第7節 10日前 Ⅰ.

 


「変わらないな……」

 約ひと月ぶりに見る鴉羽からすば学園の校門を前に、軛殯くびきもがり康峰やすみねは呟いた。

 学園長の雑喉ざこうと会った翌朝。

 校舎には今日もうっすら霧が掛かっている。

「いや、ひと月程度でそんなに変わるわけもないか」


 それにある意味ではかなり変わっている。

 いま学園は未曽有の学園祭開催に向けて生徒を中心にその設営や準備に大忙しだった。

 最初はぎこちなかったその動きも数日するうちに板についてきたらしい。

 康峰はひとまず新生徒会長の豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじくるるとやらに挨拶しにやって来ていた。

 教師が生徒に挨拶するというのもおかしな話だが——

 ここは鴉羽学園。世間の常識は通用しない。

 それに、康峰としても学園を騒がす新生徒会長に興味はあった。


「おい、さっさと行こうぜセンセー」

 背後から灰泥はいどろ煉真れんまが言った。

 振り返ってその顔を見る。

 顔全体を覆う無機質な白い仮面。目や鼻の部分にぽつぽつと開いた小さな穴。

 誰もこれがひと月前学園を騒がせた問題児とは思わないだろう。

——まぁ、ある意味別の殺人鬼みたいだけど。

 チェーンソーか斧でも持って特定の日付の金曜日に追いかけてきそうだ。


「何だよ」

「いや、よく似合ってるぞ灰泥」

「ふざけてんのか? あんたが言うから仕方なく着けてんだぞ。俺は剥がしてもいいんだぜ」

「馬鹿、そんなことしたら大騒ぎだぞ。お前のことを快く思ってない連中もいる。ボコられても知らんぞ」

「上等だ。ボコり返してやんよ」

「お前なぁ……ともかく学園内ではその仮面は必須だ。あと喋るなよ。必要なことは俺が話す」

 煉真は渋々といった顔——も見えないが、多分そんな表情で頷いた。


「あの……」

「うおっ、びっくりした」

 煉真の反対側から影のように忍び寄った少年がいた。

 鴉羽学園の黒い制服に、新設された生徒会の証である紫紺の裏地のケープを纏っている。

 雑喉が昨日言っていた『保険』だ。

「急に死角から話し掛けるなよ……何だ?」

 康峰は訊いた。

 煉真のほうをちらちらと伺いながら彼は囁いた。

「アイツがもう前みたいに暴れないって話、ホントかセンセー?」

「……少なくともこのひと月は、その様子はないな」

「けどもう暴れないって保証もないんだろ。それって大丈夫なのか?」

「さぁそれは、何とも言えないな」

 何とも言えないからこそお前がいるんだろう——とは思ったが。

 彼の気持ちも分からないではない。

 その絶望的な表情は彼が決して志願してここにいるわけではないことを雄弁かつ露骨に物語っていた。


「心配するなよ。大丈夫だって、えーと、小鳥遊烏君?」

 そう言って少年の肩を叩く。

 少年はじろっと康峰を睨む。

小烏こがらすだよ。小烏こがらす遊鳥ゆとり

「あれ? そうだっけ?」

「知らないのか? 生徒の名前を間違えるのは教師的に一番NGって話」

「悪い悪い。小烏遊鳥、か……えーと、個性的でいい名前だな」

「テキトーな褒め方すんなよ。ったく、頼むぜ首切り肝狩り先生」

「お前もエキセントリックな間違え方をするな。そんな名前の教師がいるか」

 教師とか言う問題でもない気もするが。

「てかセンセーの名前なんかどうでもいいんだよ。俺は学園長ザコイチに無理やり頼まれたんだ、別の奴と代えてくれよ」

 人の名前を杜撰に扱っておいて図々しい奴だ。

「そう言われてもなぁ……」

「頼むよ、俺だって学園祭をエンジョイしたい。何なら女の子と一緒に歩いて回ったりしたい。何が悲しくて学園イチの問題児と一緒に過ごさなきゃならないんだって話」

「それが本音か」


「悪かったな、女じゃなくて」


 いつの間にか忍び寄った煉真が言った。

「うげっ! ……き、聞こえてた?」

 ぎろりと煉真が睨む。

 が、すぐに鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 遊鳥がほっと胸を撫で下ろした顔をした。


——大丈夫かな……

 康峰もこのふたりを一緒にしないほうがいい気がしていた。見るからに水と油だ。むしろ煉真を怒らせかねない。

 とはいえこの忙しい時期に、すぐ別の人手が用意できるとも思えない。

 ……とりあえずもう少し様子を見よう。

 問題を先送りするのは得意だ。と言うかそれしかできないと言ってもいい。まぁ何とかなる。

 そういうわけで康峰は校門を潜った。

 ふたりがあとに続く。



 途中、何人かの生徒と擦れ違ったが、誰もあの灰泥煉真とは気付かなかったらしい。三人は無事生徒会棟に辿り着いた。

