第26話 主人公の役割

 主人公は物語を通して最も動く人物でなければなりません。いや。その言い方は不正確です。他の登場人物も人間なのですから、物語世界の裏で色々と動いているに違いありません。つまり正確に言えば、主人公は物語を通して最も主体的に事態に関与する人物でなければなりません。

 例えば、男は訳ありの殺し屋。思い悩んだり迷ったりする時もある。そのたびに占いの館に出向き、お気に入りの占い師に話を聞いてもらい、何らかの示唆を与えてもらう。

 この場合、男は主人公たり得ます。一方、占い師はいつも特定の場所にいて特定のことをしているだけ。全く動いていないので、主人公たり得ません。ところが、初心者が特に三人称視点や神視点を採用した場合、占い師を主人公にしてしまうことがあるのです。

 良く見ると、主人公は事態の推移に流されるように従っているだけ。脇役の方が主体的に動き、積極的に事態に対処している。この場合、主人公とされた人物は主人公たり得ず、脇役が主人公の役割を担っています。脇役の方を主人公とする物語を読みたかったとの声が出てくるのは必至です。

 一人称視点を採用した場合にも、この問題は発生し得ます。しかし、物語は主人公の視点で進行していくため、問題は顕在化しにくくなるとは言えます。

 ここでは「動かない主人公は問題」と断定的に論じていますが、実はその種の主人公が登場する既刊作品は多数存在します。大抵の場合、それらにおける主人公の役割は、実は主人公ではなく語り部です。例えば、主人公は特に活躍することもなく、他の登場人物から別個に事態の推移を聞き出し、それをもって読者に間接的に物語の全体像を伝える。

 特に神視点を採用する場合には、この問題に細心の注意を払わなければなりません。神視点にはすでに神という語り部が存在しています。物語の構成上、主人公がさらに語り部になる必然性は無いのです。

 主人公たり得ず、語り部にもなり得ず、ただひたすら自身の心情を垂れ流すのみ。そんな主人公は必要ありません。主人公の名札を外して、河原で石に向かって独り言でも呟いていれば良いのです。主人公なら主人公らしく事態の推移に関与すべし。そのことを忘れてはいけません。

 次の例を考えてみましょう。

 

 第一部。王都で反乱が発生し、王族はほぼ皆殺し。残るは幼い王子と忠臣一人。忠臣は王子を担いで走り出す。どこまでもどこまでも駆け抜ける。

 第二部。王子も成長し、同調者が参集する。旗頭は王子、忠臣は参謀。奪還を目指して王都に迫る。

 

 全体を通して王子を主人公とする構成もあり得ます。ただしその場合、第一部では王子は実質的に語り部役を務めることになるでしょう。また、第一部の主人公は忠臣、第二部で王子を主人公とする。そんな構成も考えられるでしょう。

 話は変わって、以下の言説について考えてみましょう。主人公は物語を通して成長しなければならない。創作の現場で良く聞かれる言説ではあるのですが、字句の通りの一般論として受け止めてはいけません。

 まず、大人になるとはどういうことかを説明します。幼児期から児童期にかけて、人は自分というものを認識し始めます。つまり自我の芽生えです。その後、周囲からの影響を受け続けながら、他者というものを認識し、自身の在り方について考え、次第に自信や確信を持って行動できるようになっていきます。その最終段階に達した者を心理的な意味での大人と呼びます。

 通常、大人になる年齢は二十歳前後とされています。しかし現実には、それよりも遅い者もいれば早い者もいます。昔は十五歳辺りで元服の儀式が行なわれていました。現代でも、精神的な意味での大人は早ければ中学生辺りから現れ始めます。

 ただし、ある程度の知識を有している人に向けて書きますが、中学生段階で大人になる者は自我同一性達成ではなく早期完了の状態にある方が多いでしょう。

 大人を主人公とする場合、安易に主人公を成長させようとしてはいけません。大人とは自我の完成を意味します。そこに成長と呼べるほどの変化が生じたら、それは自我の揺らぎ、もしくは自我の崩壊となって現れます。

 難しい話をしているように思われるかも知れませんが、大人というものに関して、多くの人はすでに理解しているはずです。例えば、大人は僕たち私たちの言うことなんか聞いてくれないとか。

 大人の自我の堅さは既存の創作でも当然の如くに描かれています。例えば、連作の刑事もの。刑事たちはいつもの通りに捜査に当たり、いつもの通りに解決する。それが自然であって、事件のたびに刑事たちが大きく動揺していたらそれこそ不自然です。もちろん、刑事は事件に慣れているという側面もありますが、自我が固まっている大人であればこそでもあるのです。

 子供を主人公とする場合には、物語を通しての成長は起こり得ます。ただし子供にとっては、自身が望んだ訳ではない厳しく激しい出来事は、成長の糧となるよりも心の傷になる場合の方が多いのです。

 ですから、「主人公は必ず成長すべし」とまでの強い主張に対しては、それは極めて不自然と反論せざるを得ません。もちろん、小説の内容は架空ですから、そんな複雑な部分まで現実に即す必要は無いのかも知れません。もしくは、即さない方が物語の後味は良くなるのかも知れません。つまり要するに、この問題は物語のリアリティーレベルとも密接に関係しているのです。

 主人公が大人の場合であれ子供の場合であれ、物語を通しての変化は当然起こり得ます。例えば、経験を通して知見が広がる。例えば、訓練や実践を積んで技術や能力が向上する。その種の変化は適時きちんと描写していかなければなりません。

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