第12節 前日 Ⅱ.

 


「……やっぱりか」

 康峰やすみねの嫌な予感は当たった。

 学生寮の寮長は、沙垣さがき先達せんだつだった。

 先達の部屋の前に立って康峰は紗綺に言う。

「どうしてあいつが寮長を? と言うか生徒がやっていいのか?」

「いや、前まで住み込みの老人がやっていたが、腰を痛めてしまって。顔見知りで信用できる沙垣先達に『是非ともあとを頼む』と言ったらしい。次の寮長が決まるまでの暫定と言う話だったが……」

 その言い方では大方ずっと先達がやっているのだろう。

 いかにも頼まれたら断れない先達らしいエピソードだった。

「だがいま居るかは分からない。学園祭の実行委員のひとりに選ばれて忙しそうだったからな」

「さてはそれも頼まれたな……」


 沙垣先達は康峰がこの島に来て最初に知り合った生徒だ。教師としてやっていくのに何かと手を貸してもらった。

 しかしこの二週間全く顔を合わせていない。

「どうした? 彼と会うのが嫌なのか?」

「そういうわけでもないが……」

 康峰は言葉を濁す。

 先達も康峰が教師を辞めたあと、何度も考え直してほしいと言ってきた。その度に煙に巻いたり逃げたりしてきた。

 正直気は進まない。

 だがここまで来て引き返すわけにもいかない。

 腹を括って、紗綺に扉をノックさせた。


「沙垣先達、いるか?」

「ええっ! 会長、急にどうしたんですか?」

 扉越しにやけに慌てた先達の声がする。

「ちょっといま取り込んでて……あとじゃ駄目ですか?」

「出来ればいまがいい。先生にも来てもらってるしな」

「げぇっ、先生も⁉」

「……げぇっ、とはご挨拶だな」

 渋々、といった感じで玄関扉が開けられた。

 くせっ毛の少年がコソコソと様子を伺うように顔を出す。紗綺に続けて康峰を見て、むにゃむにゃと挨拶をした。


「何だ、取り込み中か?」

「いや! いやいや全然、何でもないですけど、ちょっと早めに済ませてもらえると助かるって言うか」

「どう見ても何かあるだろ。どうした? 水道管が破裂したか?」

「そ、そんな感じです」

「それはまずい!」

 紗綺が先達を押しのけるように部屋に突入した。

 康峰もあとに続く。

 だがどこを見ても水道管が壊れたような様子はない。少し散らかっているが特に変わった様子もない。

 なぜだかほんのりいい匂いがした。


 相変わらず先達は落ち着きがない。

 何があった——と訊くより早く。

「沙垣君、いる?」

 荻納おぎのう衿狭えりさがひょいと玄関の外から顔を出した。

 ……一応ここは女子禁制の男子寮だが、平然としている。この様子ではこれが初めてとも見えない。

 まぁ教師でもない自分がとやかく言うことでもないが。


「荻納さん⁉ どうしたの?」

「さっきまで我捨道がしゃどうさんと一緒にいたのに行方が知れなくて。知らない?」

 遅れて康峰に気付き、こっちを向いた。「あ、先生も久しぶり」

「ああ。我捨道玄音……噂のアイドルか。そりゃスキャンダルだな」

「あの子、気紛れですぐ行動するから……」

 衿狭は困ったように言う。

「それは大変だね。僕も捜しゅのに協力しゅるよ」

「なんか呂律が怪しくない?」

「あ、怪しくないよ。ほら早く行こ行こ」

「ふーん」

 ふたりが部屋を出ようとする。

 康峰は黙ってトイレに向かった。


「ちょちょちょちょ!」

 先達が慌てて康峰の腕を掴んだ。

「なんでトイレに行こうとしてるんですか⁉」

「なんでって……用を足す以外にないだろ。それとも俺が食事してから排泄したいと思うまでの詳細な過程を知りたいか?」

「無言で行こうとしないでくださいよ! せめて一言断ってから行ってください!」

「どうしてそこまで必死になるんだ?」

「いや、別に……すみません」

「じゃ、トイレ借りるぞ」

「どうぞ」

「どうも」

「——って、駄目駄目! やっぱ駄目です!」

「何なんだよ……」


 衿狭がじっと見たあとトイレの扉を開けようとする。

「あーちょっと!」

 先達が咄嗟に衿狭の前に滑り込み、トイレの扉に手を押し当てた。

 自然と衿狭を腕で通せんぼした姿勢——即ち壁ドンになる。

「……沙垣君」

「あ、いや、これはその!」

 自分でやっておきながら慌てて身を引いた。

「今日は大胆だね」

「そういうことはふたりのときにやれよ」

「違いますよ!」

「もしかして壊れたのはトイレの水道管か?」

 そう言った紗綺がトイレの扉を開ける。

 止める暇もなかった。あっと先達が小さく声をあげる。

 がちゃりという音がして、トイレのなかから誰かが飛び出してきた。


「ばぁっ♪」


 飛び出してきた少女はふざけたあと、ウインクして舌を出した。「なーんちゃって。えへへ、バレちゃったね、先達君♪」

「我捨道……玄音?」

 一瞬警戒した紗綺が相手の顔を見て固まる。

 不気味な沈黙が数秒、部屋に流れた。


「——沙垣君?」


 口火を切ったのは衿狭だった。

 ゆらりと先達のほうを振り仰ぐ。

 どういうこと? とは言わなかった。無言で先達を眼帯に隠れていない左目だけでめつける。

 それだけで蛇に睨まれた蛙のように先達は喋れなくなった。


「じゃ、俺はこの辺で……」

 康峰はくるりと身を翻した。

 光の速さで先達が腕を掴む。

「ちょっとちょっと先生! この状況で出て行きますか普通⁉」

「俺は紅緋絽纐纈べにひろこうけつを案内しに来ただけなんですよね。用件は終わったので。あとは若い人どうしでごゆっくり」

「違うんです、先生! これには深いわけがあって——」

「俺に弁明してどうする」

「沙垣君? いま先生は関係ないでしょ」

 衿狭が首を傾げて背後に迫った。

「あはっ。先達君おもしろーい♪」

 他人事のように玄音は笑っている。

 ぎろりと射殺すような目で衿狭が睨んだ。自分が当事者でなくてもびくりとする目だ。


「もぉ、ばれちゃったならしょうがないよ。クロたちの関係言お」

「我捨道さん⁉ 誤解を招くような言い方しないで!」

「誤解って何のことぉ?」

「誤解って何のこと?」

 ふたりの声が重なった。何という不穏なハーモニー。

 先達が助けを求めるように視線を彷徨わせ、最終的に紗綺を見た。紗綺と目が合う。

 紗綺が口を開いた。

「沙垣先達。こんなときに何だが、寮内でハムスターを飼ってもいいだろうか?」

「ホントになんでこんなときに⁉」

「いや、何だか忘れそうで……」


——いまのうちに。

 康峰が玄関扉に手を掛けたとき、やけに扉の向こうが騒がしくなった。

 何人もの足音が無遠慮に迫る。

 衿狭や先達も気付いて黙り込んだ。

 やがて鉄扉が怒声とともに激しくノックされた。


「生徒会だ! この部屋にシャドー・クローネが連れ去られたという目撃情報がある! 扉を開けろ!」


 室内の五人は黙って顔を見合わせた。


 

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