第1楽章  前夜

第1節 14日前 Ⅰ.


「突然のことで面食らうのも無理はありません。しかしこれは、わたくしなりに考えた、この学園にいま最も必要なものなのです」


 翌朝。

 鴉羽からすば学園体育館にて、急遽全校集会が開かれた。

 警備以外のほぼ全生徒がこの場に集まっている。

 その軍服めいた漆黒の制服から《鴉》とも仇名される鴉羽学園の生徒だが、流石に初夏の日差しのなかで上着を脱いでいる者が多い。

 彼らの顔は壇上に立つ新生徒会長・豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじくるるが言うように、戸惑いと不信感に揺らいでいた。


 枢は簡単な挨拶を済ませたあと、昨日荻納おぎのう衿狭えりさたちの前でしたように《学園祭》の開会宣言をした。

 当然この禍鵺マガネとの前線基地を無理やり《学園》と言い張っているような死地に、学園祭なんて開かれたことはない。漫画やテレビでしか知らない者がほとんどだ。「どういうこと?」「何ソレ」みたいな小声が細波のように絶えなかった。

 初夏の日差しが徐々に温度を上げていた。

 枢の講演は続く。

「先日起こった事件の爪痕はまだ残っています。生徒どうしのわだかまりも。その一切を解消し、忌むべき禍鵺に対して一致団結を図る——そのためにはこれが最善策。わたくしはそう考えたのです」


 枢の隣には我捨道がしゃどう玄音くろねがいる。

 昨日浜辺で会ったときと同じピンクの目立つ髪に、不思議な笑みを湛えていた。

 一応この学園の生徒と同じように軍帽や黒い学生服に身を包んでいるが、手には髑髏どくろの付いたステッキを握っている。水晶の髑髏はいかにも目立った。

 最初気付かなかったけれど、衿狭は彼女を見たことがあった。と言うか先達も、大抵の生徒も見たことがあるだろう。テレビや雑誌で。

 シャドー・クローネ。

 彼女は数年前から注目を集めているアイドルだ。

 その方面に詳しくない衿狭の耳にも入って来る、もといこんな辺鄙な孤島でも噂になるくらいだから結構なものなのだろう。確かに間近で見た彼女はどこか浮世離れしていると言うか、近寄りがたいと言うか、不思議なオーラを纏っていた。

 まぁそんなアイドルが浜辺で化物と追いかけっこしているとは思わない。

 すぐ気付かなかったのも無理はないだろう。

 ちなみに彼女は自称《ネクロマンサー》らしい。髑髏のステッキもそのための装備品のようだ。一説では話題作りのための無理したキャラ設定と言われるが、下手にそんなことを言うと一部男子生徒の天誅を喰らいかねない。

