第3節 12日前 Ⅰ.


「それじゃあ、ここでお別れですね」

「ああ」

「くれぐれも無理はなさらず。健康にも気を付けてね」

「ああ。……貴方も」

「ええ。ありがとう」


 まるで、何かの台本を読むように。

 そんな平凡な遣り取りで紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺は母と別れた。

 母は最後に薄く笑みを浮かべると、船に乗った。母と家の者数人を乗せた船が出港するのを紗綺は埠頭から見送った。


 全校集会のあった翌々日。

 紗綺は鴉羽からすば学園に来て以来初めて母と会った。

 母からは定期的に「会いたい」という旨の手紙が送られていた。

 それに対し紗綺はいつも無視——はしないまでも、冷たい返事をしていた。


「鴉羽学園の生徒はみな家族との縁を切られ、島外の者と接触を絶たねばならない。私は自分の意思で来たとは言え、この学園の生徒だ。ならば学園の規定に従わねばならない。でなければ示しがつかない」


 そんなふうに言って。

 だが、果たしてそれは本心だったか。


 母と言っても産みの母ではない。紗綺の本当の父母は交通事故で死んだ。事故以来、紗綺を養ってくれたのが紅緋絽纐纈家だ。

 尤も赤の他人ではない。父はれっきとした紅緋絽纐纈家の跡継ぎだったが、古臭い武家の伝統を踏襲する家柄を嫌い母と駆け落ちしたと聞く。その彼が死んだ以上紗綺は実家に引き取られる。

 養母は紗綺に優しかった。甘かったと言うべきか。

 普通ならそれは喜ぶべきことだったのだろう。

 だが紗綺にはそれがどうも居心地悪かった。

——どうして実の子でもない私を大事にするのか。

 紗綺には遂に理解できなかった。いっそ不気味にさえ思えた。


 紗綺は自分の意思でこの島に、鴉羽学園に来た。禍鵺マガネとの戦闘を求めて。

 別に戦闘狂とかではない。代々戦場で先頭に立って来た紅緋絽纐纈家の人間として、責務を果たしたかった。自分のなすべきことはここにあると思った——

 だが、その裏で別の思いもあったかもしれない。

 表と裏で簡単に割り切れるものではないかもしれないが……


「よかったわ。紗綺さんはどこへ行っても変わらないのね」

 そう言った母は少し首を傾げて笑った。

「でも折角なんだし。いましかできないことをしては如何かしら?」

「いましかできないこと?」

「ええ。例えばお洒落とか、恋とか……」

「こい」

 鸚鵡返しに言う紗綺が可笑しかったのか、母は口を抑えて笑った。

 用意していた包みを取り出し、紗綺に手渡す。

 小さなとんぼ玉の髪飾りだった。淡い花びらが浮かんでいる。

「ほら、こういうものも。あ、島にないものは受け取れないかしら……?」

「いや。別に、このくらい」

 紗綺は髪飾りに目を落として呟いた。

 動かすと光が反射する。少し色が変わって見えた。

「ねぇ紗綺さん。花の命は短いの。貴方にはいろんなことを経験してほしい」


 その言葉が耳の奥にまだ残っている。

 正直よく分からない。でも母のためになるなら。僅かでも親孝行の埋合せになるなら、悪くはないかもしれない。

 そんなふうに思った。

——とは言うものの……

「似合わなくないかな、私には……」

 可愛らしいとんぼ玉を掲げて、紗綺は眉根を寄せた。


 どうして今更母と会う気になったのか。自分でもはっきり分からない。或いはひと月前の事件がきっかけか。

 ともあれ数年ぶりに会った母は小さくなって見えた。紗綺自身の背丈も伸びたらしい。

 港の店で食事しながら、そういえばあんな箸の運び方だったな——なんて妙な感想を持ったのを覚えている。

 妙なもので、そのとき不思議と故郷を懐かしむ思いがこみ上げてきた。

 母は多くを語らなかった。

 学園での生活や、困ったことはないか、どんな生徒がいるかなんてことを訊かれた。紗綺も淡々と答えた。

 口下手な紗綺がどんな胡乱うろんな受け答えをしても、じっと箸を止めて母は聞いた。

 まるで一言も零すまいとするように。

 最後まで「帰って来て」と言わずに。

 別れ際、うっすら目尻が光っていた気がするのは気の所為だろうか。

 港を出た船は見る見る小さくなり、水平線に呑まれて行った。

 それを見届けて紗綺は学園への帰路に就いた。



 鴉羽学園訓練場。

 ここでは平生、禍鵺に対抗すべく生徒たちが鍛錬を積んでいる。最も戦闘能力の高い生徒会のメンバーが主体となって指導を行い、下の者を引っ張っている。

 禍鵺を倒すのに通常の重火器はほとんど通用せず、また疲弊した現在のこの国にそうしたものを十分用意する余裕もない。でなければそもそも子供を戦場に立たせたりはしない。

 なかにはそんな死線に立たされることを嫌って島を出ようとする者や、学園に歯向かう者もいるが。生徒会を始めここにいるみなは勇敢に禍鵺と闘おうとしてくれている。紗綺にとって誇るべき仲間だ。

