第4節 12日前 Ⅱ.

 


「ゴキゲンヨウ! ゴキゲンヨウ!」


 ばたばたと羽根をはためかせて、鳥が喋っている。

 初めて見る鸚鵡という鳥に、紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さきは目を丸くした。

 テレビや本で見たことはあるが——実際間近に見ると、鴉より大柄なその体に圧倒されてしまう。

 何より色も鮮やかで派手だ。

 こんな派手な鳥が自然界にいるのが神様の悪戯か何かに思えてしまう。


「お気に召したかしら? お姉様」

 背後から豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじくるるが話し掛けてきた。

 この鸚鵡の飼い主であり、新たな鴉羽からすば学園生徒会長の彼女が。

「あ、ああ。そうだな」

 紗綺は曖昧な相槌を返した。

 くすりと枢が微笑む。

 その膝にはこれまた珍しい毛並みの猫がいる。確かさっきサイベリアンと紹介された。絵本に出てくる、魔女か何かが飼っていそうな長い毛並みの猫だ。顔もふてぶてしい。

「お姉様がもし興味がおありでしたら、お譲り致しますわよ」

「いや、それはその、構わない」

「そうですか?」

「ああ」


 ここは生徒会棟の生徒会室。

 先代の生徒会長である天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろは鴉羽学園でも最も高い位置にあるこの学舎を丸ごと生徒会の私物とした。無駄に広々とした生徒会室に、窓からは遠くに煌めく水平線まで一望できる。愚かな支配者が喜びそうな部屋だ。

 だがいまその部屋は鸚鵡を始め、多数の動物が所狭しと占拠している。

 まるでペットショップ、いや一歩間違えれば動物園か。普通の大きさの生徒会室では入りきらなかった。

 舞鳳鷺もまさかこんな形で有効活用をされるとは思わなかっただろう。


「来る学園祭ではこの子たちを展覧しますの。きっとみなさん驚かれるでしょうね。ふふ、いまから楽しみですわ」

 サイベリアンを撫でながら枢は愉快そうに微笑む。

 紗綺は黙ってこの新生徒会長を見つめた。

 ウェーブのかかった紫紺の髪。琥珀に似た宝石のような瞳。見れば見るほど人形のようで、それでいてどこか大人びている。

 今日も何故か喪服だ。


 正直言ってまだ紗綺には彼女が何を考えているのか分からない。

 先代生徒会長の舞鳳鷺も肚の底が読めない相手ではあったが、彼女はまた別種の得体の知れなさを纏っていた。

「お姉様には無理なお願いをして申し訳なく思っていますわ。けれど、学園をひとつに纏めるためにはどうしても必要だったのです」

「分かっている。元々私は正式な生徒会長ではない。他にちゃんと生徒を導いてくれる生徒会があるなら、居座る意味はない」


 昨日、紗綺は枢に相談された。生徒会を抜けてくれないかと。

 最初は面食らったが、話を聞いて紗綺も納得した。紗綺が生徒会に中途半端に居座っては枢ら新生徒会の面々がやりづらい。いっそきっぱり生徒会を抜けたほうが都合がいい。

 いま何より大事なことは生徒の気持ちをひとつに纏めることだ。


「流石です、お姉様。大局を理解していらっしゃる」

「それよりその『お姉様』はどうにかならないか?」

「あらあら。お嫌でしたか?」

「私はお前の姉ではない」

「ふふふ。これから姉妹になればいいではないですか。わたくし、ずっと憧れていましたのよ。名高き紅緋絽纐纈家の娘でありながら、自らの意思でここ四方闇島よもやみじまの鴉羽学園に入学した勇士。まさにわたくしの期待した通りの人でしたわ、お姉様は」

「……そんなにたいしたことはしていない」

 何を言っても逆効果な気がしたが、それでも呟くように言った。

 案の定、枢はますます感銘したように両手を合わせて「まぁ」と吐息を漏らした。きらきらと目を輝かせて紗綺を見る。その視線から逃げるように紗綺は隣の檻に移動した。

 檻のなかではヘビが這っている。

 ちょっと怖い。


「もうお帰りですの?」

 生徒会室を出ようとした紗綺に枢が言う。

 解放されたサイベリアンが短い脚で逃げた。

「折角です、もうちょっとご覧になられては?」

「もう大体見た」

「あまりわたくしのコレクションには興味がなかったようですわね。残念ですわ」

「そうでもないが……」

 ふと、何も入っていないケースを見つける。

 小動物の小屋や餌箱みたいなものはあるが、生体はそこにいない。

「ここにはこれからペットを入れるのか?」

「あら、こちらですか? ちゃんといますわよ」

 言うなり枢は無遠慮にケースに手を突っ込み、小屋を掴んで持ち上げた。

 そのなかから小さな何かを取り出す。

 それ・・は抵抗するように鳴いたが、構わず枢は掌に乗せて紗綺に見せた。

「ハムスターですわ。夜行性なので日中は寝ていますの」

「そんな無理に起こさなくても……」


 何気ない発言で小動物の眠りを妨げてしまった。何だか申し訳ない気になりながら、紗綺はそのネズミのような生き物を見る。

 掌にすっぽり収まるサイズ。

 ふさふさした毛並み。

 短い手足。

 常に不安そうに鼻をひくひく動かし、寝惚けまなこで左右を見ている。

「…………」

 ごくり、と喉が鳴った。

 ……可愛い。

 はっとして我に返り、目を上げたときには枢が勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「あらあら。どうやらお姉様はこの手の子が好みのようでしたわね?」

