第2話 依頼人 北州美沙 配信者
鈴は目を丸くして入ってきた女性を対面のソファに座らせ、自身は目の前のソファに座る。唯鈴がすかさず鈴の隣に陣取り、モメラという文章作成専用デバイスを開いた。鈴は懐から名刺を取り出し、客に差し出す。西園寺探偵事務所所長 西園寺鈴と書かれていた。彼女は恭しく受け取り、名刺をまじまじと見つめる。
「まずはお名前をお聞かせください」
「あっはい、えと、
「変わったお名前ですね、素敵です」
「私達が言えないと思いますよ、それ」
美沙は、二人のやり取りに乾いた笑いをあげる。愛想笑いのように見えたが、鈴は特段気にすることもなく、唯鈴のモメラに名前が書かれていくのを見ていた。
「美沙さんですね、本日はどのようなご依頼で?」
鈴が問うと、彼女の顔が曇った。鈴にとっては、見慣れた表情だった。彼女の依頼人は依頼内容を話すとき、よくこの顔をする。考えてみれば当然だ。探偵に仕事を頼むとき、人は困っているのだから。
美沙は拳を握って、深呼吸をした。
「あるリスナーを特定してほしいんです」
「リスナーさんの……特定? 配信者さんなんですか?」
「はい、
「本名からも名前を取っている、と」
美沙がスマホの画面を鈴に見せてきた。画面に映っていたのは、彼女のワイチューブチャンネルだ。登録者数は約十万人、生配信が中心らしくライブのアーカイブがスクロールしてもなかなか底につかない程度には多い。見ると、一日に複数回配信している日もあった。
「よほど配信が好きなんだな」
「リスナーの特定というと、何か誹謗中傷や迷惑行為ですか?」
「ああいえ……違うんです」
(違う? おいおい、まさか粘着ネトスト配信者じゃないだろうなあ)
実際、配信者が特定のリスナーを粘着して特定しようとする依頼が、これまでに二度ほど西園寺探偵事務所に持ち込まれたことがあった。そうした行為の手伝いはできないと断ってきた彼女は、肩の力を抜いて懐から電子タバコを取り出す。VAPEという種類の電子タバコだった。
「言っておきますが、そういったご依頼はくだらない理由であれば、お受けできませんよ」
「くだらない理由、ですか?」
「たまにいるんです。リスナーにガチ恋しちゃったとか、他の配信者に浮気されて嫉妬しちゃってとか」
言ってから電子タバコを吸おうとする鈴の手から、スティック型の電子タバコが取り上げられる。隣を見ると、唯鈴が唇を尖らせながら鈴の電子タバコを手にしていた。
「依頼人の断りもなく、ニコチン入りリキッド吸おうとしないでください」
「あ、はい」
「ですが、先生の言う通りです。そういったご依頼ならお受けできません」
唯鈴が自分のポケットに電子タバコを仕舞う。伸ばした鈴の右手を唯鈴の左手が叩いた。
美沙は「いえ、違うんです」と言い、また深呼吸をする。二度、三度と深呼吸をした後、口を開いた。
「何か、事件に巻き込まれてるみたいなんです」
「事件、ですか?」
「はい……」
美沙は事情を話した。唯鈴がそれをモメラで書き取っていく。内容を整理すると、こうだった。
美沙が配信活動をはじめたのは、ちょうど半年前の二◯二三年八月十六日。なんとなくはじめた雑談配信に、たぬぽんたというリスナーが初めてのコメントをくれた。たぬぽんたはずっと最前線で応援してくれて、SNSアカウントでも好きだ応援してると言ってくれていた。登録者数と同時接続者数が増え、メンバーシップを開設してからもメンバー第一号になり、ずっと応援してくれている人だと。
しかし、二日前の午前の配信からぱったりと来なくなった。最初は推しを降りたのかもしれないと不安だったが、今朝、自宅に手紙が届いた。差出人名は、たぬぽんた。
美沙は一息ついて、くしゃくしゃの紙を取り出した。
――――。
たぬぽんたです。
素敵な配信をいつもありがとうございます。
けれど、一週間以内に配信を辞めていただきたい。
抵抗するのなら、あなたを殺します。
警察に言っても無駄ですよ。人質がいます。
察しがいいあなたならわかりますよね?
人気者になって天狗になってるあなたへのお仕置きです。
通報しようと考えず、素直に応じてくれれば人質は解放します。
報告は不要です。常にあなたを監視しています。
――――。
「ふむ……反転アンチってやつか! いるんだよなー、こういうのさ」
「違いますよ先生! これ縦読みです!」
「む……そ、そうか」
「そ、そうなんですよ」
美沙が各段落の最初の一文字を指し示していく。
「た、す、け、て、けい、さつ、に、つう、ほう」
「助けて、警察に通報か!」
「これはどう考えてもSOSですね! 誰かに誘拐されて監禁されてるんですよ!」
鈴は何度もその文面を見て、ふうと息を吐いた。よく見ると、筆跡がガタガタとしている。自分の意志で書いた文章だとは、名探偵を自称する彼女には思えなかった。縦読みになるように文章を調整したのだろうし、その胆力はあるのだろう。
しかし、人の恐怖心は胆力だけでは消せないということを鈴は知っている。眼前の紙に書かれているのは、恐怖に震えているかのような線の乱れた文字だ。
「私、心配で心配で……もし何かあったらと思うと……」
鈴が美沙の顔を見た。より一層、曇り空になっているように見えて、ソファに深く腰をかける。これまでのリスナー特定依頼とは、まるで質が違う依頼に、少しだけ自身の手が震えるのを感じた。
「わかりました、引き受けましょう」
「い、いいんですか!?」
美沙の曇り顔が、ほんの少しだけ晴れたように見えた。鈴はその顔をじっと見つめて、彼女の手を取る。
「もちろんです」
「あの、報酬は……」
「成功報酬で無理のない範囲で構いません。もっとも、必ず成功させますがね」
「お任せください!」
唯鈴の胸を叩くパシッという音が事務所内に響いた。美沙は目に薄っすらと涙を浮かべながら、鈴の手を取り返し、頭を下げる。
「よろしく……よろしくお願いします!」
「ええ、お願いされました」
「絶対に助け出しましょう!」
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