第9節 8日前 Ⅰ.

 

「あっ、クローネちゃん! クローネちゃんだ!」

「すっごーい本物! こっち向いて~!」


 校庭を歩く我捨道がしゃどう玄音くろねに気付いた女子生徒たちが手を振った。

「応援ありがとー。学園祭、楽しもうね♪」

 クローネこと玄音も慣れた笑顔で手を振り返した。

 荻納おぎのう衿狭えりさは隣でそんな彼女を見ていた。

「いっぱい付き合わせてごめんね、エリちゃん♪」

 玄音が衿狭に向き直り微笑む。


 衿狭はこの数日、玄音の付き添いで島内のいろんな場所を案内していた。

 新生徒会の女子も数人後ろに付いてきているが、玄音は何でもまず衿狭に訊いてきた。よほど気に入られてしまったのか。懐かれたと言うべきか。

——分からない。

 数日間行動を共にしたが、衿狭にはいまいちこの自称ネクロマンサーの本心が掴めない。

 いっそ本心なんてないんじゃないかという気さえする。

 まぁ少なくとも……

 こういうコが男子は好きなのかな——という気はする。

 真似する気もないけど。


「ねねねエリちゃん、ずっと気になってたんだけど訊いていい?」

「何を訊くか訊かずにそれ訊くのズルいよね」

「エリちゃんって先達せんだつ君と付き合ってるの?」

 ずばり。

 という擬音が鼓膜に刺さるくらいのストレートな質問。まだ訊いていいとも言ってないのに。

 思わず衿狭は息を呑む。

 ついでになぜか後ろの生徒会女子たちも息を呑む気配がある。


「……どうして訊くの?」

 衿狭は平然を装って言った。

「あ~っ、質問に質問で返すのはズルだよ?」

「ズル返しだよ」

「もし付き合ってないならぁ、チャンスかなーって♪」

「……へぇ。沙垣さがき君ってモテるんだね。ちょっと意外」

 玄音のほうを見ずに口を動かした。

「そう? 結構モテても不思議じゃないって思うけどな。頑張り屋さんだし、真面目だし、面白いしね。あとすぐ慌てるトコなんて可愛くない?」

「分かってるじゃん」

 なんて言い返せる心境ではない。

 むしろ競合他社が商品の強みをリサーチ済みだという事実に冷や汗が浮かぶ。一刻も早く手を打たねば。

「そうかな」

「またそんなこと言って。エリちゃんもそう思ってるんでしょ?」

「そんなこと——」


 不意に怒鳴り声が聞こえた。

 衿狭は言葉を止めて声のしたほうを見る。

 声は校庭の一角にある倉庫のほうから聞こえた。あまり人の寄り付かない、ほとんど裏山との境界に当たる部分だ。

「何だろ?」

「さぁ」

 衿狭が知るはずもない。

「行ってみちゃお♪」

「え? あ、ちょっと!」


「クローネさん⁉」「危険です!」


 生徒会の面々が声を上げるが、止める暇もなく玄音は駆け出していた。

 ピンクのツインテールがぽんぽん揺れる。

 生徒会の女子たちが慌てて後を追った。

——勝手なんだから……

 仕方なく、衿狭もその後に続く。



「ねぇ、かなりデカい音しちゃったけど大丈夫?」

「こんなとこ誰も来ないし。ビビんなって」

「次、仮面も剥がしちゃえば?」


 鴉羽からすば学園の制服に身を包んだ女が三人、倉庫裏の物陰に集まっていた。

 よく見るとそれに囲まれるように地面にひれ伏している少女もいる。

 まるで下着のような薄い布に身を包んだ少女は泥水でその服も顔も汚れていた。

 少女は天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろ

 底辺に落ちた元生徒会長だった。

 取り囲む女子生徒のひとりが顔の仮面を剥がすと、生々しい傷跡が露わになる。かつて鵺化ぬえかした生徒に負わされた傷だ。

「うわ、ひさーん。こんな顔じゃ一生オトコもできないねぇ?」

「…………」

 舞鳳鷺は黙っている。

 黙って燃え盛るような目を女に向けている。

「何コイツ。まだこんな目ができるわけ? マジイラつくんだけど」

 リーダー格らしい女子が舞鳳鷺の前髪を掴んで引っ張った。

 舞鳳鷺の顔が一瞬痛みを堪えて歪むが、すぐに睨み返す。

 女子が舌打ちした。


「あ~っ、いけないんだぁ♪」


 不意に背後からの声にびくりと三人が肩を震わした。

 振り返る。

 午後の夕日を背に、我捨道玄音が三人を指さしていた。口元は笑っているが目を大きく開き、陰影のなかで不気味に光っている。

「そういうのイジメって言うんだよ。先生に言い付けちゃうよー♪」


「ちょっと、我捨道さん……」

 遅れて衿狭や生徒会が駆け付ける。

 そこにいる舞鳳鷺たちを見て言葉を呑んだ。

