第2節 14日前 Ⅱ.
この現象に着目し、人間をわざと鵺化させ支配下に置こうとした者がいた。
それがこともあろうに先代生徒会長・
幸い目論見は失敗し陰謀が明るみに出たことで、彼女は失墜。大資産家の天代弥栄美恵神楽家ごと立場を危うくする大事件となった。
その後舞鳳鷺の行方は生徒の知るところではなかったが——
「……舞鳳鷺? 彼女が?」
奴隷同然の恰好をした少女は俯いたままだ。
生徒たちも息を呑んで彼女に視線を浴びせた。
だが確かに、かつての面影は微塵もないが、仮面によって顔の半分は隠されているが、舞鳳鷺らしい。日頃から厚化粧で素顔を隠していたのもあってすぐ分からなかった。
青く美しい長髪も切られ、汚れた黒髪のショートになっている。
舞鳳鷺は無言で唇を噛み締めていた。
「なぜこんな格好を?」
「あらあら、不思議なことを仰いますのね」
枢が可笑しそうに口元に手を当てて笑った。
「彼女がしたことを考えればこれくらい何でもありませんわ。ねぇ、舞鳳鷺さん? 貴方もそう思いますわよね?」
「……豊原紫紺藤花小路枢」
地の底から響くような声。
一瞬誰かと思ったが、舞鳳鷺が発した声だった。
元生徒会長は枢を睨み上げる。
「わたくしにこんな真似をして——」
「あらあら」
舞鳳鷺の言葉を遮り、枢は鎖を引く。
「けほっ!」
「まだお分かり戴けませんのね? もう貴方にそんな喋り方は相応しくないのですよ。そろそろ立場をご理解くださいませ」
「止せ、豊原紫紺藤花小路!」
紗綺が怒鳴った。
「こんなことは……よくない。確かに彼女は大罪を犯したが。私たちはこういうことを望んだわけではない」
「貴方ならきっとそう仰ると思いました。流石です、紗綺お姉様」
枢はあくまで平静な声で答える。
「ですがどうかご理解ください。これは彼女のためでもあるのです」
「なに?」
「本来なら彼女は一生ブタ箱送りになるか——最悪極刑に処されても文句は言えないでしょうね。なにせ大勢の無辜の命を危険に晒し、異形と戦う勇士たちをペットにしようとしたのですから」
舞鳳鷺は黙って床を見ている。
枢は流し目でそれを見ながら続けた。
「しかしそれではあまりに可哀相と、母が言ったのです。わたくしの母は彼女のお母様とむかしから親交がありましたから。本来赦されざることですが、同情すべき余地もある。それに何より——」
枢は静かに人差し指を舞鳳鷺の首筋に沿わせた。
びくりと舞鳳鷺が肌を震わせる。
「——ただ刑に処すだけでは皆様に何の利益もない。彼女にはもっと『利用価値』を発揮して戴かないと」
「しかし……」
紗綺が反論の言葉を探すように目を彷徨わせた。
「吊るし首にするべきところを、首輪を付けるだけで済ませて差し上げているのです。これはむしろ『保護』ですわ」
紗綺はそれ以上何も言わなかった。
黙って戸惑いの視線を舞鳳鷺に向ける。
「さぁ、舞鳳鷺さん?」
枢が改めて舞鳳鷺に促した。
生徒も、教師も、固唾を呑んで成り行きを見守っている。
やがて舞鳳鷺が呟くように、しかし生徒たちに辛うじて聞こえる声で言った。
「……
謝罪、と言うより。
——呪詛みたい。
衿狭は思った。
が何も言わない。きっと多くの生徒が同じように思ったんじゃないか。
「今後は、精一杯贖罪に努めさせて戴きます。皆様の許しが得られるように……」
声が震えている。
慙愧や自責の念、からではなく。屈辱と怒りからだろう。殺気さえ届きそうな声に一部の生徒が唾を呑み込んだ。
それに気付かない枢でもなさそうだが、あえて何も言わなかった。
薄笑いを浮かべると、聴衆に向き直る。
「彼女には時間を掛けて償わせますわ。どうか皆様の寛大な処置をお願い致します。それと、彼女は今後鴉羽学園の『最底辺』としてこき使って戴いて構いません。——宜しいですわね、舞鳳鷺さん?」
「……はい」
舞鳳鷺が消え入るような声で呟いた。
「なんか、大変なことになったね」
集会が終わり、生徒たちが解散するなかで
舞鳳鷺のこともそうだが、この場合気になるのは学園祭だ。
「ね。
「うーん。よく分からないな。漫画とかじゃ楽しそうだけど」
頭を掻いて彼は言った。
「いつ禍鵺が攻めてくるか分からないなかでのお祭りじゃなあ」
「だよね」
とは言うものの、このひと月近く禍鵺はほとんど現れていない。
学園祭がすんなり受け入れられた背景にはそういう事情もありそうだ。
「まぁ僕は、いつもと変わらないよ。訓練はなくても警備もあるし、生徒会の仕事もまだ慣れてないしね」
「沙垣君らしいね。折角なんだし——」
「あぁ~っ、沙垣君見ーっけ♪」
衿狭の声を掻き消して甲高い声が響いた。
