第2節 14日前 Ⅱ.
それはこの島で霧に紛れて現れる神出鬼没の異形。
元々《鵺》と呼ばれる妖怪が黄泉返りしたものだとか、《マガヌエ》が訛って《マガネ》になったとか謂われる。真相は分からない。
鵺は猿や狐や虎が入り混じった妖怪とされるが、この島の鵺はもっとバリエーション豊富だ。昨日見たのもその一種に過ぎない。共通しているのは白い仮面くらい。
ただでさえ狂暴で厄介な連中だが、奴らが恐ろしい理由はもうひとつある。
《
死期の近い人間が禍鵺の吐く瘴気を吸うと、その人自身が禍鵺に変わる。禍鵺が恐れられる要因だ。
しかし、この現象に着目しむしろ利用しようと考えた人間もいる。わざと鵺化させた異形を私兵にしようと目論んだ人間が。
それがこともあろうに先代生徒会長・
幸い目論見は失敗し、舞鳳鷺は失脚した。学園から追放され、大資産家の天代弥栄美恵神楽家ごと立場を危うくする大事件となった。それがひと月まえのことだ。
その後舞鳳鷺の行方は生徒たちの知るところではなかったが——
「舞鳳鷺? 彼女が?」
奴隷同然の恰好をした少女——舞鳳鷺は俯いたままだ。
生徒たちも息を呑んで彼女に視線を浴びせた。
だが確かに、かつての面影は微塵もないが、仮面によって顔の半分は隠されているが、舞鳳鷺らしい。日頃から厚化粧で素顔を隠していたのもあってすぐ分からなかった。
「なぜこんな格好を?」
「あらあら、不思議なことを仰いますのね」
枢が可笑しそうに口元に手を当てて笑った。
「彼女がしたことを考えればこれくらい何でもありませんわ。ねぇ、舞鳳鷺さん? 貴方もそう思いますわよね?」
「……豊原紫紺藤花小路枢」
地の底から響くような声。
一瞬誰かと思ったが、舞鳳鷺が発した声だった。
元々いまの枢に負けないくらいに、いやもっとけたたましく煩く鸚鵡のような声で笑い喋る女だったが。こんな声も出せるとは。
舞鳳鷺は枢を睨み上げる。
「わたくしにこんな真似をして——」
「あらあら」
舞鳳鷺の言葉を遮り、枢は鎖を引く。
「けほっ!」
「悲しいですわ。まだお分かり戴けませんの? もう貴方にそんな喋り方は相応しくないのですよ。そろそろ立場をご理解ください」
「止せ、豊原紫紺藤花小路!」
紗綺が怒鳴った。
「こんなことは……よくない。確かに彼女は大罪を犯したが。私たちはこういうことを望んだわけではない」
「貴方ならきっとそう仰ると思いました。流石です、紗綺お姉様」
枢はあくまで平静な声で答える。
「ですがどうかご理解ください。これは彼女のためでもあるのです」
「なに?」
「本来なら彼女は一生牢獄に繋がれるか——極刑に処されても文句は言えないでしょうね。なにせ私利私欲に走り生徒を裏切り、大勢の
舞鳳鷺は黙って床を見ている。
枢は流し目でそれを見ながら続けた。
「しかしそれではあまりに可哀相と、母が言ったのです。わたくしの母は彼女のお母様とむかしから親交がありましたから。本来赦されざることですが、同情すべき余地もある。それに何より——」
枢は静かに人差し指を舞鳳鷺の首筋に沿わせた。
びくりと舞鳳鷺が肌を震わせる。
「——ただ刑に処すだけでは皆様に何の利益もない。彼女にはもっと『利用価値』を発揮して戴かないと」
「しかし……」
紗綺が反論を探すように目を彷徨わせた。
「吊るし首にするべきところを、首輪を付けるだけで済ませて差し上げているのです。これはむしろ『保護』ですわ」
紗綺はそれ以上何も言わなかった。
黙って戸惑いの視線を舞鳳鷺に向けた。
「さぁ、舞鳳鷺さん?」
枢が改めて舞鳳鷺に促した。
生徒たちも固唾を呑んで成り行きを見守っている。
やがて舞鳳鷺が呟くように、しかし生徒たちに辛うじて聞こえる声で言った。
「……
謝罪と言うより——呪詛みたい。
衿狭は思った。
が何も言わない。
きっと多くの生徒が同じように思ったんじゃないか。
「今後は、精一杯
声が震えている。
殺気さえ届きそうな声に一部の生徒が唾を呑み込んだ。
それに気付かない枢でもなさそうだが、何も言わなかった。
薄笑いを浮かべると、聴衆に向き直る。
「彼女には時間を掛けて償わせますわ。どうか皆様の寛大な処置をお願い致します。それと、彼女は今後鴉羽学園の『最底辺』としてこき使って戴いて構いません。宜しいですわね、舞鳳鷺さん?」
「……はい」
舞鳳鷺が消え入るような声で呟いた。
「なんか、大変なことになったね」
集会が終わり、生徒たちが解散するなかで
舞鳳鷺のこともそうだが、この場合気になるのは学園祭だ。
「ね。沙垣君はどう? 学園祭、楽しみ?」
「うーん。よく分からないな。漫画とかじゃ楽しそうだけど」
