第8節 10日前 Ⅱ.

 


 鴉羽からすば学園はなだらかな山肌に沿うように校舎が配置されている。

 校舎を囲む塀を一歩越えればそこは鬱蒼たる森林が広がる。

 その自然のなかにはこの島でしか見られないような、独自の進化を遂げた生き物や植物がたくさん棲息する。チョウやガのような昆虫から、サンショウウオ、ウサギなどの動物がそうだ。

 禍鵺マガネさえ出なければもっと観光客が犇めいていたことだろう。

——ある意味で禍鵺もその一種かもしれないが。

 ともあれそんな豊かな自然こそが四方闇島よもやみじまの本来の姿と言えるかもしれない。


 その森のなか。

 鴉羽学園校舎から少し離れた位置に、《研究所》とやらは建っていた。

「と言うかこれは……」

 軛殯くびきもがり康峰やすみねはその前に来て呟いた。

「猫工場のあったところか?」

 禍鵺が現れる前まで町工場のひとつとして使われていた建物だ。

 人間がいなくなったあと野良猫が棲み付いたので《猫工場》なんて愉快な仇名が付けられた。

「正解です。急ごしらえですが、廃工場を改築して研究所代わりにしてもらったのです。さぁ、どうぞなかへ」


 新橋しんばし久雨くれいんのモビリティに先導されて、康峰たちはなかに入った。

 急ごしらえにしてはなかは見違えるように整理されている。

 壁沿いに資料や書類を纏めた棚、何だかよく分からないメモ書きのされたホワイトボード。何だかよく分からない機械の散らかった机、床。

 だがそんなものを差し置いて——

 明らかに視線を惹く物が部屋の中央に鎮座していた。

 康峰だけでなく灰泥はいどろ煉真れんま小烏こがらす遊鳥ゆとりも思わず足を止めて見上げる。

 しばらく見惚れたあと、ぽつりと遊鳥が言った。

「これって、禍鵺……なわけないよな?」


 2メートルを超える巨体。

 二本の腕の他に背中からも生えた腕。

 無機質な機械の体。

 脚部は重機のキャタピラーのような、いわゆる泣く子も黙る無限軌道だ。

 そして頭部の水平に走る赤い単眼モノアイ——

 明らかに禍鵺そのものではない。

 だが一瞬それと認識しかけたのも頷ける。その風体、デザインは禍鵺を彷彿とさせるものだった。


「ふふっ。そんなに驚いてもらえると、きっとこの子も嬉しいでしょう」

 久雨が康峰たちの反応を見て微笑む。

 どこか鼻が高そうにも見えた。いわゆるドヤ顔。

「新橋、こいつは一体?」

「禍鵺との戦闘を予期して僕が開発した自立型戦闘兵器——ってところですね。尤もまだ実用段階にはない。禍鵺を倒すには至らないけど、禍鵺を想定した模擬戦くらいには役立ちます。そういう意図もあって禍鵺に似せています」

「なるほど……禍鵺モドキってところか」

「ええ。仮で《擬禍鵺マガノイド》と呼んでいます」

「マガノイド……」

 康峰は改めてその巨体を見上げる。

 いまにも襲ってきそうな物騒な雰囲気だ。

 発想は理解できるが、それを実際に作ってしまうとは。

 涼しい顔してやはりただならぬ天才らしい。


 その後も久雨の研究紹介は続いた。

「……そこで僕は特定の周波数を流して禍鵺を一か所に集める装置が開発できないかと考えた。禍鵺が一種のエコーロケーションのように自らの吐く霧で人間の位置や距離を認識している可能性は以前から……」