 なかに入り、物々しい廊下を歩いて生徒会室の前に着く。

 その扉をノックしようとしたとき。


「いませんよ、枢ちゃんなら」


 涼やかな声が聞こえた。

 ノックしかけた手を止めて廊下の向こうを見る。

 少し視線を下げた。

 声の主の少女は車輪の音をからから立てて近づいてくる。その表情はどこか弱々しく、儚げながらも笑みを浮かべていた。

 ぽつんとした小さな眉。二重の瞼。

 夜明けの月のように透明感のある髪に、青緑の差し色。髪先は肩の辺りまで伸びてボブに近い。

 車椅子に乗っていても小柄で痩せ身なのは分かる。

 何だか、すぐ目の前にいるのにどこか消え失せそうな——それでいて瞳は知性的で、好奇心の強そうな光を湛えている。

 どうやら噂に聞いた新生徒会のひとり、《天才少女》らしい。

 ……まぁ「車椅子」という特徴だけで分かるが。


「ごめんなさい。いきなり話しかけて。枢ちゃん——新生徒会長にご用ですよね?」

「ああ、そうだが……あんたは新橋、久雨くうだったか?」

 そう言うと、少女は困ったような、苦笑するような笑みを浮かべた。小さな眉をハの字に曲げて言う。

「えっと、クレインです。……新橋しんばし久雨くれいん

 さっき注意されたばかりなのにまた名前を間違ってしまった。

——いや、間違うだろ誰でも。

 そんな内心のツッコミを察したように久雨が顔を曇らせた。

「変な名前ですよね。ごめんなさい」

「い、いやそんなことは……」

「いやいや! 可愛いし格好いいよ! クレインって鶴のことだよね?」

 急に声を弾けさせて後ろの少年が言った。遊鳥だ。

 煉真もびくりとするようなテンションに康峰も思わず彼を見る。

「そ、そうかな? 自分ではあまり気に入ってないんですけど……」

「そんなことないって。な、センセー?」

「ああ、うん……個性的でいい名前だな」

「あんたそれしか手札がないのかよ」

「ふふ、ありがとうございます。首肝狩先生」

「おおっ、センセーの名前を憶えてるとは。流石噂の天才少女って話」

 遊鳥が感嘆した声を出した。

「……なんか間違ってなかったか? イントネーションと言うか」

「そうか?」


「おい」

 煉真がぼそりと呟く。

 仮面の下から康峰を睨む。「いつまで無駄口叩いてんだ」と言いたげだ。遊鳥が冷水を浴びたように首を竦めた。

 ……一応、「喋るなよ」という康峰の言いつけを守ろうとはしているらしい。

 天才少女は明らかに場違いなジェイソンモドキをちらちら見たが、何も言わなかった。

「ごほん、ええと、新生徒会長に会えるか?」

「構いませんよ。少しすれば戻ると思います。待ってる間、なかへ案内しましょう」


 久雨が前に進んだ。

 正確には久雨の乗る車椅子が前進した。

 ほとんど久雨が動かした気配はなく、まるで自分の意思を持つように自在に動く。

 しかも康峰たちの足をうまく躱し、扉の前に来ると90度回転するような小回りの利く動作も見せた。

「……ずいぶんよく出来た車椅子だな」

「モビリティです」

「なに?」

「この子は普通の車椅子とは違いますから。モビリティ、と呼んでます。僕の一番の作品です」

「えっ、これ自分で作ったの?」

 遊鳥の言葉に少女は頷く。

「はい。普通の車椅子ではあんまり不便で、人にも迷惑を掛けてしまいますから。最初はちょっと移動が便利になるようにと考えてのことでしたが、どんどん拘るうちに高速移動や小回りまで追及して、いまはこの通り。浜辺や荒れ地も走れるんですよ?」

 こころなしか誇らしげに久雨は胸を反らせた。

 少年のような平べったい胸を。

「すっげぇ。流石天才!」

「ま、まぁその、全部ひとりでってわけじゃないですけどね。僕と姉さんと、他の人の手もたくさん借りましたから……」

 遊鳥に褒められて少し恥ずかしくなったのか、少女ははにかんで付け足した。

 そうだとしてもやはり見事な作品だ。


 改めて新橋久雨を見る。

 こんな小柄な少女がこれだけのモノを作ったとは驚かされる。

「他にはどんな発明品があるんすか?」

 また横から遊鳥が口を挟んできた。

 さっきまで煉真の監視役に青褪めていたとは思えない。まだ会って間もないが、こいつはかなりの女好きに違いない。

「そうですね……」

 顎に指を当てて、考えるように枢が言った。

「折角ですから、《研究所》に来ますか?」

「研究所?」

「ええ」

 モビリティを半回転させて、久雨は康峰たちに意味ありげな笑みを見せた。


「きっと、先生たちも退屈しないと思いますよ」


 

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