第27話 物語の題材

 まさに自由です。想像の翼を広げて、好きなものを書けば良いのです。ただし、高い評価を受けたいのなら、以下のことを覚えておかなければなりません。

 例えば、異世界転生もの、異世界転移もの。二匹目のどじょうどころか、百匹目、千匹目、万匹目の粗製乱造となった現在、このジャンルは終わりです。よほどの突出した部分が無い限り、高い評価どころか良い評価さえ受けられません。ただし、どうしてもこのジャンルで良い評価を受けたいのなら、一つだけ手があります。

 高村光太郎作「智恵子抄」を知っているでしょうか。光太郎が智恵子と出会い、智恵子と結婚し、弱っていく智恵子を看病し、亡くなった智恵子を偲びながら独りで生きる。実話を基にした詩集ではあるのですが、全体としてはそのような展開になっています。

 さらには、片山恭一作「世界の中心で、愛をさけぶ」、橋本紡作「半分の月がのぼる空」、住野よる作「君の膵臓をたべたい」など。全て、「彼女と出会い、弱っていく彼女を看取り、彼女を偲ぶ」という内容です。類似の内容ということであれば、かの有名な村上春樹作「ノルウェイの森」を挙げることも出来ます。小説に限らなければ、新川直司作「四月は君の嘘」などもあります。

 つまり、何らかの琴線に触れるストーリー展開であれば、ある程度の年数を空ければリバイバルが可能になるのです。現在の異世界転生ものや異世界転移ものがいったん廃れ、そこから五年か十年待った後に新作を発表すれば、良い評価を受けられるかも知れません。

 異世界転生ものや異世界転移ものに関しては同様の認識を持っている人も多いと思います。しかし、もっと深刻な状況にあるジャンルが存在します。それは日常の一こまを書き記した小説や随筆です。

 心が疲れた。気分転換をしよう。散歩に出てみよう。郊外を走ってみよう。

 何だか退屈。面白いことはないだろうか。街へ出てみよう。賑やかさに浸ってみよう。

 それらは多くの人が実際に思い、現実に行なっていることです。そのため、その種の作品はすでに大量に存在しています。しかも、小学生の作文からプロの小説随筆に至るまで、途切れることなく大量に生み出され続けています。

 残念ながら、日常の一こまものは億匹目のどじょうです。誇張ではありません。日本の人口は億を越えていますし、歴史的な累計人口はもっと多いのですから。作品の相対評価という観点からは、過当競争は異世界転生ものや異世界転移ものの比ではありません。いったん廃れた後のリバイバルもあり得ません。日常の一こまのジャンルでは、客観的に見て仮に良い作品であったとしても、先行作品群の厚い雲を突き抜けなければ決して認められません。異世界転生ものや異世界転移ものよりも状況ははるかに苛烈なのです。

 小説投稿サイトの作品群に目を通してみると、日常の一こまものを書いている人たちの技量は全般的に高いようです。特にいくつもの短編を書いている人たち。せっかくですから、別のものも書いてみませんか。

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