第6話 秋桜うつつを特定せよ!

 ガッシャーン!


 突然、大きな音が鳴り響いた。何かが割れたような音に飛び起き、音のした店のほうへと走る。


「な、なんだこれ……」


 窓ガラスが割れて床に散乱し、破片の中心には大きな石と紙切れが落ちている。遅れてやってきた唯鈴の手を握りながら、鈴はゆっくりと窓に近づき、紙切れを拾い上げた。


「何々……これ以上追求すれば、たぬぽんたの命はない、ね」

「先生こりぇ、きょーはくじょー?」


 唯鈴の舌っ足らずな言葉を聞きながら、鈴は彼女の手をより強く握る。


 その瞬間、店の扉が開いた。不用心なことに、開けっ放しだったらしいその扉から入ってきたのは、血相を変えた美沙だった。


「た、探偵さん! また脅迫状が……え、ここにも!?」

「ああ、どうやら君が私に相談したのがバレているらしい」

「……ハッ」


 唯鈴が突然ビクッと肩を震わせ、鈴の耳に口元を近づけようとしてきた。鈴は少しだけ身を屈め、唯鈴に耳を貸す。


「盗聴されてるのでは?」

「なるほど」


 鈴が口元に左手の人差し指を当てて、唯鈴の手から離した右手で美沙を手招きした。美沙は首を傾げながら、鈴に耳を差し出す。


「盗聴されているかもしれん。持ち物を調べさせてほしい」

「わかりました。昨日と同じカバンです」


 ヒソヒソとした声で話してから、美沙からカバンを受け取る。


「いやあ! 脅迫なんて参るよなあまったくなあ!」

「本当ですよねー! もう降参しちゃいましょーかー!」


 わざとらしく声を出しながら、彼女の持ち物を一つ一つ丁寧に取り出していく。スマホ、財布、ハンカチにティッシュ、化粧品ポーチにのど飴、モバイルバッテリーが入っていた。唯鈴がモバイルバッテリーを慎重に持ち上げ、じっくりと観察する。


「あ! 美沙さん! スマホの充電切れそうですよー!」

「あ! 本当ですね!」

「先生、これだと思います」

「よし、任せろ」


 そろりそろりと事務所に戻り、工具を持ってくる。それから鈴は器用にモバイルバッテリーを分解していった。ドキドキと心臓の鼓動がうるさく高鳴り、その音を盗聴器が拾っていないか不安になりながら、モバイルバッテリーのケースを開く。


 すると、そこには小さい小さい盗聴器が入っていた。それを目視で確認し、慎重にケースをつけ直す。


「ビンゴだ」

「よし、一芝居打とう。バッテリーの充電をしたいと言ってくれ」

「あー! モババ自体の充電もやばいです! 充電させてくれませんか?」

「もちろんいいとも! さ、店内のコンセント使ってください! ん? モババ?」


 そうして事務所から一番遠い席にモバイルバッテリーを置き、念の為本当にコンセントに繋いでから、三人して抜き足差し足しながら事務所に入り、扉をゆっくりと閉めた。それから先日と同じようにソファに座り、顔を突き合わせる。二人は昨晩見た配信の内容とそれをもとに調査した結果を小さな声で、美沙に伝えた。


 秋桜うつつは、たぬぽんたが熱心に応援していた配信者だ。投げ銭もたくさんしていたが、美沙を推し始める少し前に秋桜うつつがリスナーを小馬鹿にした発言を裏垢でしていた。その裏垢発言が発覚した日に、美沙の初配信があり、以降は秋桜うつつ関連の投稿がない。この日にたぬぽんたこと小倉は秋桜うつつの推しを降りた。


 裏垢発言発覚後の秋桜うつつの配信は人が増えはしたがアンチが多く、配信もそれまでの楽しそうな雰囲気とは一変、情緒不安定になってしまった。


 そして、以前熱心に応援してくれていたリスナーが別の配信者にご執心だと文句を言うようになった。文句は徐々にエスカレートし、行方不明になる四日前の配信では「絶対に許さない、あいつもあの女もひどい目に合わせてやる」と息巻いていたのだ。


 聞き終えた美沙はガックリとしたような様子で、ソファに深く腰をかけ、目を細めている。


「逆恨みじゃないですか」

「ああ、その通りだ。こんなことは許してはおけないよ」

「気になるのはどうやって二人を特定したかですね」

「んー……通話をしてたし、前から連絡先を知っていたのでは?」


 鈴の言葉に美沙が頭を振った。


「配信者から繋がりたいと言われても断るような人だから、あり得ません」


 鈴は「そうか」と短くこぼし、まるで髭を撫でるようにして顎を右手の親指と人差指で撫でる。


「もしかして……あの、美沙さんのSNSアカウントを見せてもらってもいいです?」

「え? あ、はい、もちろんです」


 美沙が自分のスマホを取り出し、SNSのアカウント画面を見せた。新作フラペチーノ美味しかったという文言でシュタバの写真をアップしたり、いつものハンバーグ定食おいしいという文言で定食屋の料理の写真をアップしたりしている。内装からして、中洲堀駅前通りにある定食カワ平らしい。


 鈴はふと、唯鈴の顔を見た。目の色が変わったかのように、鈴には見えた。


 ほかには、風景の写真などがある。


 (不用心だなあ)