頭を掻いて彼は言った。
「いつ禍鵺が攻めてくるか分からないなかでのお祭りじゃなあ」
「だよね」
「まぁ僕は、いつもと変わらないよ。訓練はなくても警備もあるし、生徒会の仕事もまだ慣れてないしね」
「沙垣君らしいね。折角なんだし——」
「あーっ、沙垣君見ーっけ♪」
衿狭の声を掻き消して甲高い声が響いた。
ピンクのサイドテールを靡かせながら駆けてくる。
呆気に取られた先達をよそに、その手を握った。
「え? あ、あの?」
「沙垣君! 改めて、昨日は助けてくれてありがとね♪」
「いやその……た、助けたのは僕じゃないよ?」
ただでさえ玄音には注目が集まっている。
先達の顔はたちまち赤くなった。
「でもクロを守ろうとしてくれた姿、カッコよかった♪」
「そ、そう、かな?」
照れた先達は話の矛先を変えようと視線を泳がせた。
「が、我捨道さんはどうしてネクロマンサーなの?」
「どうしてってー、クロは生まれつきのネクロマンサーだよ?」
玄音は髑髏の水晶が付いた杖を持ち、顔の高さに翳す。ウインクをして見せた。「ほら。似合ってるでしょ?」
「はぁ」
「沙垣君はネクロマンサーってどんなのか知ってる?」
「えっと……死体とか幽霊を操る魔術師みたいな奴だっけ?」
「ピンポーン♪ クロはね、幽霊さんとおしゃべりできるの。クロがお願いするとクロの為に働いてくれたりもするんだよ。だからお化けとか、髑髏はクロのお友達なの♪」
そう言って玄音は髑髏をぐいと先達に寄せた。
髑髏の虚ろな眼窩に睨まれ、先達は表情を引きつらせる。
「クロちゃんはクロのお友達なのだ!」
「えっと、『クロ』っていうのは我捨道さんのことじゃ?」
「クロはクロだよー。この子がクロちゃん」
「あ、『ちゃん』が付いてるのが髑髏のことなんだ。自分じゃなく」
「あはは、とーぜん。自分に『ちゃん』なんて付けてたらイタい子みたいだもん♪」
「えっ、あ、そう……」
「ねぇ」
堪りかねた衿狭が割り込んだ。
この女、衿狭のほうを見ようともしない。その態度が気に障った。
だが振り返った先達が大袈裟に仰け反る。
「おわっ!
「……『おわっ』て何、沙垣君まで。禍鵺を見たとき以上の驚き方するのやめて」
「ご、ごめん……」
「あっ、昨日沙垣君と一緒にいた人。あれぇ、ふたりってもしかして?」
玄音が何かを察したように先達と衿狭の間に視線を行き来した。
「ああ。僕の彼女だよ。悪いけど彼女と話があるからまたね」
とか言うのは先達には期待できない。
そういうキャラじゃないし。
と言うか玄音の視線の意味も分からない様子でぼんやりしている。こういうところは情けないと言うか、何と言うか。
仕方なく衿狭が言った。
「荻納衿狭だよ。我捨道さん」
「エリサ? いい名前だね♪」
「それはどうも。我捨道さん」
「もー固い呼び方しないで。クローネでいいよ♪」
「考えとく」
「それより、ね、クロまだこの学園に来たばっかりだから道案内してくれる人がほしいの。
「えっ、僕が?」
周囲の視線が集まる。
こいつ、ほんの数秒で「沙垣君」を「先達君」にランクアップさせやがった。
確かに、先達が禍鵺から助けようとしたからというのは分かる。でもそれだけじゃないような。
何だか胸をざわつかせる厭なものを感じる。
「えーと、でも僕は……」
ちらりと衿狭の顔色を伺う先達。
「駄目なの?」
「駄目だよ」
衿狭はぼきりとフラグを折った。
「沙垣君はいろいろ忙しいから。それに男の子じゃ案内させられない場所とかもあるでしょ」
「えー、クロは気にしないよ♪」
「……とにかく、沙垣君は駄目。私がやるよ」
玄音はまだ不服そうだったが、渋々頷く。
「荻納さん……」
先達が何か言おうとしたが、衿狭は聞こえない振りをするように彼から離れた。
もうちょっと彼にもしっかりしたところを見せてほしい。
……私のことを好きって言ってくれたんだから。
まぁ、でも。
彼を責めるのも筋違いかもしれない。
ネクロマンサーとか言っちゃう頭はアレでも、玄音は確かに可愛い。やはりアイドルという人種の持つオーラだろうか。何か他の子と違う華やかさがある。
対して眼帯を付けた自分なんて——
第一彼の告白にちゃんと返事をしていない。
そう。
きっと先達に相応しいのは。
彼と並んで歩くべきなのは。
少なくとも自分じゃない。
「宜しくね、エリちゃん♪」
衿狭に並んで歩きながら玄音が笑った。
「ん。こちらこそ」
ちらり、と玄音を見ながら答える。
正確にはその胸元を。
この子のほうが大きい。
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