第2節 学園祭 開演! Ⅱ.
「手伝ってくれてほんとに助かりました。ありがとうです」
学園祭当日、朝。
ここ二週間近く、煉真は彼女の手伝いをしてきた。今日もそのつもりで来たが——
「もう手伝うことはないのかよ?」
「ええ。午後からの《
——それが出来ねえから言ってんだよ。
とはいえ、そう言われてこれ以上食い下がるわけにもいかない。一緒にお役御免になった
何だかまたクビになった気分だ。
久雨に悪気はないんだろうが……
煉真は校門前の開けたスペースに来た。
だが門を潜る気はしない。ぶらぶらと近くを歩いたり、ガードレールに凭れて遠くに見える海を眺めたりしていた。
生徒や来客がチラ見してくるのが鬱陶しい。
「俺は『殺人バット』だぞ。学園祭に入っていけるワケねーだろ」
おまけに、昨日も学生寮でひと暴れしてしまった。俺は一ミリも悪くないのに。
——何が学園祭だ。
前々から思ってはいたが、こうして実際に目の当たりにすると馬鹿々々しさが増す。なんか胃がムカムカしてき出した。
これは決して自分がなかに入って行ったら怖がられたり嫌がられたりするからという僻みではない。絶対違う。マジで。
『っかぁ~~、見てらんねぇなぁ』
不意に耳障りな声が聞こえた。
ガードレールに腰掛け、肩に担いだ金属バットを揺らしている。
その顔立ちは煉真によく似ていた。
だが、明らかに違う。鏡に映らない表情をしている。
にやにやとした表情。覗く白い歯。
それでいて目はぎらぎらと飢えている。
「……消えたんじゃねーのかよ」
『カワイイ弟がひとりお友達の輪に参加できずモタモタしてんだ。優しいお兄ちゃんとしては心配して化けてでも出てくるってもんだろ、なぁ?』
「何がお兄ちゃんだ。気色悪い」
煉真のなかには別の人格が眠っていた。
その別人格は『殺人バット』として暴れ、何人もの生徒を殺した。
元々煉真のジレンマから生まれた人格だが、こいつは本当に自分の一部なのかと思うほど勝手かつ余計かつ無駄に出てきて喋る。
いろいろあってひと月前の事件で
実のところ、まだいる。
こうして時々現れては無駄口を叩く。
ややこしくなりそうなので康峰や他の連中には黙っていた。
『あの天才少女ちゃんでも誘ってみろよ。意外とデートしてくれんじゃね?』
「頼むから綺麗さっぱり消滅してくれねえかな。そしたら誘いに行ってやる」
『へっ、よく言うぜ。できねぇ癖に』
「ぁあ?」
見え見えの挑発に煉真はぎろりと睨む。
勿論煉真以外の目には誰もそこにいない。傍からは野良猫にメンチを切ってるようにしか見えないだろう。
「いいから消えろよ、マジで」
『おお、消えてやるよ。けどその前にどぉ~してもお前に言っておきたいことがあってな』
「……何だよ」
煉真は気のない返事を返した。
どうせまた碌でもないことに違いない。
『何かおかしいと思わないか?』
少し声を沈めて幻覚は言った。
妙に思わせぶりな口調だ。
ついその顔を見る。
奴はまるでクイズを出して回答を待つように楽しそうな顔つきをしていた。
「勿体ぶらずに言えって」
『それじゃ意味ねーの。お前が自分で気付かなきゃな。分かるか? このお兄サマの優しい気遣いが。お前のこれからのために言ってやってんだぜ?』
「あーそう、感謝感謝」
『ちっ、しょうがねえな。いいか、レン』
ぐいっと顔を近づけて幻覚は言った。
『お前が戦ってる相手は——誰だ?』
「……は?」
「ああっ、いたいた!」
慌ただしい声が背後から聞こえた。
振り返ると小烏遊鳥が駆けてくる。
「勝手に行くなよ。俺はお前の見張り役なんだからさぁ、困んだよ」
「んなもん無視しろ。ちゃんと見張ってたって証言してやる」
「そううまく行くかって話」
煉真は再び殺人バットのいたほうを見る。
ガードレールの向こうに青々とした海が見えた。
奴の姿はもう見えない。
声も聞こえない。
——どういう意味だ?
