第6節 11日前 Ⅱ.
その前日。
「いやはやお忙しいなか、ご苦労様ですな。雑喉学園長」
ややあって現れた初老の男が雑喉に声を掛ける。
彼は
この
しかし多くの島民は親しみと敬意を籠めて彼を「島長」と呼ぶ。
正式にはそんな役職はないのだが。
「いやしかし、まさかアイドルのクローネさんがこんな島に来るとはねぇ。形だけでも町長をやっておくものですな。会っただけで若返る気分ですよ。実物はテレビで見る以上の美人ですねぇ。まぁうちの娘も負けておりませんが? ひょっ、ひょっ」
伽羅はどこまで冗談か本音か分からないことを言いながら独特な笑い方をした。
雑喉は苦笑いを返す。
なんと言うか失礼だが——初対面で「山羊のような男だな」と感じた。実際小柄で背が曲がり、柔和な表情は好々爺然としている。
だが時折見せる鋭い眼光は彼がただの老人でないことを感じさせた。
尤もそうでなければこの四方闇島のトップが務まる道理もない。
実際聞くところによると、剣の腕は達人級であったり、若い頃は様々な仕事を経験し多芸だとかいう噂もある。
命がけの諜報活動をしてたとか、海外で長く医療支援のボランティアをしてたとかとも聞く。どこまで真実か分からない。
だがそんな噂のどれが真実でも不思議ではない——そう思わせる雰囲気が彼にはあった。
何とも底知れない老人。
それが伽羅与一だ。
四方闇島における《三頭》は定期的にここで協議をしていた。
三頭——
島における行政の長と言うべき島長・伽羅与一。
そして島の警察的存在である
「残念ながら新たに天代守護支部長に就任した
「なんと。そうですか」
「まぁ例の失踪事件もありますから。ご多忙なのも無理なきことでしょう」
伽羅の言葉に、雑喉も頷いた。
例の失踪事件——
事の発端は数週間前。
いくつもの目撃情報が天代守護に寄せられた。
山深い森のなかで
「最初は天代守護も悪戯かと無視しようとしたらしいですがねぇ。私のところにも多数通報が寄せられまして。無視できなくなり、調査に出向いた……が、その者たちも消息を絶ったと。何とも香ばしいですねぇ」
天代守護が行方不明となると彼らも本腰を入れて調査に乗り出さざるを得ない。はっきり言って学園祭どころではないだろう。
尤も、異形の怪物が出没する島だ。
このくらい、そこまで珍しい事件でもない。
「ま、そちらは彼らに任すとして。我々は雑用を済ましていきますかな。まず何より——今度開かれる《学園祭》。こちらについてですな」
「ええ」
自分の肩を揉みながら話す伽羅に、雑喉も渋い顔で頷いた。
「伽羅さんにもご迷惑をお掛けしますが、人手がほしい。主に警備や学園祭のサポートですが、それだけではない。新生徒会長のお嬢様は大々的に祭りを開くため、島外からも大勢人を招きたいとか。となると宿泊地も足りない」
「ええ、ええ、その辺りは委細承知。諸々手配しましょう」
「助かります」
笑顔で快諾する伽羅に、雑喉もほっとした。
「しかし……」
伽羅が改まって難しい顔をした。
「私のほうでも、どうしても手配できないものもある」
「と言うと?」
「言わば、生徒の《こころ》ですな」
「こころ?」
鸚鵡返しにする雑喉に、伽羅は頷いた。
「人手不足は金で何とかなる。しかし人間の精神面はそうは行かない。これから開く学園祭は未曽有の大規模であり、何が起こるか予測つかない。こういうとき、必要なのは人手や資金以上に、信頼の置ける人材です」
「信頼……」
「それに、先日の事件は生徒たちのこころにも傷跡を残しておるでしょう。そういう彼らをケアできる人間もほしい」
そんなことはない、と否定はできなかった。
確かに表面上は事件は解決した。生徒たちも日常に戻っている。
だが水面下では問題を抱えた生徒がいても不思議じゃない。学園や天代守護への不満を募らせる者だって。
そもそも彼らは無理やり島に連れてこられ戦いを強いられている。
だがその生徒会長も代わる。
状況がどう変わるか雑喉にも予測がつかない。
改めてその現状を認識し、雑喉は顔を強張らせた。
「……学園祭を
伽羅が自分の顎鬚を擦りながら言った。
「確かに。しかし、その点ではご心配なく」
「ほう? 誰か心当たりでもありますか?」
「ええ、まぁ」
雑喉は身を乗り出して言った。
「適任者がいます」
***
「というわけだ」
「どういうわけです?」
雑喉用一の言葉に、
食い気味に。
「君には準備期間含め学園祭の開催中に、生徒たちの気持ちのケアをしてほしい。表向きは『指導員』辺りにでもなってね」
運転しながら雑喉が説明する。
車の窓からは四方闇島を囲む海が見えた。
車の後部座席で康峰は腕を組む。
ちなみに瞬間湯沸かし器こと
「誤解ですよ。私は別に生徒に信頼されてるわけじゃない」
「だとしても構わんさ。少なくとも私は君を信頼してる」
そんな決め台詞みたいなことをハゲのおっさんに言われてもな——とは口に出さなかったが。
本来ならお断りだと言いたいところだ。だが簡単にそうはできない。言うまでもなくさっきクビになり、いよいよ働き口を見つけるのが難しいからだ。
康峰は溜息を吐いた。
「どうしてそこまで生徒と関わるのを拒むのかね? 君は生徒たちと結構うまくやれてるように見えたが」
「……それが嫌なんですよ」
「うん?」
「何でもありません」
ひとつ息を吐き出すと、康峰は言った。
「分かりました。引き受けますよ。成果は保証できませんが」
「おお! よかった、そう言ってくれると信じてたよ」
雑喉は振り返って破顔した。
握手の手でも差し出さん勢いだ。前見て運転してほしい。指導員をやる前にふたり纏めてあの世行きは御免だ。
「きっと生徒たちも君に会えば喜ぶ」
「どうですかね」
「そういえば灰泥煉真とはうまくやれてるかね?」
「まぁ、殺されたり脅されたりしていないのを『うまくやれてる』と言うのであれば、良好な関係ですね」
「ふむ、とは言えいざという場合に彼を取り押さえられるだけの『保険』は必要だろう。《
「それはどうも」
「ともかく宜しく頼むよ。軛殯君」
雑喉の言葉に、康峰は曖昧に頷いて窓の外を見た。
水平線が見える。
穏やかな水面がどこまでも続いている。いい加減見飽きた、島の日常風景。
——本当にこれでよかったのか。
またあの学園に足を踏み入れるのか。
またあの生徒たちの前に立っていいのか。
相変わらず正しい判断かなんて分からない。
いつか見た幼い少女の幻が車窓に浮かぶ。
自分に——
その資格があるのか。
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