 まぁ、そんなふざけた恰好が許されるのが美少女の特権だ。

 衿狭はちらりと隣の沙垣さがき先達せんだつを見た。

 彼はぼんやり壇上のほうを見ている。

 ……誰を見ているのかまでは分からない。


 それともうひとり。

 枢の傍らには車椅子に乗った少女がいる。

 小柄で病弱そうな、それでいて遠目にも知的な印象の彼女は新橋久雨と言うらしい。

 透けるような緑がかった青い髪が綺麗だった。

 枢は彼女を『稀代の天才』と紹介した。

 まぁ、あんな体でわざわざこの戦場学園に来るくらいだ。相当な自信があるのだろう。

 天才少女の新橋久雨。

 アイドルの我捨道玄音。

 そして喪服のお嬢様、豊原紫紺藤花小路枢。

 これがこの新生徒会の頂点の顔ぶれらしい。


「何アレ。あんなんにウチのガッコーの生徒会が務まると思ってんの?」

 衿狭の横で飴を咥えた女子生徒が言った。衿狭の友達の鵜躾うしつけ綺新きあらだ。

 一応、まだ集会中なのに気にするふうもない。

「いまの会長のままでいいのに。ね、サガッキー?」

 何故か標的にされたサガッキーこと沙垣先達に肩パンする。

 先達は困った顔をしつつ言った。

「そりゃまぁ、僕も紅緋絽纐纈べにひろこうけつさんでいいと思うけど……」

「だってさ、エリ。サガッキーはおっぱい大きいほうが好みって」

「そ、そういう意味じゃ!」

「いいからいいから。あたしも紗綺っちのほうがいいし」

「あんたの場合はいまの会長さんのほうが何でも見逃してくれそうだから、でしょ」

 衿狭の指摘に、彼女は黙って笑った。図星だ。


「ね、ね、そんなことよりあれって本物のクローネ?」

 後ろから早颪さおろし夢猫むねこが綺新の肩に顎を乗せながら言った。「なんで? なんでなんでクローネがうちの学校なんかにいんの?」

「知んないよ、サガッキーに訊けば? 昨日会ったみたいだし」

「えっ? そなの沙垣君?」

 夢猫が今度は先達に飛びついた。

 先達がしどろもどろになりながら昨日のいきさつを説明する。


「で、なんでこんな島に来たって?」

「さ、さぁ。そこまでは……」

「気紛れじゃね。何も考えてなさそうだし」

「なんかみんな反応薄くない? 凄いことだよこれ。クローネが転校してくるなんて。申し訳なくないの?」

「別に。あんたくらいだし、クローネ好きなの。てかアイツ歌もあんまうまくないでしょ? 干されたんじゃね」

「殺すよ。クローネはそれが魅力なんだから。下手なのに一生懸命歌ってる姿って応援したくなるじゃん?」

「それってどうなの?」

「あたしいつも寝る前はクローネの歌聞くの。いつの間にか失神したみたいによく眠れて最高なんだから」

「あんたホントにファン?」



「ちょっといいか、豊原紫紺藤花小路?」

 少女たちが無駄口を叩いている間も演説を続けていた枢に、現生徒会長・紅緋絽纐纈紗綺が声を掛けた。

 枢の目が彼女を捉える。

 口元に浮かんだ笑みは、質問を待ってましたと言わんばかりだった。

「枢、で結構ですわ。紗綺お姉様」

「さ、紗綺お姉様……?」

「ええ。わたくし貴方のことは噂で聞いて尊敬していましたの。是非そう呼ばせて戴きたいですわ。宜しくて?」

「いや、まぁ、それは……それより学園祭だが。難しくないか?」

「と言うと?」

「我々には禍鵺に対し日々警備と訓練がある。到底お祭りの準備や手伝いをする余裕はないと思うが」

「もちろん最低限の警備は継続して戴きますわ。但し訓練は学園祭までお休み戴きましょう。出店に関してはこちらから全力で支援しますのでご心配なく。どういった店を出すか、そこから今後相談しましょう」

 紗綺の懸念は想定済みと言わんばかりだった。

 そう言われて紗綺も口を噤む。

 学園きっての最強と謳われる彼女だが、口下手なのが最大の欠点だ。


「さて、何より重要なことをお伝えしますわね。学園祭で最も客入りのよかった店へのご褒美ですが」

 生徒に向かった枢は、指を一本立てて声高く言った。

「一週間、島外での自由行動をプレゼントします! 何なりとお好きなところへ行って羽を伸ばしてくださいませ」

 その言葉に生徒たちがいままで以上にどよめいた。


「えっ、マジ?」「おい聞いたか⁉」


 互いに顔を見合わせたり声を掛けたりしている。

 無理もない。

 鴉羽学園の生徒たちは基本島外へは出られない。無理に出ようとすれば袋叩きだ。実際それで痛い目に遭った生徒も少なくない。いままでにこんなチャンスはなかった。

 一気に場の雰囲気が変わる。

 妙な熱気が生徒を覆った。

「もちろん二位以下の店にもそれなりのご褒美を考えていますわ。ともかくふるってご参加くださいませ」

 枢はそう付け足し、満足げに笑みを湛えた。

 まだ何か言いたげな紗綺も、空気に押されたように押し黙っている。


「……では、学園祭については一旦このくらいにして」

 枢が改まって言った。

「ここでひとり、紹介させて戴きたい者がおります」

「まだ新生徒会のメンバーがいるのか?」

「いえ、これから紹介するのは新生徒会の一員ではありません。皆様も既にご存知の者ですわ。ただ、どうしてもこの場で紹介させて戴きたくて」

 紗綺が怪訝そうに眉を寄せた。

 それに構わず枢が後ろを振り向き合図をする。

 生徒会のひとりがステージの袖から何かを連れてくる。犬でも連れ出すように鎖を引っ張って。

 しかし現れたのは人間だった。

 四つん這いで、襤褸ぼろのような布切れを身に纏っている。

 くすんだ肌。汚れた黒髪。

 首輪を嵌め、そこから伸びる鎖。

 そして顔の左半分を覆う西洋風の仮面。

 生徒たちが一気に水を掛けられたように静まり返る。


「さあ、いらっしゃい」

 枢に促されて女——どうやら少女らしいそれは彼女の隣に来た。

 紗綺が眉を顰めて枢を見る。

「これは……?」

「ほほ、驚かせてしまってごめんなさい。……さぁ、舞鳳鷺まほろさん?」

 少女の鎖を引っ張って枢は言った。


「皆さんに謝罪するのですよ。そして赦しを請いなさい」


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