第15節 前日 Ⅴ.
「あははっ、たのしー♪」
がさがさと草を掻き分けながら、
頭に葉っぱが乗っているのに気付いた様子もない。
ここは学生寮裏の雑木林。
沙垣先達の部屋を抜け出たあと、身を隠すにはこの森を抜けるのが一番だった。少し服は汚れるが、そんなことはお構いなしに玄音は楽しげだ。
だが、あとに続く
どうやら追手は来ない。それと分かった衿狭は立ち止まり、腕を組んで玄音を睨んだ。
「ねぇ。何のつもり?」
衿狭の言葉に、玄音は首だけ振り返った。
葉っぱの影で瞳を大きく開く。
「何のつもり?」
小首を傾げる。
何気ない動作も流石はアイドルか。サマになっている。とはいえ、どこか芝居臭い。
衿狭は口を開いた。
が。
——どうして沙垣君の部屋にいたの。
そう訊こうとして、躊躇った。
それを訊いては負けなような気がする。
「とにかく、これ以上沙垣君を困らせないで」
「エリちゃん、もしかして怒ってる? なんで? クロがエリちゃんを
「そういうことじゃなくて……」
「でもさ」
玄音が自分の顎に指を添えて首を傾げた。「ふたりって、付き合ってるわけじゃないんだよね?」
「それはっ……」
ぐっと言葉を詰まらせる。
先達には告白された。好意を伝えられた。
だがその返事を結局有耶無耶にしたのは衿狭のほうだ。
そこを突かれると痛い。
それに——
玄音といたほうが先達は幸せかもしれない。
彼に相応しいのは自分なんかではないのかもしれない。
そんなふうに思った瞬間もあった気はする。
そうでなければこの前、夕暮れの校舎でふたりが一緒に話しているのを見たのをもっと早くに言ってる。
それができなかったのは。
——自分の所為。
玄音は勝ち誇ったように——衿狭にそう見えるだけかもしれないが、笑みを浮かべた。
「クロ、先達君のことだいぶ好きかも。エリちゃん彼氏じゃないなら、いいよね?」
「アイドルって恋愛いいんだっけ?」
「でもこの気持ちに嘘は吐けないって言うか」
「浮気男の言い訳みたいなこと言わないで」
「困ったねー。どうしよ、クロちゃん?」
玄音は眉根を寄せて自分の持っている髑髏に話しかけた。
髑髏に耳を寄せて、「ふんふんナルホド」とか言っている。
衿狭以外誰も見ていないというのに。
つい怒りを忘れて呆れそうになる。もしやこれが玄音一流の処世術なのだろうか。
彼女のペースに流されないようにするように、衿狭は一段と冷たく言い放った。
「これだけは言っておくよ。沙垣君を危険に巻き込んだら許さないから」
「あはは。なんか恋人って言うかママみたい? ほら、クロちゃんもそう思うって♪」
髑髏の水晶を衿狭に寄せて言った。
虚ろな眼窩が目の前に迫る。
その瞬間——
ほとんど無意識で。
衿狭は激しく手を振り払った。
髑髏が玄音の手を離れて地面に転がり落ちる。
恨めしげに骸骨の両目がこっちを向いた。
「……痛ぁーい」
玄音は自分の手を抑えながら言った。
「ちょっと手に当たったかも」
「………」
衿狭は答えない。
「ヒドい。ヒドいよ。どうしてこんなことするの?」
衿狭は答えない。
「もしもーし? 無視はよくないよ?」
——それでも。
衿狭は答えない。
「あれっ。何してるの、エリちゃん?」
息が掛かるほどに。
顔を近づけた少女は囁いた。
「早く拾ったら?」
雑木林を風が通り抜けた。
息を潜めたように蝉の声も聞こえない。
「……もう一回言うよ。沙垣君に近付かないで」
ようやく衿狭はそれだけ言った。
「はぁ~~~~っ」
玄音がわざとらしく大袈裟な溜息を吐いて衿狭から身を離した。
「ねえ」
ぽつぽつ歩いて、地面に落ちた髑髏を拾い上げながら彼女は言った。
「いいこと教えてあげよっか、エリちゃん?」
その声はいつになく冷たい。
髑髏を見つめるその目もどこか別人のようだ。
まるで誰かが彼女に化けたような——
それか、いつも見ている彼女こそが。
分からない。
そんな衿狭に構わず、独り言のように玄音は言った。
「もうすぐこの学園はめちゃくちゃになるよ。きっと大勢人も死ぬ。いまのうちに先達君と逃げたほうが、いい。クロね、ふたりには本気で死んでほしくないんだ」
とても聞き流せる内容ではなかった。
聞きようによっては犯行予告とも取れる。
——どういう意味?
そう訊きかけた。
だが呑み込む。
それ以上に、こいつはいま致命的なミスを犯した。
とうとう本性の一片を垣間見せたのだ。この私の前で。
これで——決まり。
「そう」
衿狭は返す。
「だったら私もひとついいことを教えてあげる。
「大丈夫。ふたりだけならクロが口利きしてあげる」
「必要ない」
「そう?」
「決めた。沙垣君が幸せならあんたでもいいと思った。けどあんたでいいはずがない。これ以上沙垣君に関わるなら私があんたをこの学園から『排除』する。さっさと消えたほうがいいのはそっちだよ、我捨道さん」
衿狭の宣言に玄音は黙っていた。
髑髏を撫でたまま可笑しそうに笑う。
「せ~っかく忠告してあげたのに、何だか逆効果になっちゃったみたい。……ま、それはそれで面白いかも♪」
衿狭に背を向けながら、少女は言った。
「明日の学園祭が楽しみだね♪」
それだけ言い残すと、玄音は歩き出した。
衿狭は黙ってその背中が小さくなるのを見つめた。
雑木林の蝉たちがようやく鳴き出す。
汗の張り付いた肌がやけに心地悪い。
寒気すら覚えるほどに——
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