第7話 決着
ひとしきり頭を撫でて満足し、鈴はコートを羽織る。唯鈴にもふわモコのコートを着せ、これまたふわふわとした白いキャスケット帽を被せた。鈴は緩み放題のネクタイを締め、唯鈴と共に外に出る。本日店休日の札を扉に掲げ、息が白くなるのも気にせずに歩き出した。
向かったのは、駅前。既に駅前に到着していた美沙と合流する。
「今、お兄ちゃんに連絡しました」
「よし、これで警察も来てくれるね」
「……じゃあ、行きますか」
「ああ、地雷系女子をとっちめに行こう」
唯鈴が特定したアパート……メゾンドモイに、小走りで向かう。
メゾンドモイの三◯一号室の部屋の前で、息を潜めながらなるべく大きな音を立てないように鍵穴に鈎針を差し込む。何度か鈎針の種類を変えながら、ゆっくりゆっくり探っていくと、カチャリという小さな音を立てた。短く深呼吸して、鈴は扉を開ける。
「な、なななな!」
焦ったような声が聞こえてきた。アパートの部屋に入ると、地雷系ファッションに身を包んだ赤いインナーカラーの女……秋桜うつつが口をあんぐりと開けて立ちすくんでいるのが見える。
「な、なんであんたがここにいるのよ!」
「名探偵西園寺鈴だ! 大人しくしろ!」
「……クソ! く、来るな! 来るんじゃないわよ!」
錯乱したように目を血走らせている女が、背後にあった血のついた包丁を手に取り、切っ先を向けてきた。鈴は二人を下がらせ、左足を後ろに引く。
「あんたら全員殺して……殺してやる!」
一心不乱といった風に突進してきた彼女の右手を思い切り振り下ろした右拳で迎え撃ち、落とした包丁をすかさず部屋の隅へと蹴る。それから狂乱女を蹴り飛ばした。デスクに彼女の背中が激突し、デスク上の機材類が揺れる。
「唯鈴! 小倉くんは、恐らくそこだ!」
鈴が指した巨大な段ボール箱のようなボックスに取り付けられた扉を、唯鈴が開ける。
「ひっ……ひどい」
今にも泣き出しそうな声が聞こえ、鈴もボックスの中身を見る。そこには、両目から血を流し口にタオルを詰められた男の姿があった。足がピクリと動き、身じろぎをしている。
「生きてはいるな」
「こんな、こんな酷いこと……」
鈴は男の口からタオルを取り出し、拘束を解いて段ボール製の簡易防音室の中から連れ出す。
簡易防音室から出た瞬間、美沙が秋桜うつつに詰め寄っているのが見えた。
「どうして、どうしてこんな酷いことができるんですか! 何が目的ですか!?」
涙声を荒げる彼女の顔がどんな表情をしているのか、背後にいる鈴からは見えなかった。
けれど、後ろから見える依頼人の肩は大きく震えている。何度も、何度も、波打つように。
「あんたらが憎かったのよ!」
「どうして! 私達はあなたに何もしてないのに!」
「何もしてない? そこの男は私を裏切った!」
「裏切ったのはあなたの方でしょう!? 逆恨みも良いところです!」
鈴は美沙の肩を優しく抱きとめるように掴み、後ろに下がらせる。振り返った彼女の顔は、目を尖らせながら涙を垂れ流し、複雑に歪んでいた。鈴は彼女を下がらせてから拳を何度も握っては離し握っては離しを繰り返し、犯人の前にしゃがみ込む。
「リスナーを新参の配信者に取られ、登録者でも負け、自分にはアンチばかり。辛かったんだろうね」
「……ふんっ、わかってるんじゃない」
「名探偵だからね。名助手もいる」
名探偵を自称する彼女の声は、まるで悪さをした子供に自分が何をしでかしたのかを噛んで含めて言い聞かせているかのようだった。目の前の秋桜うつつの目は、最早どこを見ているのかも鈴にはわからない。それがなんとも、憎らしかった。
