第11節 前日 Ⅰ.

 

 ほとんど雲のない夕空が気紛れのように雨を降らせる。

 いきなりの雨に道行く人は慌てて走ったり、雨宿りしたりしていた。

 そして数分後にはまた気紛れのように雨粒の攻撃はやみ、何事もなかったように夕日が眩しく広がった。

「狐の嫁入りか……」

 《白化病》の元教師・軛殯くびきもがり康峰やすみねは呟いた。

 ここは噴水広場近くの広場。

 四方闇島よもやみじまでも最も店や人が多く賑わう場所だ。

 灰泥はいどろ煉真れんま小烏こがらす遊鳥ゆとりは今日も新橋しんばし久雨くれいんの手伝いで研究所にいる。その様子を見た帰り、遅い昼食を摂ったところだった。


 いよいよ学園祭は翌日に迫っていた。

 最初どうなることかと思ったが準備は着々と進んでいる。いまでは鴉羽からすば学園は校門前から校舎内まであらゆる設営が進行し、かつての殺風景な有様と見違えるようだ。

 最初乗り気でなかった生徒たちも、かなりその気になっているらしい。

 この時点で「学園の結束を図る」という新生徒会長の目論見は少なからず成功していると言えるだろう。

 なんて考えながら歩いていると。

 ふと、車道を挟んだ向こうの男女に目が行った。

 若い男が一方的に少女に話しかけている。


「いや~この島ってさ、意外と悪くないよね。もっとヤベーとこだと思ってた。キミみたいな可愛いコもいるし? あ、てかキミがこの島で一番の美人? でしょ? そんな美人と真っ先に遭遇するとか俺ラッキーじゃね?」


 なんてことだ。この辺鄙な離島で360度どこから見ても一目瞭然のナンパ男にお目に掛かるとは。

 大方明日の学園祭に向けて来島した客のひとりだろう。ここ数日、島で見慣れない人影がちらほらあった。一応この危険な島に入る以上、身元確認などはあるはずだが……

 それにしてもああいう輩まで島に来るのか。


 一方の少女は困ったふうにもじもじしている。

——あれは……

 軍服に似た鴉羽学園の制服。

 見惚れるような鮮やかな紅緋の長髪。

 但し刀も持っていないし、生徒会の証であるケープもない。一般生徒と同じ格好のうえに見慣れないとんぼ玉の小さな髪飾りの所為で、すぐには気付かなかった。

 それでも、それが元生徒会長の紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺なのは間違いない。

 よく見ると手に小さな籠のようなものを掴んでいる。


「ねぇ、何か言ってよ。もしかして俺絶賛嫌われ中?」

「いや、私はただ……」

「おいあんた、その子は十五歳だぞ。ナンパはやめとけ」

 康峰は男の背後から声を掛けた。

 ふたりの目がこっちを向く。

 紗綺の表情がぱっと明るくなった。

「先生!」

「は? センセイ?」

 ナンパ男が不審そうな目でじろじろこっちを見る。

——もう先生じゃないけどな。

 とは内心思いつつ、いまは否定しなかった。

 そのほうが虫を追い払うにはちょうどよさそうだ。


「へぇぇ、あんた先生なんだ。道理でカンロクあるじゃん」

「そりゃどうも。お帰りはあちらだぞ」

「つーか十五歳でももう十分立派なレディっしょ。お茶に誘ってあげるのが紳士のマナーじゃん? それとも卒業するまでデート禁止ってか? つくづく教師ってのは頭が固いね、どこの島だろうと」

 こいつ、退散するどころか開き直ってきやがった。

「お前の人生観は聞いてないよ。ともかくこの子に手を出すのはやめとけ。これは親切心からの忠告だ。でなきゃ筋骨隆々の巨漢や口より先に足が出る風来坊に袋叩きにされるぞ」