 三人に話していると言うより、独り言のような口調だ。康峰たちは置き去りだった。

「そ、そういえば新橋さんは、どうして鴉羽学園に来たの?」

 これ以上よく分からない講義を続けられないためか、遊鳥が強引に話の腰を折って訊いた。

 久雨は不意を衝かれて目をぱちくりする。

 が、すぐに答えた。

「それはその……貴方たちと同じですよ」

「俺たちと同じ?」

「禍鵺から人々を守る。そのために僕の頭脳が役立つなら。そう思っただけです」

 遊鳥が目を丸くした。

「すごっ。立派なんだな、新橋さん」

「そ、そうですか? それならこの学園の皆さんも……」

「俺たちなんて嫌々やってるだけだよ。いざ禍鵺が出たら逃げ出す奴もいるしさ。好きでこの学園に来た奴なんかいないんだ」


 確かに。

 遊鳥の言う通り鴉羽学園の生徒は《ワケあり》で集められた者揃いだ。

 一部の例外——康峰の知る限り、紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さきを除いて自らの意思でこの学園に来た者なんていない。

 ちなみに彼女は規格外だ。自分が禍鵺ならあの緋色の髪が見えた途端逃げ出す。

 ともかく康峰もこのモビリティの少女に改めて感心した。

 だが——

 本当にそれだけだろうか。


「その点自分から『役立ちたい』なんて言える新橋さんは凄いって話。俺ファンになっちゃいそう。てかなる」

「お、大袈裟ですね。ファンなんて、我捨道がしゃどうさんじゃあるまいし……」

 久雨は居心地悪そうに頬を染めた。

「え~そうかな? 俺は最初クローネちゃんと君と新会長さんが現れたとき、三人で新ユニットでも組むのかと思ったよ。三人とも美人だもん」

「い、言い過ぎですって」

「そんなことないって。なぁセンセー?」

「ああ、まぁ……」

 康峰は曖昧に応える。

 まぁ少なくともそうなったらファンはできそうではある。


「……どうだかな」


 不意に、硬い声が背後から聞こえてきた。

 さっきから沈黙を守っていた煉真が腕を組んでいる。

「どういう意味ですか?」

 久雨がハロウィンの仮装みたいなふざけた仮面を付けた男に訊いた。

 煉真は擬禍鵺を見上げながら答える。

「別に。それがもし本心だとしたらずいぶん立派だとは思うけどな」


——こいつ、黙っておけと言ったのに……

 康峰が睨むが、煉真はそっぽを向いている。

「おい、ヘンなこと言うなよ。はいど……ゲフン」

 名前を言い掛けた遊鳥がごまかす。

「そりゃ悪かったな。おいセンセー、俺にはこの場所は合わねぇみたいだ。外で待ってる」

「そう言わずに」

 久雨が康峰より早く口を開いた。「ゆっくりして行ってください。灰泥煉真君?」


「げっ」

 康峰は踏み潰された蛙のような声を漏らした。

 何故か、久雨は煉真の正体に気付いていたらしい。

 当の本人である煉真はじっと久雨の目を見返している。

 久雨が言った。

「生徒のことは予め大体調べています。要注意人物である灰泥煉真についても知ってますよ、その風体とか性格もね。……それに、先日事件を起こした彼が普通に素顔で学園に戻ったとは考えづらい。かと言って処分されたとも聞かない。となると教師や生徒会の監視下で泳がされてても、不思議ではありませんからね」

「ちっ」

 舌打ちした煉真が仮面を剥がす。「バレてんならもう意味ねえよな」


 煉真は改めて久雨を睨む。

「……確かに」

 久雨はやや視線を落として言った。

「僕がこの学園に来た理由は、他にあります。と言うかこっちが本音です」

「なんだ?」

 久雨の表情がこころなしか少し翳った。

「本当の理由は……姉さんです」

「姉さん?」

「ええ。この学園には僕の姉さんがいたんです。あ、血の繋がった姉妹ってわけじゃなく。同じ施設で育っただけです。でも姉さんは僕にとても親切にしてくれた。何でも知ってて、僕は姉さんからいろんなことを学びました」


「へえ~」

 遊鳥が興味深そうに声を上げた。

「そんな頭いいヒトこの学園にいたんだなぁ。知らなかった」

 確かに。

 この鴉羽学園は戦士を養成する機関。授業なんてものはほとんどない。当然知能レベルは著しく低い。

 そのままではいかんということで康峰が雇われたのだ。そのことは康峰が一番よく知っている。

 そんな学園でこの新橋久雨を凌ぐ秀才などいただろうか。

 ……ん?