 ——が、いまはその様子も一変している。


「おぅおぅおぅ! チンタラしてんじゃねぇぞ新人。さっさとこの机組み立てろ! まだまだやることが残ってんだぞ!」

「は、はい! でも材料が来なくて……」

「ああ~? 口答えしてねぇでてめえで補充すんだよ。オラ急げ!」


 荒々しい声と慌ただしい足音が交差している。

 まぁそれは割といつものことだが、やっていることは違う。生徒たちは右へ左へ駆け回りながら来る学園祭の準備をしていた。

「あっ、会長! お疲れ様です!」

「会長が来られたぞ!」

 一歩紗綺が踏み込むと、汗を流していた男子も女子も声を掛けてくれる。なかには大袈裟に頭を下げてくれる者もいた。


「よぉ会長! 用事は済んだのか?」

 生徒会の幹部、紗綺の右腕とも言うべき馬更ばさら竜巻が声を掛けて来た。

 さっきから沙垣さがき先達せんだつをしごいているのも彼だ。

 制服を着崩し、軍帽を真逆にかぶり、大きなグラサンが特徴的なやや小柄な男。

 常にポケットに手を入れて戦うときや食事の際さえ手を見せない風変わりな少年。

 その荒っぽい言葉遣いや振舞いからは想像しにくいが、これでも正義感が強く仲間思いなのを紗綺は知っている。


「ッたく、お祭りゴッコなんかしてる場合かよオイ。クソ禍鵺がいつ出るかも分からねえッてのに。あの新会長は大丈夫なのかぁ?」

「いまは彼女に従おう。実際禍鵺はずいぶん現れていない」

「つーかよ、あいつが生徒会長ってンならあんたはどうなる? 副生徒会長か? またダブルで生徒会長なんてややこしいのは御免だぜ」

「そのことだが……」

 と、紗綺が言い掛けたとき。


「む。会長」

 丸太のような木材を軽々と運ぶ巨漢がこっちに気付いた。

 一見すると仁王像か狛犬のようないかつい風貌。

 目はぎょろりと動き、口をいつも一文字に結んでいる。

 大人顔負けの風格だがこれでも生徒のひとり——竜巻と並ぶ生徒会の幹部、紗綺の左腕である鍋島村雲だ。

「村雲。何か問題はないか?」

「何も。いや少しは。多分」

「そうか。ならよかった」

「む、む、む」

 実に誠実で剛直、信頼の置ける実力者なのだが、女性に対してだけは非常に口下手になる。犬みたいな唸り声で返すこともある。

 ずいぶん慣れた紗綺が相手でさえこの様子なので初対面の女性相手ではほとんど会話にならない。


「実はみんなに大事な話がある。手を止めてもらって大丈夫か?」

「む、了解した。……全員、聞け!」

 村雲の怒声に一同が手を止めた。

「集合だ、集合! 何やってんだ新入り! さっさと来い!」

「ぇえっ? 馬更先輩がさっき行けって……」

「いいから戻んだよ! チンタラすんな!」

 竜巻も怒鳴る。

 その声で先達ら遠くにいた者まで慌てて駆けてきた。

 数十人の目が紗綺を向く。

 汗を浮かべ息を切らしながらも紗綺の言葉を待つ。

 その注目に少したじろぎつつ、こほんとひとつ空咳をしてから言った。

「その、少し言い辛いことだが……」


 紗綺の特徴だが、何事も淡々と述べる。強弱や抑揚がない。さらっととんでもないことを言うのだから、周りが遅れてびっくりする。

 もっと前置きをしたり、話し方を工夫すべきかもしれないが、不器用な紗綺にはそれができない。

 尤も付き合いの長い連中は今更驚かない。

 だが流石にこの日は違った。

 村雲や竜巻でさえしばらく呆気に取られて言葉が出なかったほどだ。あとから紗綺自身もう少し言葉を選べなかったか、と後悔した。

 紗綺はこう言った。


「本日をもって、私は生徒会を抜けて一般生徒に戻る。みんな、いままで付いてきてくれてありがとう。……以上、解散だ」


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