 『いじめっ子』たちは何人も目撃者が現れたことにちょっとたじろいだが、リーダー格だけは構わず鼻を鳴らした。

「分かってないねぇ、これはイジメなんかじゃない。『制裁』だよ」

 舞鳳鷺の髪を掴む手に力を籠めて言う。

「あんたが知ってるか知んないけど、こいつの所為で何人も死んだ。あたしの知ってる子もね。こんなんじゃ全然足りないっつの」

「そなの?」

 玄音が衿狭に目を向ける。

「……まぁ」

 衿狭は答えを濁した。


 言う間でもなく。

 衿狭にも舞鳳鷺を庇う理由はない。

 むしろ、こうなって当然だ。

 と言うか舞鳳鷺が学園に戻って来て数日、こんなことが起こらなかったのが不思議なくらいだ。いつもくるるが一緒にいるので手を出せなかったのだろう。

 舞鳳鷺は相変わらず唇を噛み締めている。

 別にこっちに助けを求めようともしない。

 助けが入ったとぬか喜びする様子もない。

 その頑固なまでの姿勢だけは立派だ。


 だが、生徒会の女子は前に出た。

「ちょっと、こんなの見過ごせないわ。やめなさい」

 少し震える声で言う。

「何言ってんのよ。あんたらこそムカついてんでしょ?」

「え?」

「知ってるよ。あんた前から生徒会だよね。このクソ女に命じられていろいろ汚い仕事押し付けられてたでしょ? 一番こいつにムカついてんのはあんたらじゃないの。代わってあげようか?」

「い、いや私は別に……」

 少女はちらりと舞鳳鷺に目を向けたものの、言葉を落とした。

 他の生徒会も同じように目を伏せる。


「……やればいい」


 ぽつりと低い声が言った。

 舞鳳鷺だ。全校集会のときも聞いたが、かつての高らかな囀りとは程遠い。地の底から響く呪詛のような声音で彼女は言う。

「いまのうちに好きなようにやればいい。いずれ私が返り咲いたときには楽しみにしていなさい。後悔も謝罪も埋め尽くせない目に遭わせて差し上げますわ。ふ、ふふふ……うぐっ」

 リーダー格が舞鳳鷺の髪を掴んで顔を寄せる。

「面白いじゃん。ね、本人がこう言ってることだし、もっと遊んであげようよ。男でも呼んでくる? こんな顔でもヤリたいって男くらいいるでしょ」

「あー、あたし心当たりあるかも」

「そしたらきっとコイツももうちょっと素直になるんじゃない?」


「ねぇエリちゃん、止めないの?」

 玄音が耳元で囁いた。

「なんで私が……」

「エリちゃんそんな冷たい子じゃないでしょ。クロ分かるもん」

 よく言う。

 ほんの数日の付き合いだし、衿狭のほうは玄音のことが全く分からないのに。

「無理無理。そいつは止めないよ」

 リーダー格の女が口を挟んだ。

 見透かしたような目で衿狭を見て、言った。


「あんた確か仲良くしてた子が自殺したよね。夜霧よぎり舞宵まよいだっけ? あれだってこいつの所為みたいなもんでしょ?」


 思わず息が止まる。

 舞宵の姿が脳裏を過った。

 確かにそうかもしれない。

 舞宵の死と舞鳳鷺は直接関係はない。だが舞鳳鷺が生徒会を腐敗させた。学園を無茶苦茶にした。だから舞宵の自殺も引き起こされた。

 元凶はこの女だ。

 だけど。

 衿狭は少女たちのほうに近付いて行った。

 舞鳳鷺に手が届く距離まで足を進める。

「ま、そうかもね。こいつの所為かも」

「でしょ? あんたもやる?」

「やらない」

「……なんで?」

「なんで?」

 リーダー格の女の問いに、衿狭は薄く嗤って彼女を見た。


「だってクソダサいし。いかにも負け犬がすることって感じ」


「……あたしらのこと言ってんの?」

「いちいち訊かなきゃ分からない?」

「あんたさぁ、いつもそういう態度だよね。見下してんの?」

 リーダー格が衿狭を体で押そうとする。

 衿狭の手が音もなく素早く背後に回った。

 そこに隠したナイフを鞘から抜き出そうとして——


 不意に、場違いな拍手が響いた。

 衿狭はナイフの柄を持った手をぴたりと止める。

 衿狭も女たちも揃って振り返った。

 玄音の後ろ、校庭のほうからいつの間にか現れた喪服の少女が笑顔で拍手していた。新生生徒会会長・豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじ枢だ。

 拍手を止め、頬に手を当てて言う。


「あらあら。悲しいですわね、わたくしを除け者にしてこんな楽しそうな出し物をやるだなんて。学園祭はまだ先ですわよ?」

 

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