 姉さんが『いた』?

 ——不意に言い知れない寒気が走った。


「もうお姉さんには会ったの?」

 遊鳥が訊く。

 久雨は首を左右に振った。

「姉さんはもうこの世にいないんです。死んでしまった。でも僕は納得が行かない。どうして姉さんが死んだのか、何が起こったのか……その真相を明らかにしたい。それがこの学園に来た一番の理由です」

「そ、そっか……」

——やっぱりだ。

 間違いない。

 康峰は言った。

「その姉さんと言うのは——兵極ひょうごく廻理めぐりか?」


 兵極廻理は元生徒会の副会長だ。

 確かに彼女も頭脳明晰だった。そう言われれば久雨の話し方は彼女を彷彿とさせるものがある。

 だが——

 禍鵺に襲われたのち、《鵺化ぬえか》した。

 康峰もその現場にいたからよく知っている。


「姉さんを知ってるの?」

 久雨が瞳を光らせて康峰を見た。

「まぁ、知ってると言うほどでは……」

 言いながら思わず目を逸らす。

 兵極廻理はただ鵺化しただけじゃない。

 鵺化したあと捕獲された彼女は、当時生徒会長だった天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろによって利用された。禍鵺と戦う道具・・としてぼろぼろになるまで使われたのだ。

 最後は暴走し、舞鳳鷺の顔に大怪我を負わせて消えたが。

 舞鳳鷺の顔の左側を覆う仮面の下は彼女の置き土産だ。

——まずいな……

 久雨のいまの口振りでは、その辺りを知らないのだろう。

 知っていれば舞鳳鷺に何もしていないとは思えない。


「尤も」

 久雨が気持ちを切り替えるように言う。

「いま最優先事項は学園祭です。姉さんのことは後回し。くるるちゃんがこの擬禍鵺を学園祭で披露したいって言ってて、それに間に合わせるために大忙しですよ。そうでなくても人手が足りないって言うのに、困ったお嬢様です」

 唇を尖らせて少女は言う。

「研究所には他にいないのか?」

「何人か手伝いは来てもらってます。それでもなかなか……」

「なるほどな」

 康峰はふと振り返って煉真を見た。「そうだ、灰泥。お前が彼女の助手をやってやったらどうだ?」

「はぁあ? なんで俺が?」

「力仕事が得意な男手があれば助かるだろ?」

「いや、けどよ……」


 煉真は困惑するように康峰と久雨に目を遣る。

 その目は暗に「監視対象の俺にそんな役目をやらせて大丈夫か」と言っているようだった。

「大丈夫さ。ここなら他の生徒に出くわす危険も少ないしな。俺もときどき様子を見に来る。どうだ、新橋?」

「僕は助かりますけど……いいんですか?」

 ちらりと煉真の顔を伺う。

 煉真はしかめっ面をしつつも、断る材料が見つからなかったか、「俺は別に」とぶっきらぼうに答えた。


「……あのぉ~、俺は?」

 遊鳥が自分を指さして言った。

「俺の監視役なんだ。当然お前もこっちだろ」

「マジ? おおっ、へへ。宜しく、新橋さん」

 遊鳥はニマニマした顔で久雨に言った。

 てっきり嫌がるかと思ったがそうでもない。

 危険人物より可憐な天才少女の存在のほうが勝ったらしい。

 やっぱり女好きだ。



 康峰は再び擬禍鵺を見上げた。

 不気味な巨体は沈黙を保っている。

——妙なことにならなきゃいいけどな……

 そんな儚い思いが浮かんで、すぐ霞んだ。


 この学園でそんな甘い望みが叶ったことがない。


 

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