 鈴にもわかるほどに、その投稿はあまりにも無防備過ぎた。


「……先生、これ」

「おっと」


 唯鈴が、ある投稿を拡大して見せる。


『チョッキーくんのクソデカぬいぐるみ落ちてた!』


 道端に落ちている巨大なぬいぐるみの写真。昔流行ったホラー映画のキャラクターのぬいぐるみで、等身大よりも少し大きな珍しいものだった。鈴は漏れ出るため息をこらえきれないまま、美沙をじっと見据える。美沙は首を傾げて、鈴を見つめ返していた。


「美沙さん、これは迂闊でしたね」

「うかつ?」

「特定するためのよくある手口なんですよー」


 唯鈴が得意げに、しかし小声で解説しはじめた。


 特定したい人物のSNSアカウントに張り付き、写真などから大方の生活範囲を特定する。そこから家の場所にあたりをつけ、付近に思わず投稿したくなるような変なものを落とし、見張っておく。まんまと写真に収めてアップロードしてしまうと、その落とし物を置いた人物にだいたいの家の場所を特定されてしまううえに、見張られている場合には姿もバレてしまうのだと。


 加えて、美沙の投稿には部屋の中からの写真もあった。窓の外から映る景色と、この落とし物投稿を合わせると、ほぼ完璧に家のあるマンションを特定できる。


 姿も特定されている場合、帰宅時まで見張っていれば、部屋番号を割り出すことも簡単だ、と。


「盗聴器は特定した後に侵入してつけたんでしょうねー」

「これ、そんなに常に持ち歩いてるんで?」

「ええ、たぬぽんたさんから配信活動三ヶ月記念で貰ったものなんです。お互いに匿名でプレゼントを贈れるサービスがあって……」

「それも投稿から知ったんでしょうねー」


 美沙は、すっかり頭を抱えてしまった。


「そんな……こんなことで特定できるんですね」

「では私達も特定し返そう」

「ですね、先生」

「え?」


 唯鈴がノートパソコンを使い、秋桜うつつのSNSアカウントを表示させた。直近の投稿は荒れた文章ばかりだが、遡ってみると日常的な投稿が見えてくる。鈴はそのなかのある写真を拡大表示させた。


「なるほど、見たことがない加熱式ってこれか」

「どうかしたんです?」

「目撃情報のやつだよ。気になってたんだ。加熱式たばこというのはデバイスの数はそう多くないんだよ。国内で出回っているものなら、見たことがないというのはちょっと変なんだ」


 写真に映っているカード型のガジェットを指し、鈴は小声で解説し続ける。


「これはVAPEだね。ほら、ここにカートリッジの箱も映ってる。これは海外で売られているカートリッジ式VAPEの交換用カートリッジでね。ニコチンリキッドが注入済みで売られているんだよ。吸い終わったら、カートリッジは使い捨てなんだ」


 ニコチン入りのリキッドは、日本国内では製造販売ができない。日本では煙草葉を使ったものだけをタバコとして認めており、ニコチン入りの液体は劇物という扱いになるため、日本国内での販売や譲渡および転売は禁止されている。個人輸入であれば、税関に止められない一月に百二十ミリリットル以内であれば問題がない。


「ま、だからなんだという話なんだけどね」


 鈴は無反応の唯鈴の様子を見た。彼女は何かを考え込んでいるのか、写真をじっと見ながら腕を組んでいる。少しそうした後、唯鈴はニヤリと笑って鈴に抱き着いた。


「先生、これいけますよ。お耳貸してください」

「ん? うん」


 鈴が耳を興奮気味に見える助手の口元に近づけると、彼女はヒソヒソ声で作戦を伝えた。鈴は作戦を聞き終えて、唯鈴と同じようなニヤリとした笑みを浮かべ、美沙のほうへと振り向く。


「美沙さん、やってもらいたいことがあります」


 唯鈴が美沙にも耳打ちをすると、美沙は目を輝かせて力強く頷いた。


 それから三人で店に戻り、モバイルバッテリーの置かれたテーブル席に座る。美沙は深呼吸をして、頭を下げた。


「すみません、もう依頼を取り下げます」

「そ、そんな……!」

「先生、仕方ありませんよ。こうなったらもう……」

「すみません、私、帰ります!」


 美沙がモバイルバッテリーと荷物を回収し、店の外へと駆け出した。二人は顔を見合わせてから笑顔でハイタッチをし、カウンターへと向かう。炭酸水を二人分のグラスに入れて、一気に飲み干した。


「そういえば、どうやって特定したの?」

「ふっふっふ……これです!」


 唯鈴が見せてきたのは、鈴が先程拡大していた写真だった。


「この鏡をですね……」


 画像処理ソフトで、その鏡付近を鮮明化処理しながら拡大していく。少しずつ浮かび上がってきたのは、窓の外の景色だった。ピンク地に白文字で書かれた看板が見える。


「新乳シャイン……お風呂通りのソープの看板だ!」

「このお店の看板がこの角度で映る部屋はですね~」


 唯鈴が今度は、地図を開いて見せてきた。


「このアパートの、しかも三階なんです」

「確かに位置的にそうか」

「しかもこのアパートは三階建てで、一階につき二部屋しかありません」

「うんうん、見たことがあるよ」

「この看板がこの角度で見える部屋は、三◯一号室だけです!」


 声を張り上げる唯鈴に、思わず抱き着きながら、頭を激しく撫でる。唯鈴は気持ちよさそうに「うにゃ~」と声を漏らした。


「偉いぞ唯鈴! これで小倉くんは助かるぞ」

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