「い、いや、そんなことは……」

「お持ち帰りになりますか?」

「馬鹿を言え」

「まぁまぁ、そう遠慮なさらずに。この子たちは飼育も簡単です。きっとお姉様でも飼えますわ」

 さらりと失礼なことを言われた気もするが、そんなことを気にする余裕もないくらい紗綺はハムスターに見惚れていた。

「用意しますわ。少々お待ちください」

「うぅん」

 否定とも承諾とも言えない声が出た。

 枢が部屋の奥へ消えて行く。誰かに指示を出しているようだ。

 頑なに拒むのも何だと思い、待つことにした。

 窓から水平線を見る。


「……紅緋絽纐纈紗綺」

 不意に物陰から声が掛けられた。

 ぎょっとして顔を向ける。

 そこに襤褸を纏い、顔の左側を仮面で隠した女がこっちを睨んで立っていた。

 天代弥栄美恵神楽舞鳳鷺だ。

 紗綺は彼女になんと声を掛けていいか分からなかった。


 彼女が生徒会長だった頃、何かと衝突した。正直、紗綺は舞鳳鷺が嫌いだった。生徒会長から引きずり降ろされて胸が空いたくらいだ。

 それでも——

 こんな姿の彼女は正視に耐えがたい。

 その舞鳳鷺が自分をまっすぐ見据える。

「あの女を、信用してはいけない」

 舞鳳鷺は枢を警戒するように小声で言った。

 あの女——

「豊原紫紺藤花小路のことか? どうして?」

「あれを生徒会長にしてはいけない。お前はあれの本性を知らない。あれは私より余程危険」

「……どういう意味だ?」

「いまからでも遅くない、お前が生徒会長になれ」

「クーデターを起こす気はないぞ」

「駄目だ、あいつを放っては——」


「あらあら。ずいぶん楽しそうですわね」


 びくりと肩を震わせた。紗綺も驚いたが、舞鳳鷺はそれ以上だったろう。

 音もなく歩み寄った枢が、薄ら笑いを浮かべて後ろに立っていた。

 宝石のように美しい目を舞鳳鷺に向けている。

 舞鳳鷺は唇を噛み締めて俯いた。

「わたくしにも是非聞かせてほしいですわ。お姉様と何のお話を?」

「いや、何も……」

「ずいぶん嘘が下手になりましたわね」

 枢が舞鳳鷺に歩み寄り、顔を寄せる。

「……こうしていると、むかしを思い出しますわ。ねぇ舞鳳鷺さん。覚えておいでですか? 初めてわたくしたちが会った日のこと」

 枢がこっちを向く。

「お姉様はご存じありませんか? わたくしと舞鳳鷺さんの付き合いは長くてね。あれはもう五年も前かしら。わたくしが母と一緒に天代弥栄美恵神楽家に招かれた日、わたくしたちの前で舞鳳鷺さんは——」


「枢っ!」


 急に舞鳳鷺が叫んだ。

 燃え立つような目を枢に向けている。

 だがその瞳の奥は、怯えるように揺れていた。


——なんだ?

 困惑する紗綺をよそに、枢はふふっと笑う。

「もう、冗談ですわ。乙女の秘密を漏らすほど無粋でもありません。ご安心なさい」

「………」

「ああ、でも」

 枢がいきなり舞鳳鷺の首輪に付いた鎖を引っ張る。

「ぐっ!」

 舞鳳鷺が苦しげな声を漏らす。

「まだご自身の立場をご理解戴けないのは悲しいですわね、舞鳳鷺さん? わたくしを呼び捨てにするなんて。皆さんの前でそんなことをしては反省の色なしと見なされ貴方が損をします。お分かり戴けます?」

「…………」

「お返事は?」

 小首を傾げて枢は言った。

 舞鳳鷺が目を伏せる。

「……はい」

 消え入るような声で、彼女は答えた。



 紗綺は窓の外に視線を逸らす。

 舞鳳鷺に対する枢の態度を咎めるべきかもしれない。しかし何と言っていいか分からなかった。

 正直言って——

 紗綺は自信を失っていた。

 自分は戦うのは得意だ。だが何が正しいか見極め、正しい決断を下すことは苦手だ。

 いま自分のしていることが正しいのか。

 生徒会を抜けたのは本当に学園のためか。

 枢にあとを託すのは正しい判断なのか。

 分からない。

 もしかしたらすべての責任から自由になりたいだけかもしれない。


『ねぇ紗綺さん。花の命は短いの。貴方にはいろんなことを経験してほしい』


 何故か母の言葉が脳裏を過る。

 水平線を見ながら息を吐いた。


——あの人なら……

 彼なら、どうするだろうか。

 ぼんやりとその背中を思い出す。

 身を挺して学園の危機を救い、生徒を守った勇気。

 弱そうに見せて芯が強く、常に先を見通す聡明さ。

 それでいて「自分には相応しくないから」と謙遜し、颯爽と学園から去ったあの人。

 鴉羽学園元教師・軛殯くびきもがり康峰やすみね

 あの人なら——


 

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