ピンクのサイドテールを靡かせながら駆けてくる。
呆気に取られた先達をよそに、その手を握った。
「え? あ、あの?」
「沙垣君! 改めて、昨日は助けてくれてありがとね♪」
「いやその、それは……助けたのは僕じゃないよ」
ただでさえ玄音には注目が集まっている。
先達の顔はたちまち赤くなった。
「でもクロを守ろうとしてくれた姿、カッコよかった♪」
「そ、そう、かな?」
照れた先達は話の矛先を変えようと視線を泳がせた。
その目が髑髏の水晶のついた杖に止まった。
「が、我捨道さんはどうしてネクロマンサーなの?」
「どうしてってー、クロは生まれつきのネクロマンサーだよ?」
玄音は杖を持ち、顔の高さに翳す。ウインクをして見せた。「ほら。似合ってるでしょ?」
「はぁ」
「沙垣君はネクロマンサーってどんなのか知ってる?」
「えっと……死体とか幽霊を操る魔術師みたいな奴だっけ?」
「ピンポーン♪ クロはね、幽霊さんとおしゃべりできるの。クロがお願いするとクロの為に働いてくれたりもするんだよ。だからお化けとか、髑髏はクロのお友達なの♪」
そう言って玄音は髑髏をぐいと先達に寄せた。
髑髏の虚ろな眼窩に睨まれ、先達は表情を引きつらせる。
「クロちゃんはクロのお友達なのだ♪」
「……えっと、『クロ』っていうのは我捨道さんのことじゃ?」
「クロはクロだよー。この子がクロちゃん」
「あ、『ちゃん』が付いてるのが髑髏のことなんだ。自分じゃなく」
「あはは、とーぜん。自分に『ちゃん』なんて付けてたらイタい子みたいだもん♪」
「えっ、あ、はぁ……」
「ねぇ」
堪りかねた衿狭が口を開いた。
この女、割り込んで話に入ってきておいて、衿狭のほうを見ようともしない。その態度が気に障った。
だが衿狭の声に振り返った先達が大袈裟に仰け反る。
「おわっ!
「……『おわっ』て何、沙垣君まで。禍鵺を見たとき以上の驚き方するのやめて」
「ご、ごめん……」
「あっ、昨日沙垣君と一緒にいた人。あれ、もしかして……?」
玄音がようやくこっちを見て、先達との間に視線を行き来した。
「ああ。僕の彼女だよ。悪いけど、彼女と話があるからまたね」
とか言うのは先達には期待できない。
そもそもそういうキャラじゃないし。
と言うか玄音の視線の意味も分からない様子でぼんやりしている。仕方なく衿狭が言った。
「……荻納衿狭だよ。我捨道さん」
「エリサ?」
玄音は衿狭を見て目をぱちくりさせた。
「なに?」
「ううん。いい名前だね♪」
「それはどうも。我捨道さん」
「もー固い呼び方しないで。クローネでいいよ♪」
「考えとく」
「それより、ね、クロまだこの学園に来たばっかりだから道案内してくれる人がほしいの。先達君、いい?」
「えっ、僕が?」
周囲の視線が集まる。
——こいつ。
ほんの数秒で「沙垣君」を「先達君」にランクアップさせやがった。
と言うか、なんで先達にそんなことを頼むんだろう。他に男子もいるのに。
いや、彼女の言う通り先達が禍鵺から助けようとしたのは分かる。実質的に禍鵺を倒したのが紗綺でも、身を挺して守ろうとした先達に好意を抱くのも頷ける。
それにしても。
——何だかそれだけじゃないような何かを感じる。
「えーと、でも僕は……」
ちらりと衿狭の顔を見ながら先達は言い淀む。
「駄目なの?」
「駄目だよ」
衿狭はぼきりとフラグを折った。
無意識に声が強張ってるのを感じながら。
「沙垣君はいろいろと忙しいから。それに男の子じゃ案内させられない場所とかもあるでしょ」
「えー、クロは気にしないよ♪」
「……とにかく、沙垣君は駄目。私がやるよ」
玄音はまだ不服そうだったが、渋々頷く。
「荻納さん……」
先達が何か言おうとしたが、衿狭は聞こえない振りをするように彼から離れた。
もうちょっと彼にもしっかりしてほしい。
——まぁ、でも……
先達を責めるのも筋違いかもしれない。
ネクロマンサーとか言っちゃう頭はアレでも、玄音は確かに可愛い。美人は他にもいるが、やはりアイドルという人種の持つオーラだろうか。何か他の子と違う華やかさがある。
対して眼帯を付けた自分なんて——
第一先達の告白にちゃんと返事をしていない。
彼女づらするなんてきっとおかしい。
そう。
きっと先達に相応しいのは。
彼と並んで歩くべきなのは。
——少なくとも自分じゃない。
「ヨロシクね、えっと、エリちゃん♪」
衿狭に並んで歩きながら玄音が笑った。
「……ん。こちらこそ」
ちらり、と玄音を見ながら答える。
正確にはその胸元を。
この子のほうが大きい。
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