第4節 学園祭 開演! Ⅳ.

 


 カタクチイワシを彷彿とさせる巨大な口。

 セグロイワシに着想を得た黒々とした背ビレ。

 そして首から下は純白のスーツに黒いグラサン。そのギャップが何とも言えないインパクトを醸している。

「……何のつもりだ?」

 珍妙な扮装をさせられた灰泥煉真は唸るように言った。隣の鵜躾うしつけ綺新きあらを睨む。


 北校舎二階。

 この辺りは最も店が多く、競争が激しい。廊下はひっきりなしに客寄せの声や音が飛び交っている。

 その喧噪から少し遠ざかったある教室——バックヤード代わりに使われた部屋。

 綺新は煉真をここへ連れてくるなり、碌に説明もせずイワシの被り物を押し付けて来たわけだ。


「いいじゃん。ばっちりだよ」

 悪びれもせず飴を舐めながら綺新は言う。

「ほんと、助かったぁ! ありがとねぇ、綺新」

 綺新の連れらしい女子生徒が手を合わせて言った。

「いいっていいって。暇人連れて来ただけだし。優勝目指して頑張ってねー」

「おい、俺が女は殴らないと思ってんのか?」

「だからぁ、この子のイワシカレーパン粉焼きはめっちゃおいしいんだけど、ちょっと宣伝が足りてないんだよね。他はカレーとか焼き鳥とか分かりやすいのばっかだし」

「少しでも目を惹くためにインパクトのある客引きが必要なの。これでビラ配りしてくれない?」

 女子生徒が煉真にビラの束を差し出す。

 確かにインパクトはあるが……


「何だよ、イワシカレーパン粉焼きって」

「ホントはウナギの蒲焼きとかよかったんだけどね。原価が掛かっちゃうから。その点イワシなんて腐るほど余ってるし、料理も簡単だし、おまけにカレー味なら大抵男は好きでしょ?」

「そんなこと訊いてねえよ……てか、なんで俺が?」

「この恰好なら宣伝しても誰もあんたってバレないじゃん?」

 確かに。

 小烏こがらす遊鳥ゆとりのほうは別に仮装する必要がない。


「だからってよ……」

「いいじゃないか、灰……いや、名前も呼ばないほうがいいよな」

 遊鳥がへらへらしながら言ってきた。

 ……なんかこいつが一番ムカつく。一発殴ろうか。

「名前ならあるよ! イワシーマン。どう?」

「どうって言われてもな」

「なるほど。イワシとシーマンを掛けた名前か。なかなかナイス」

 遊鳥が腕を組んで言いながら、ちょっと顔を顰めた。

「まぁちょっとペンキ臭いところが玉にキズかな」

「急いで作ったから。まだちょっと乾ききってないの」

「そんなもんよく初対面の相手に被せたな」

「ごめんて」

「いや、むしろイワシがあっていいんじゃね? オイルサーディンっぽくて。服とグラサンも相まって殺し屋みたいだし。なんて言ったっけ? ほら、殺し屋の……何とかサーティーンみたいな」

