第5節 11日前 Ⅰ.

 


 四方闇島よもやみじま、噴水広場近くの工事現場。

 初夏の日差しが働く男たちを容赦なく照らしている。

 ひと月前に禍鵺マガネが町中を襲った未曽有の悪夢の爪痕は未だ残っている。人的被害こそ軽微で済んだものの、多くの建物が壊され燃えた。

 その再興は一朝一夕で終わるものではない。

 未だ島内の至るところで工事の音がけたたましく響いていた。


「おぉい! ふらふらしてんじゃねぇぞ、そこ!」


 現場監督らしい髭面の男が怒鳴った。

 その怒声の先ではヘルメットを被った男がリアカーを押している。

 遠目にもふらふらした足取りだった。リアカーに引っ張られているように見えなくもない。

 案の定、男は躓いて土砂を引っ繰り返した。


「何やってんだ新人!」

「ごほっ、げほぉっ」

 現場監督が溜まりかねて駆け付けてくるも、男は咳込むばかりで碌に返事もできなかった。

 ヘルメットから覗く肩まで伸びた白髪。

 さっき墓場から這い出てきたかのような青白い顔。

 そしてこの世のすべてを恨むかのような暗い瞳——

 明らかに工事現場にいちゃいけない面相に監督も一瞬たじろぐが、それでも怒鳴った。


「またお前かよ! 材木も運べねえ、砂も満足に運べねえじゃ何ならできる? もっと気合い入れろ!」

「気合い? 気合いと言ったか、いま?」

 男——軛殯くびきもがり康峰やすみねは掠れた声で言った。

「気合いで体調不良や病気がどうにかなるか。そうやって現実にある本当の問題から目を逸らし、何でも気合いだの根性だので解決しようとするからごほっ、何も解決しないんだ。当然若手は逃げる、いつまで経っても人は育たない。悪循環だ。……分かるか、建設業界の人手不足と停滞を招いているのは自分たちということが、ええ⁉」

「何のハナシをしてんだ、お前こそ本当の問題から目を逸らしてんじゃねえよ」

「くそっ、まさかこんな肉体労働しか残ってないとはな。なんでよりによって俺が一番苦手なことを……あっ、今度は立ち眩みが」

 ぶつぶつと言った男は不意に電池が切れたように倒れ込む。

「おい、何なんだよコイツ! 何しに来たんだ⁉」


「あー、悪い悪い」

 そこへ別の男が割って入った。

 まだ少年だが体格は周囲の大人に負けず、汗こそ浮かべているがこっちはピンピンしている。

 ヘルメットの下に覗く額から頬に掛けての切り傷の所為でやけに貫録があって見えた。

 灰泥はいどろ煉真れんまは康峰の肩を担いで言った。

「こいつは俺の連れだ。俺が何とかするから大目に見てくれよ」



「落ち着いたか、センセー?」

「……だからもう先生じゃないって。何度も言わせるなよ」

 建物の蔭に座って水を飲みながら、康峰はぼやいた。

 ヘルメットを脱いで白い髪を晒している。我ながら本当に工事現場なんて場所が不釣り合いだ。病院のベンチにでも座っているほうがよほど似合う。

 とはいえ、彼の言う通りようやく落ち着いてきた。さっきは暑さに相当頭がやられていた。監督にあんなふうに食って掛かるなんてらしくもない。

「はぁっ……」

 地面の蟻を蹴散らすほどの溜息が漏れた。

 泥臭いタオルで額の汗を拭く。

「なんで俺がこんな仕事を……」


 言っても仕方ないことだ。

 勢いで鴉羽からすば学園の教師を辞めたはいいが、仕事は要る。だがいざ探すと康峰に向いた仕事はない。配達員も警備員も務まらず、わずか一か月の間に職を転々とした。そうして行きついたのがこの現場というわけだ。