「どうしてここがわかったのよ」
「君はSNSで天使ミサを特定したんだろう? 私達もSNSを使ったんだよ」
「じゃあ、そいつがここにいるのはどうして! どうしてなのよぉおお!」
「それは名探偵の名助手である私が説明しましょう」
唯鈴が自分の胸をおさえながら、鈴の隣に座り込む。恨めしそうに自身を見つめる犯人に、唯鈴は微笑みを返した。
「盗聴器の近くで配信のメンバー限定アーカイブから、BGMを打ち消したものを再生してもらったんです」
「……は? でも私の画面じゃ配信中って!」
「実際にメン限配信をつけてもらいました。サムネはそのアーカイブと同じものですが、実際は真っ暗画面の無音配信です」
唯鈴の言葉に、鈴が首を傾げた。まるで聞き覚えのないトリックだった。唯鈴の肩をちょいちょいと人差し指でつつくと、唯鈴は「しーっ」と人差し指を自身の口元で立てた。
「そんなことって……」
「あなたは炎上で精神が不安定でしたから、簡単に騙せました」
「あ、アハハ、アハハハ!」
突然、犯人が狂ったように笑い始めた。かと思えば、次の瞬間には大粒の涙を流し、膝を抱える。そうして、ぽつりと雫を零すように口を開いた。
「そこのリスナーは粘着ネトストだとでっち上げて、探偵に依頼して調べてもらったの。そこの女はあんたらの言う通りSNSで特定したわ」
その声からは、先程までのような狂いも覇気もまるで感じられなかった。
「もう一度聞こう。どうしてこんなことをしたんだ。目まで潰して!」
「……わからないわ。ただ、私を見てくれないなら、そんな目は要らないって……そんなことを本気で思っちゃったのよ。だって、だって仕方がないじゃない……」
鈴はふうと息を吐き、彼女の腕を引っ張って立ち上がらせ、一発叩いてから振り返る。少し前に家に踏み込んでいたらしい玲音と、その上司である北小路三樹夫に犯人の身柄を引き渡した。
「動機は今の通り。自白も取れてるよ」
「お手柄だなあ、探偵」
「そうでもないよ……」
鈴は、目の潰れてしまった小倉を見て、肩を落とす。美沙が彼のことを抱きかかえ、わんわんと声をあげて泣いている。
北小路は犯人に手錠をかけて去ろうとする寸前、振り返った。
「ケッ、このぽんつく探偵が……」
「そりゃどうも」
嫌味を言うだけ言って、北小路は部屋を出た。鈴は美沙の肩に優しく手を置き、だけど何も言えず、ただ涙を流す彼女の背中を黙って擦り続ける。
「私……配信辞めます」
「……え」
はじめて、小倉が声を出した。熱い液体を流し込まれて火傷してしまったかのような、ガラガラとした声だった。
「リスナーさんをこんな目にあわせて……巻き込んで、私は最低の配信者です」
そう言って依然として泣き続ける美沙の肩を、小倉の手が探り探りで掴んだ。
「や、めないでください」
「……どうして」
「目は見えないけど、は、配信を聞くことは……できるから」
途切れ途切れになりながらも言い切る彼の顔は、笑顔だった。目が潰れていようとも、頭が悪かろうとも、彼が何を考えているのかがわかるような気がして、鈴は鼻をすする。
「ずっと、推し続けるよ……しば、らくは病室からだけどね」
「ひっく、ぐすっ、ありがとう……ありがとう!」
思い切り彼を抱きしめる美沙の背中越しに見える小倉……たぬぽんたが、とてつもなく大きい存在のように鈴には見えた。背は決して高くはなく、体格がいいわけでもないが、それでも鈴にとって彼は自分よりも大きく見えた。
鈴は唯鈴と目を合わせ、ゆっくりと部屋を出た。
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