第13節 前日 Ⅲ.
「お、お待たせしました」
新生生徒会の象徴である紫紺のケープを靡かせ、生徒たちがどっと室内に殺到する。
なかにはあの鍋島村雲、
彼らに続き、十人近くが室内に押し寄せた。
きょろきょろと見回し、口々に声をあげる。
「キモガリじゃねーか! なんでここに?」
「か、会長? どうしてこんなところに?」
「
「ねぇねぇ、ここにクローネいるんでしょ?」
「『こんなところ』で悪かったですね……」
「おい、あんまり押すな馬鹿」
「元会長だ。もう会長ではない」
ひとしきり騒いだあと、馬更竜巻がひと際通る声を張り上げた。
「オイオイオイオイどういうこった! 肝心のクローネがいねーじゃねぇか? お前マジで見たのか?」
「えー見ましたよ。確かにこの部屋に入りましたもん!」
女子生徒のひとりが口を尖らせて言う。
どうやらこの事態は彼女の目撃情報に端を発するらしい。
「じゃ隠してんのか? どうなんだ新入り?」
「い、いえ……」
竜巻に睨まれた先達が汗を掻く。
「おいおい、ずいぶん横暴だな」
見かねて
「いきなり押しかけて来て家探しか?」
「しょうがねぇだろ。面倒事を片すのが俺らの仕事だぜ。でなんであんたはここに居んだよ?」
「野暮用だ」
「ふーん。で会長は?」
「……私も、野暮用だ」
紗綺は真似した。
いつの間にかハムスターの入った籠は隠すように後ろ手に持っている。親しい村雲や竜巻には見せるのが恥ずかしいのだろうか。妙なところで女の子らしい。
村雲や竜巻は怪訝そうにしていたが、それ以上訊かなかった。
「とにかく——邪魔するぞ、沙垣」
村雲がその巨岩のような体を室内に押し込む。
一直線に部屋の奥にあるクローゼットに向かった。
まぁ誰かを隠すとすればそこだろう。
「ちょっと」
だが、
村雲は露骨にたじろいだ。
奴は男相手ならどこまでも強気でも、女の子が相手ではこうなる。それがこの巨岩の弱点だ。
「勝手すぎるんじゃない?」
「い、いやそう言われても。俺たちもクローネさんを捜す必要がが」
「いなかったらどうしてくれるの?」
「む、そんなこと言われても……」
「いい? プライバシーってもんがあるんだから。もし沙垣君に変な趣味の隠し事があったらどうすんの?」
「あ、あの、
「ナニ言ってんだよ。こいつがエロ本の十冊や二十冊貯め込んでたところで驚かねーって」
竜巻が進み出て言った。
こいつに女子攻撃は効かない。デリカシーを道端の排水溝に吐き捨ててきたような男だ。
衿狭に構わず突き進もうとするのを——
「ただのエロ本で済めばいいがな」
康峰が助け舟を出した。
「どういう意味だ?」
竜巻が立ち止まる。
「さぁな。ただ人には他人に言えない趣味や過去や性癖があるってことだ。悪いことは言わないからそっとしといてやれ」
「先生のなかで僕ってどういうイメージなんですか?」
「一般的に言って、まともそうな奴ほど意外な一面を持ってるってだけだ」
「なるほど」「確かに」
生徒たちの誰が言った。
先達は言い返したいような言い返すべきでないような複雑な顔をしている。
何にせよ、村雲と竜巻は躊躇うように顔を見合わせた。
「けどよ、こっちもクローネを捜さなきゃならねぇ」
「ここにはいないって言ってるだろ?」
「じゃせめてクローゼットのなかだけでも……」
「だからここにはエロ本しかないって」
「エロ本もないですよ!」
揉み合ってると、急に女子生徒の裏返った声が響いた。
「先輩! ここ、こんなものが!」
いつの間にか洗面所を調べていたらしい女が手に何かを掲げていた。その場にいた者たちの目が一斉にそっちに集まる。
ぎょっとした。
純白の生地に、その端を縁取る小さな水色のレース。
少女の手にあるのは、どう見ても女物と思しき下着だった。
「ち、違います! これは本当に何も知りません!」
「これ
先達の失言をすかさず衿狭が射止めた。
誰よりも鋭く素早く。
——いや、お前はこっちの味方しろよ。
だが衿狭は突き刺すような目を背後から先達に向けている。
その視線を感じたように先達がぶるっと震えた。残念なくらい青褪めている。
「……沙垣君」
「は、はい?」
「あとで話したいんだけど」
「ゐゅっ」
先達が追い詰められた小動物みたいな変な声を出した。
「ど、どういうことだ。どうしてお前の洗面所から……し、下着が出てくる?」
村雲も相当動揺した様子で言う。
「クローネのもんじゃねぇのか?」
ずばりと竜巻が言った。
その場に異様な緊張が走った。
「けど便所にも洗面室にもいねぇ。ってことは、やっぱクローゼットか?」
「ちが、違います! それは
「惚けるな。彼女のものでなければ誰の物だ?」
「っ、それは……」
「私の」
ぽつりと衿狭が呟いた。
村雲と竜巻が顔を見合わせる。
他の生徒たちも呆気に取られた顔をした。
「え? いやでも……」
「ど、どうして荻納さんのその、下着が沙垣君の部屋にあるの?」
言い辛そうな男子生徒の代わりに、女子生徒が衿狭に訊いた。
衿狭は横顔を向けて、意味ありげにぽつりと答える。
「ん、まぁ……そういうことだから」
「どういうことだよ」
「これ以上話さなきゃ分からないの?」
挑発するように口の端を吊り上げて彼女は言った。
一同、主に男子生徒がその表情と言葉に口を噤む。
何だか知らないがこれ以上訊いては負けな気がする——男子特有の嗅覚がそう告げていた。
「とにかく我捨道さんはここにいないから。他を当たったら?」
「いや、でも……」
「あ、あの。こんなものも」
女子生徒が洗面所からもうひとつ持ち出してきた。
同じく真っ白なカップに水色の縁取り。
どこからどう見てもブラだった。
——本当にクローネはここで何をしてたんだ……?