「ま、あんたがこういうの向いてねーのは分かってるって。俺が1.5人分働くからあんたは精々0.5人分頑張ってな」

「俺は精々半人前か……」

 いや、現状だとむしろ余計な仕事を増やしている。半人前どころかマイナスか。


 康峰は《白化病》という流行り病に罹っている。

 髪が真っ白なのもその所為だし、筋力も老人並みに弱い。よく見れば顔こそ若いが、ぱっと見で三十歳と言い当てられる者はいない。

 ちなみに心臓も弱い。衝撃を受けたり怪我したりすると割と簡単に停止する。だがしばらくすれば動く。

 こういう症状は他の白化病患者に見られない。冗談みたいな体質だが実際こうだから仕方ない。ともかくそのせいで何度死体と間違えられたことか。

 悔しいが煉真の言葉に従うしかない。


「じゃ、俺はそろそろ戻るぜ。あんたも回復したら来な」

 そう言って煉真が立ち上がった。

 ヘルメットを被り工事に戻る。

 康峰はその背中を見送った。

 ひとりになるとやけに蝉の声が頭に響く。否が応にも夏の到来を感じずにいられない。時折運ばれる風の匂いもすっかり夏のものだ。

 これからこの暑さが——いや、これ以上の猛暑が襲ってくるかと思うと眩暈がしそうだ。

 なんてことを思っていると——

 数分もしないうちに別の煩さが耳を襲った。


「痛ってねぇな! てめぇわざとやってんだろ⁉」

「ぁあ⁉ てめぇがぶつかってきたんだろうが!」


「げっ、あいつ……」

 康峰は慌てて騒ぎのほうに走って行った。



「あー、待った待った!」

 案の定、騒ぎの中心には煉真と若い男が掴み合っている。

 康峰は転がるようにふたりの間に割って入った。

「こいつは俺の連れだ。俺が何とかするから大目に見てくれよ」

「おい余計な真似すんじゃねーよセンセー! こいつが悪ぃんだ!」

「何だぁガキの癖に偉そうに!」

「ぁあ⁉ トシ関係ねぇだろ!」

「落ち着けって灰泥……あっ、急に立ち上がったからまた立ち眩みが」

 ひらひらと頼りなく康峰はへたり込んだ。

 その隙に煉真と掴み合っていた男が煉真に殴りかかり、それを躱した煉真がカウンターを炸裂させる。

 見ていた男たちが殺到し、そのあとは工事どころでなくなった。



「お前ら、クビ」

 工事事務所のパイプ椅子に座った現場監督は苦々しく言い放った。

 康峰と煉真は顔を見合わせる。

 お互いに「なんで俺が?」みたいな顔をしていた。監督は益々苦みを増した顔をする。

「なんだその顔。何か不思議か?」

「納得行きませんね。こいつはともかく何故私もクビなのか……」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」

「だったらなんでクビになったか明日までに考えてろ。あ、答えが分かっても帰ってくる必要はないぞ。と言うか二度と顔を見せないでくれ。じゃあな」


 蠅を追い払うようにして事務所から放り出されたふたりは、数分後にはすっかり着替えて現場の外に出た。

 まだ日は高い。

 日陰を歩くうちに港の近くに来た。

「……どうする?」

 煉真が言った。

 答えを期待してと言うより、事務的な口調だ。康峰とセットで何度もクビになってる煉真もすっかり慣れてるのだろう。特に悲壮感も絶望感もない。面倒臭そうでさえあった。

「俺が訊きたいよ。誰か答えを持ってるもんならな」

 自販機の釣り銭入れをパカパカしながら康峰は言った。

 煉真が呆れたように目を細める。

「あんたはまだいいよな。俺の見張りの収入があるんだから」

「馬鹿言え。あんなもん雀の涙だ。バイト代にもなるかよ」


 灰泥煉真は元鴉羽学園の生徒だ。

 いや、正式にはまだ学園に籍を置いている。だが先日事件を起こし、学園にいられなくなった。

 天代てんだい守護しゅごは彼を危険視しつつ、前例のない事件なだけに処分を決めかねている。

 天代守護はこの島の特殊警察みたいなものだ。禍鵺が出没するこの特異な島で普通の警察は務まらない。だから彼らがいる。

 その天代守護が持てあました煉真を、また何かしでかさないか見張ってくれないか——と康峰が打診されたのは数週間前だ。

 天代守護も多忙だし、そもそも煉真は天代守護を毛嫌いしている。だが不思議と元教師の康峰にはキレない(と思われている)ようなので、康峰に打診してきたらしい。


——冗談じゃない。

 俺だってこんな危険人物と行動を共にするのは御免だ。瞬間湯沸かし器並みに沸点の低い男だぞ。

 と言いたいところだったが、金がない。いまは少しでも収入がほしい。

 そういうわけで監視役を引き受けた。

 だがそれだけで生活が賄える道理もない。

 かといって——

 教師に戻るのは、気が進まない。



 車道を時折車が走り抜ける。

 神出鬼没の化物が現れる四方闇島に住民は少ない。余生の短い老人や余程偏屈な人間くらいしかいない。当然往来する車も少ないが、それでも時折駆け抜ける。車両が少ないから遠くの音までよく聞こえた。

 近付いてきた一台の車が横に来て止まった。

 運転席の窓が下り、男が顔を出した。

 こっちを見て言う。

「久しぶりだね、軛殯君。仕事は順調かね?」


 年相応に突き出した腹。

 お預けを食らった犬のようなどことなく情けない表情。

 元々カツラを被っていたがいまは薄い頭部をさらけ出している中年男。

 鴉羽学園学園長・雑喉ざこう用一よういちだった。


「ちょうどいま自由を手にしたところです」

「クビになったのかね?」

「我々には役不足だったようで」

「繰り返すようだが学園に戻る気はないのかね?」

「その話は再三お断りしたはずですよ」

「惜しいね。君ほどの適任者はそういないと思うが……」

「……買い被りですよ」

 雑喉は残念そうに溜息を吐いた。

「それで、私に何か?」

「ああ。教師が嫌なら別の仕事を紹介しようと思ってね。とにかく乗ってくれ」

 後部座席の扉を開け、顎をしゃくって言った。


「君にしか頼めない仕事があるんだ」


 詐欺師の常套句のような言葉に、康峰は思わず口をへの字に結んだ。


 

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