最後に奴の言い残した科白の意味を考えようにも、今度は別の声に思考を遮られた。
「あーやっぱハイドじゃん!」
校門のほうから飴を咥えながら歩いて来る女子生徒がきた。
鮮やかなオレンジの髪に、着崩した制服。
煉真とは学園にいた頃から何かとつるんだ相手だった。
「ハイドはやめろ。つかなんで俺がここにいるって分かった?」
「噂になってるよ、校門前でやけに目つきの悪そうな奴がウロウロしてるって。ついでにブツブツ喋ってるって。頭大丈夫?」
「マジか」
気を付けてるつもりだったのに。
「で俺になんか用か?」
「ちょうど人手が足りなくてさー、あんた手伝ってよ。ヒマっしょ?」
「はっ、絶賛大忙しだコラ」
「野良猫とメンチ切ってただけなのに?」
「第一俺がなかに堂々と入れると思うか?」
「だいじょぶ、だいじょぶ。ちょうどイイのがあるんだよね」
「ちょうどイイの?」
「つーわけだから急いで急いで。ん、こっちもあんたの連れ?」
綺新は遊鳥を見て言った。
「ああ。お前のことは頼めばヤらせてくれる尻軽女に違いないって言ってたぞ」
「マジサイテー死ね」
「うええ⁉ ちょっと待……おい灰泥! 裏切ったな?」
煉真は知らん顔をする。
「ホント、言ってないから。信じて」
「手伝ってくれたら考えてあげるけど」
「マジ? 手伝う手伝う。さ、行こうぜ灰泥!」
「お前まで……」
ふたりに背を押される。
振り切ろうと思えばできたが——
……まぁ、ちょっとくらいいいか。
別に興味とかないけど。
そうして灰泥煉真も学園祭に足を踏み入れた。
***
——最悪だ。
廊下では忙しそうに、しかしどこか楽しげに女子生徒が駆ける。中庭のほうからは屋台の呼び込みをする野太い男子の声が聞こえる。
どこかの店で焼き鳥でもしているのか、食欲を誘う香りが漂う。
そんななか。
北校舎一階の運営控室にて。
沙垣先達は反省文一万文字を書かされていた。
——早く
昨日どうして自分の部屋に
だが目の前の原稿用紙は到底埋まりそうにない。あることないこと書いて文章を膨らませてきたがもう限界だ。これ以上は四方闇島の気候風土や歴史にまで筆を伸ばさざるを得ない。
「おい、手が止まってるぞ沙垣先達。そんなんじゃ到底終わらんなぁ?」
先達の監視役である
「……終わるわけないじゃないですか、一万文字なんて」
「ふん、自業自得って奴だ。いるんだよな、お前みたいに分を弁えずアイドルと付き合おうなんて
「だから誤解ですって! 第一僕には……」
——他に好きな人が。
と言い掛けて、口を噤んだ。
だが目ざとく漆九条は目を光らせる。もとい眼鏡を光らせる。
「なんだ。他に恋人でもいるのか?」
「それほどでは」
「ふん、浮かれやがって。大方告白したけど返事はもらえず、この学園祭に乗じてデートでもできればと思ったんだろうがそうは行かんぞ」
なんだこいつ。百パーセント的中じゃないか。いかにもモテなさそうな(この際自分は棚上げしている)顔して妙に鋭いのか偶然か。
「いいか、俺たちは
「はぁ」
言ってることは一見立派だが、彼は以前学園から自由になるため人質まで取って暴れた経歴がある。よく言えたものだ。
「で、相手は誰だ? まさか
「ち、違いますよ」
——コイツ、単に僻んでるだけなんじゃ……
そう思いつつ先達は話を逸らした。
これ以上余計なことを話して立場を悪くしたくない。
「先輩は学園祭が嫌いなんですか?」
「別にそこまでは言ってないぞ。俺は噂の過激派連中ほどではない」
眼鏡の蔓に触れて調整しながら言う。
噂ではこの学園祭をぶっ壊すために裏で計画している連中がいるらしい。
生徒会は彼らを『レジスタンス』と呼んでいた。
元々学園に不満を抱いている連中は多い。『レジスタンス』なんて不穏な響きは冗談みたいにも聞こえるが、先達はそういう連中がいたとしても不思議じゃないと思っていた。
——現にいま自分が学園祭をぶっ壊したくなってるし。
「で、いつ告白した? なんて言って告白した?」
漆九条が会話を燕返ししてきた。
うまく逸らしたと思ったのに。
「そ、そんなこと……言えませんよ」
「九千文字に減らしてやってもいいぞ」
「告白したのは一か月ほど前です」
「それから返事なし⁉ おい、正気か。それは誰がどう見ても脈なしだぞいますぐ諦めろ」
余計なお世話だった。
「ちゃんと告白したのか? 遠回しな言い方じゃ伝わらんぞ。第一格好悪い。告白ってのはストレートに……」
「そういう先輩は告白の経験あるんですか?」
「ない」
そろそろ本気でレジスタンスに入りたくなってきた。
何が悲しくてこんな祭りの日に男ふたりで恋バナに興じなければいけないんだろう。
そこへ漆九条の無線に連絡が入った。
何やら険しげな表情でしばらく話す。
やがて無線を切ると、先達に言った。
「噂をすればだ。妙な動きをしている連中が見つかった」
「えっ、本当にレジスタンスが?」
「分からん。だが、南校舎三階で集まってる連中がいるそうだ。あそこは予備教室があるだけで出店はない。それも暗幕を張って教室を暗くしてな。目撃者の話じゃこの暑いのに長袖の黒服を着てたとか言ってる」
「黒魔術同好会がサバトでもしてるだけじゃないんですか?」
「お前もなかなか適当言うな……てか、その場合もっと放置できないだろ」
漆九条は立ち上がりながら言う。「いずれにせよ確かめる。お前も付いて来い」
「えっ、僕も?」
「当然だ。ここに放置できないし、いざってときのためにひとりでも戦力がほしい」
そう言われてやむなく立ち上がる。
まぁ、これ以上反省文を書かされるよりマシかもしれないが。
——荻納さん……
一体彼女と再会できる日はくるのだろうか。
内心ぼやきながら、沙垣先達は鉄刀を手に廊下へ走り出た。
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