康峰でさえ先達に問い詰めたい。が生徒会がいるいまはできない。とにかくこの場を凌がないと。
しかし先達の蒼白な顔を見る限り、彼も知らなかった可能性は高い。本気で驚いている様子だ。多分。
「それも私のだけど」
「でも、その……サイズが」
言いにくそうに少女が呟いた。
何人かがちらりと衿狭の胸元に目を遣った。
確かに衿狭の下着にしては少しサイズが大きい気がする。
尤も確信は持てない。特に男子生徒は「そうなの?」みたいな目で見たり見なかったりしている。
扉を蹴破る勢いで部屋に飛び込んできたときの威勢はすっかり吹き飛んでいた。
「おい、なんかよく知んねーけどお前のサイズじゃないってよ。そういやクローネは結構ムネがデカかったな。やっぱあいつのじゃねえのか?」
違う。こいつはデリカシーというものを母胎に置き去りにしたに違いない。
そうとしか思えない竜巻の言葉にぎろりと衿狭が睨むが、それにもどこ吹く風だ。
とはいえ——その言葉はそこにいる大半の気持ちを代弁したものだった。
このまま衿狭の下着であると言い張るのは辛い。
衿狭も黙り込む。
「私のだ」
沈黙を破って誰かが宣言した。
村雲や竜巻、いや全員の視線がそこに集まる。
ずっと沈黙を保っていた
遅れて村雲と竜巻を中心に男子生徒の顔が引き攣った。
何を思ったのか、紗綺は先達を庇いに出たらしい。
「はぁ? なんで会長がここで服を脱ぐんだよ」
「急に雨が降り出して濡れた。沙垣先達の部屋が近かったので雨宿りした」
簡潔な答えだ。作文みたい。
「本当かぁ?」
「ああ」
「その割には髪も全然濡れてなくないか?」
「私の髪は乾きが早いんだ」
長い緋色の髪を靡かせて少女は言う。
「……どう思う?」
「まぁ、確かに雨は降ったけど……」
「サイズは?」
「多分、会長なら」
「会長ならもっと大きいんじゃない?」
「し、知らねーし」
「会長は水色より赤系統のが似合う」
男子も女子も好き勝手言っている。
終わりの見えないブラジャー
「じゃあさ、いっそのこと……会長に一回着けてもらったら?」
——そうして。
「じゃあ……か、会長。お願いします」
「分かった」
どういうわけか、紗綺が下着を試着することになった。
彼女と一緒に洗面所に入った女子生徒代表が扉を閉じた。
扉越しにふたりの会話が聞こえる。
「あっ会長、上着はこっちで預かります」
「ああ。助かる」
「へへ、どうも……あっ、そこからボタン外すんですね……おお~……なるほどなるほど。おっ、これはこれは。結構なものをお持ちで」
「……その、気が散るんだが」
「ああっ、すみません! へっへっ、ごゆっくり」
本当にこの女子生徒に任せて大丈夫だったのだろうか。心配になってきた。
ふと——
ぎょっとした。扉のこっち側の生徒たちは時間でも止まったかと思うほど静止していた。主に男子が。何なら呼吸さえ止めてる奴もいる。
理由はすぐわかった。
最大限に耳を澄ますと、扉越しに聞こえる微かな音。
しゅるしゅるという衣擦れ。
何かがぱさりと床に落ちる音。
——こいつら何しに来たんだよ……
まぁ、気持ちは分からないでもないが。
一分。
二分。
そろそろ酸欠で倒れる生徒が出掛かる頃、扉ががちゃりと開いた。
勿論服はもうすっかり来ている。紗綺は相変わらずけろりとした表情だ。男たちが一斉に「ぷはぁっ」と息をするのを怪訝な顔で見ていた。
「オイ、でどうなんだよ?」
「うへへ。いいもん見せてもらいましたわ」
「なんだこいつ。お前ホントに女か?」
「会長ほんとスタイルいいっすよ。肌も綺麗だし」
「んなコト訊いてねぇ、サイズが合ってたかって話だよ」
「え? あ、そっち? うーん……それは何とも言えないかなぁ」
「何だそりゃ。何のために調べたんだよ?」
「もう一回調べれば分かるかも」
「しばくぞ」
見かねた康峰は進み出た。
「もういいだろ? 荻納のでも紅緋絽纐纈のでも、何なら俺のでも」
「あんたのだったら一大事だよ」
「とにかくクローネはここにいないんだ、帰った帰った」
「でも——」
生徒がまだ納得行かない様子で口を開こうとした、そのとき。
いきなり部屋が翳った。
「あぁっ! 外! 外っ!」
生徒のひとりが指を差して叫んだ。
皆がその声に反応して窓の外を見る。
窓をはみ出すばかりの巨体。
人間の頭など捻り潰せそうな大きな腕。
こっちを睨む真っ赤な
「
誰かが叫んだ。
臨戦態勢を取る者。
恐怖で身を引く者。
いずれにせよ誰もが緊張を走らせる、その背後で。
——間に合ったか。
康峰はひとりほくそ笑んだ。
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