「何それ?」

「ここがどういう島か聞いてないのか?」

「知ってるさ。化物が出てくる四方闇島、だろ」

「だったら十分だ。この島はそういう化物が出るってこと」

「……村雲や竜巻は化物ではないぞ、先生」

 紗綺が察したように言葉を挟んできた。

 尤も、そのふたりより目の前の彼女のほうが強いのだが。流石に言わなかった。

 言っても信じないだろうし。



 ようやくナンパ野郎を追っ払うと康峰は溜息を吐いた。

「あんなのが明日の学園祭に来ると思うと、気が重いな……」

 紗綺が改めて康峰に向き合う。

「ありがとう、先生。助かった」

「別に。たまたま遭遇したからな」

「戻る気になったのか?」

「何が?」

「さっき『先生』と言われて否定しなかった。教師に戻ってくれる気になったのか?」

 そう言われて康峰は頬を掻いた。

「それはその、奴を追っ払うための方便だ。悪いが何度も言った通り教師に戻る気はないよ」

「だが、最近何かと学園に足を運んでると聞いた」

「そりゃ学園祭の手伝いの仕事だ。それだけだ」

 紗綺が露骨に悲しそうに目を伏せた。

 まるでお預けを食らった犬のようだ。

「どうして? 先生ほど先生に相応しい人はいないのに……」

「買い被りだよ。お前は人のいいところばかり見過ぎだ」

「そうかな……」


 まずい。

 これ以上この話を続けられると康峰としても気持ちが揺らぐ。だからこそ彼女たちを避けて来たのに。

 話題を変えよう。

「そういえば生徒会長を辞めたんだってな」

「ああ。いまは普通の女の子になろうと努力している」

 それは努力してなるものなんだろうか。

 まぁ、余計な口は挟まないでおこう。


 康峰はさっきから気になっていた、紗綺の持つ籠に顎をしゃくった。「それは?」

 籠はケーキ屋の商品ケースみたいな形をしている。時折小さな物音も聞こえた。どうやらなかに何かいるらしい。

 紗綺の声が急に弾んだ。

 嬉しそうに籠を掲げる。

「いや、豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじがどうしてもと言うので、仕方なくもらったと言うか」

「あの新生徒会長が?」

「ああ。先生も見てくれ」

 籠を開けてなかを見せる紗綺。

 そこには一匹のネズミ——いやハムスターがいた。

 警戒するように盛んに鼻を動かしている。


「ハムスターか。こんなもんもらってどうすんだ?」

「……それだけか?」

「ん?」

「他に何かこう、感想はないのか」

「他に?」

 そう言われて康峰は再び小動物を見る。

 小さい。ちょっと握りしめれば潰れて死にそうだ。詳しくないが、大きさや雰囲気から見てまだ子供だろう。

 それ以外に特に珍しい特徴はない。

「うむ、立派なハムスターだな。将来は大物になるだろう。それで?」

「……別に」

 何だか残念そうに紗綺は呟く。不満げとも言える顔だ。

 何だろう。俺は何か失言でもしただろうか。そこでふと思って付け足した。

「……可愛いな」

 ぱっと紗綺の顔が明るくなった。

「そ、そう! やっぱり先生もそう思うか? いや、私がこんな動物を飼っても仕方ないんだが、このくりっとした目で見られては抗えなくて。先生でもそう思うんなら、仕方ない!」

 うんうんとひとり勝手に頷く。

 ……何だか今日の彼女の様子はおかしい。とても生徒たちの先頭に立って勇ましく禍鵺マガネと戦っていたのと同一人物とは思えない。

 いや、むしろこれが本来の彼女なんだろうか。確かに十五歳という年齢を考えれば不思議じゃない。

 人間いろんな顔があるものだ。


「ただ、困ったことがあって」

「どうしたんだ?」

「後で気付いたが、学生寮はペット禁止なんだ。寮内じゃ飼えない」

 言われてみれば教師の頃にそんなルールを聞いた気もする。

「それで? まさか野に放つ気じゃないだろうな」

「そんなことしたらこの子はすぐ死んでしまう。他に飼える場所を探すしかない」

「うん……?」

 まだ話が見えない。

 すると少し先にある不動産屋を指さして紗綺は言った。


「だから土地を買う相談をしよう、と思った」


「…………」

——『普通の女の子』までの道のりは遠そうだな……

「そんなもん黙ってこっそり飼ってしまえよ。ハムスターがどんなもんか知らないけど、犬や猫みたいに鳴いたり臭ったりしないだろ。バレないって」

 それが普通の女の子的な発想だぞ——とまでは言わなかったが。

 だが少女は緋色の髪を揺らしてぶんぶん首を振る。

「駄目だ。ルールをげるのはよくない」

 そういうところはやはり紗綺らしい。

 しかし、そこでどうして土地を買おうなんて発想になるのか。お金がどうこういう以前の問題だ。


 紗綺が指を差し出すと、ハムスターは匂いを嗅いだり噛み付いたりしようとした。

 少女はくすぐったそうに目を細めてそれを見ていた。口元が無意識に緩んでいる。

 康峰が知らない表情だった。

 こうしてると『普通の女の子』にしか見えないんだが……


「じゃ学生寮の寮長に相談してみよう」

「寮長に?」

「ああ。ルールに沿っていればいいんだろ? じゃあペットを飼うなっていうルールを寮長に変えてもらえば問題ない」

「うぅん。それはそれでズルいような……」

「ズルくて悪かったな。でももしそういうふうにルールが変わったら他の生徒もペットが飼える。喜ぶ者もいるかもしれないぞ」

「……それもそうか。分かった」

 ようやく納得してくれたようだった。


 ハムスターを籠にしまった紗綺を伴って学園に向かいかけた康峰は、ふと紗綺に訊いた。

「それで、学生寮の寮長って誰なんだ?」

「なんだ、知らなかったのか? 先生もよく知ってる生徒だぞ」

「俺がよく知っている……生徒?」

 なぜか、嫌な予感がした。

 

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