「イワシのフォローするくらいなら俺のフォローしろよ。アホらし。誰がこんな妖怪の真似するか」

「妖怪じゃないもん。イワシーマンはひもじい思いした子供の枕元に夜な夜な現れてはイワシの切り身を口にねじ込む紳士なんだから!」

「予想以上のバケモンじゃねえか。俺は降りるぞ」


 イワシを脱ごうとする煉真の肩を慌てて遊鳥が後ろから掴んだ。

「ちょちょちょ、待てよオイルサーティーン!」

「誰がオイルサーディンだ。どさくさに紛れて巧妙に改名してんじゃねえよ。なんでお前はそんなノリがいいんだ? あと俺の背後に立つな」

「そう言うなよ、こうでもしないと学園内に潜り込む方法がないんだから。俺はお前と一緒に校門前でお預け食らった犬みたいにブツブツ言ってるだけの学園祭なんて嫌だ!」


 そう言われて煉真も口を結ぶ。

 確かにここで仮装を解いても煉真には行き場がない。かといって帰るのも何か気に食わない。負けた気がする。


「……分かったよ」

 渋々そう言ってイワシを被り直した。

「やってくれます⁉ ありがとうございます、オイル13サーティーン!」

「いやぁやっぱりお前は話の分かる奴だよ、オイル13!」

「めっちゃ人気者じゃん、オイル13」

「あーもううるせぇな。……くそっ、どうせやるなら優勝するぞ。いいな!」

「おう」

「声が小せぇぞ!」

「お、おう!」

「おぉー」



 こうして煉真は出店のビラ配りとして働くことになった。

 やがて「イワシの被り物をした男が廊下で怒鳴っている」という噂が校舎中に広まるのに時間は掛からなかった。

 誰もその中身が学園イチの問題児とは気付かなかったらしい。


***


「いいな。いつでも戦える準備をしろ」


 南校舎三階廊下。

 北校舎や中庭の喧騒から少し離れた一角で。

 漆九条うるしくじょうは後ろに続く生徒会の生徒たちに小声で言った。

 沙垣先達もそのなかにいる。

 何やら怪しい動きがあると報告のあった教室。そこから距離を置いた曲がり角に、七八人が集まっていた。

 教室に近付き偵察していた女子生徒が小走りに戻ってくる。

 漆九条に近付いて小声で報告した。

「やっぱりいます。多分、十人以上」

「何をしている?」

「分かりません、カーテンも閉め切ってて……」

「ふむ。十人以上か……もし《冥殺力めいさつりき》持ちがいたら厄介だな」


 皆が漆九条の指示を待つように顔色を伺う。それでも彼は唸るばかりだった。しきりに眼鏡の蔓に触れている。

 さっきからもう何度目か分からない。

 レンズ越しにも明らかに目が泳いでいた。

 ……こう言っちゃ何だが、あまり指揮を執るのに慣れている感じじゃない。一応生徒会に所属して結構長いので、こういう経験も初めてではないはずなんだけど。


「……どうします? 応援を呼びますか?」

 痺れを切らしたように女子が訊いた。

「いや、判断するにはまだ早いんじゃないかな。うん。お前はどう思う?」

「えっ、僕ですか?」

 何故か水を向けられた先達は声を引っ繰り返した。

——訊くにしても僕じゃないと思うけどな……

「ああいや、いい。訊いた俺が間違いだった」

 漆九条はすぐに撤回した。

 期待外れみたいな言い方でなんか癪だ。


「いえあの、いいですか?」

 そんな言い方をされたからでもないが、先達は恐る恐る手を上げた。

 皆の注目が集まる。

 やや緊張しながらも先達は言った。

「潜入捜査なんて如何でしょうか」

 ポテトでも如何でしょうかみたいなノリになってしまい、自分で言っておきながら赤面してしまった。

 だが生徒たちは「なるほど」と頷く。

 漆九条も顎に手を当てて考え込んだ。

「ふむ。それなら正確な人数も把握できるし、奴らの真意も探れるな。……で、誰が行く?」

 そこにいる全員が漆九条に注目する。

「お、俺は駄目だぞ。指揮を執る人間は要る、よな?」

 指揮官は慌てて言った。

「……じゃ、私行きましょうか?」

 やや冷ややかな目を向けつつ女子生徒が言う。

「何を言う。女の子にそんな危険な役を押し付けるわけにいくものか」

「はぁ」

「そうだな、ここは言い出しっぺに行ってもらうのはどうだ?」

 ちらっ、と眼鏡がこっちを向いた。

 今度は先達に注目が集まる。

「……えぇっ⁉」


 言い出しっぺの法則。

 提言者が率先して実践すべきというこの理論は一見正しいようだが、その実、発言者が「じゃあ言わなきゃよかった」となり、本人含め他の者も「余計な発言はしないでおこう」と思う結果に帰着するため、悪習とされている。

 ——なんてことは置いといて。


「これ、漆九条先輩の私怨じゃないですよね?」

「ば、馬鹿言うな。クローネとこのことは一切関係ないぞ?」

「別にクローネなんて一言も言ってないですけど」

 まあ確かに先達は潜入向きかもしれない。あまり強そうに見えないし、人に警戒されにくいから。

 ……あれ。自分で言ってて悲しい。


 溜息ひとつ吐いて、先達は意を決した。

「いいですよ。僕が行きます」

「おおっ!」

 漆九条が嘆声とともに肩を掴んだ。

「見直したぞ。この作戦が成功したら反省文も八千文字に減らそう」

「刻みますね……」

「気を付けてね、沙垣君」

 女子生徒が気の毒そうに言ってくれた。

 他の生徒も同情の目で見送ってくれる。それだけが救いだ。

 情けない笑みを返し、先達は静寂を保つ教室に忍び足で近づいて行った。


 ……とは言ったけど。

 いざとなると緊張する。もし本当に教室にいる連中がレジスタンスとかだったらどうしよう。

 正直そんな可能性は低いと思ってるが。

 だがそうでないなら何だ? 見当もつかない。

——まさかさっき適当に言ったように黒魔術同好会のサバトとも思えないし……

 段々不安になってきた。

 もうちょっと交渉すればよかった。これで殺されでもしたらどうしよう。命の対価が反省文千文字は安すぎる……


 言ってるうちに扉の前まで来る。

 相変わらず扉の向こうは静かだ。

 この距離だとカーテンの隙間から少しなかが見えた。とりあえず様子を伺おう。

 まず——

 火が見えた。僅かだが熱気も伝わってくる。

 黒いローブのような服を着た人間が躍るような跳ねるような動作をしている。

 ……何だあれ。

 本当に何をしてるんだ? まさか——


「……ほんとにサバト⁉」


 いきなり勢いよく扉が引き開けられた。

 なかから伸びてきた手がこっちの胸倉を掴んだかと思うと、なかに引き込まれる。

 そして再び扉がぴしゃりと閉じられた。


 

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