体を覆った。


「止まれえぇぇぇ!」


 紗綺の体が雷光の如く駆け抜けた。

 まさに一瞬。間合いを詰めると同時に、まるで畳返しのように手刀を少年の足に叩き込むと、その体は宙を半回転して、

「げふっ」

 鼻っ面から廊下に落ちた。

「あ……済まない」

 冷静を取り戻した紗綺が呟いた。

 が。

 見回すともうハムスターはいない。また遠くへ逃げていた。再び誰かの足がそれを踏み潰そうとする。紗綺の目が光った。

「やめてくれっ!」

 再び弾丸が放たれた。


「な、何だ何だ⁉」

 「誰か暴れてるぞ!」

「喧嘩か?」

 「痛ってぇな何してる!」


 白昼の廊下にどよめきが広がる。

「す、済まない! だが命が懸かっているんだ!……くっ、どこへ行った? あっ、そこか!」

 紗綺の姿はあっという間に衿狭の視界から消えて行った。


「あらあら、大変なことになりましたわね」

 枢が言う。

 だがその言葉の割にちっとも大変そうではない。楽しんでるような響きさえあった。

「言ってる場合?」

「そうですわね。お姉様を止めないと」

 そう言って紗綺に続き、部屋を出る。ちらりと衿狭のほうを見やった。

「そういえば貴方、わたくしに何か用があったのではなくて?」

「……いいよ。別に」

「そうですか?」

 枢は瞬きした。

「まぁ、何かあるならついて来るなり何なりどうぞ。いまはとにかくお姉様を追いますわ。では」

 そう言って身を翻す。

 紫紺の髪がひらりと舞い、廊下に消えて行った。


「……どうしてこうなるかな」

 逡巡のあと、衿狭も枢を追った。

 いまはとにかく彼女を見失わないことだ。

 例の『計画』のために。


***


「ひゅげー。見たかあの動物? 本物っているんだなぁ。ちょっと臭かったけど」


 島の少年・鹿倉かくらこんは言った。

 学園祭に来てしばらく。財布のなかはたいした金もないので、あんまりいろいろ買えなかったが、ただ見て回るだけでも楽しかった。これだけ大勢の人の間を歩いたこともない。ずっと体温が上がったままの気分だ。

 と、よそ見した拍子に誰かにぶつかる。

 ちょっといい匂いと、やわらかい感触がした——と思ったのも一瞬。

「ちょっとこのガキ! どこ触ってんの⁉」

「ひぇっ?」

 ぶつかった女子生徒が鬼の形相で怒鳴った。

 魂は慌ててその場を走る。


「ああー怖。てか触ってねーし。何だよ……あれ、タマ?」

 一緒に連れてきた少女のことを思い出して振り返る。

 だが、右へ左へ歩き回る人並みのなかに彼女はどこにもいない。

「はれ?」

 と言うか、ここどこだ?

 人が多くてよく分からない。立ち止まってる余裕もない。そうでなくても興奮して周りを見てなかったけど——

 待てよ。この状況。

 これってもしかして……


「あいつ……迷子だ!」


 自分を棚に上げて少年は叫んだ。


 

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