第10話 会話文とスーパーリアリズム

 会話文は登場人物が発した言葉であり、通常は「」で囲まれて表記されます。一方、地の文はそれ以外の文章です。

 作品全体に占める会話文の割合はどの程度が適切なのか。明確な指針を示すことは出来ませんが、おそらく四割程度が限度。それを越えると会話文が多すぎる小説と認識されるようになります。そして七割から八割に達すると、もはや小説ではなく脚本であると見なされるようになります。

 ちなみに、会話文と地の文の割合は以下の手順で調べられます。ワードプロセッサーや高機能エディターを利用して、まず作品全体の文字数を調べます。次に、作品内の「」で囲われた部分を全て削除し、残りの文字数を調べます。それが地の文の文字数です。

 削除にはワードプロセッサーや高機能エディターの置換機能をワイルドカード文字と共に使用します。もちろん、作品のデータを壊さぬよう、これらの作業は複製したデータを用いて行なった方が良いでしょう。

 それでは、以下の四つの例を比較してみましょう。

 

 山田は鈴木を言葉で制止した。

 

 山田は鈴木に、やめておけと言った。

 

 山田は鈴木に「やめておけ」と言った。

 

 山田は鈴木に言った。

「やめておけ」

 

 四つとも、「やめておけ」という言葉が発せられたという作中の事実を表現しています。ただし、一つ目では行動の様態を抽象的に説明しているのに対し、二つ目以降では発言をそのまま提示しています。そのため、二つ目以降の方が直截的であり臨場感が高くなっています。

 臨場感は感覚の一種であり、何らかの外部要因に誘発されて読者の内部で発生するものです。文章は文字の集合体であり、文章が臨場感の起因になることはあっても、文章自体に臨場感がある訳ではありません。

 一般に、人には想像力もしくはファンタジアと呼ばれる能力があります。つまり、脳裏に景色や人物の映像を作り出し、脳裏で人の声を実際に聞く。そして、頭の中に想像の世界もしくは仮想世界を生成する。程度の差はあっても、大多数の人はその能力を日常的に無意識に使用しています。

 地の文による臨場感の発生には、文字情報から心象風景への変換作業が必要となります。一方、会話文は発言をほぼありのままに提示していますから、それによる臨場感の発生に変換作業はほとんど必要ありません。

 会話文の割合を増やしていくと、臨場感が高くなっていきます。そして、ある割合に達すると、異様とも言えるほどの臨場感を読者にもたらすことが可能になります。その割合を数値で示すことは出来ません。それは物語の内容や文体によって変わります。

 ただし、会話文の割合を増やしすぎると、逆に臨場感は大きく損なわれ、読者は強烈な苛立ちを感じるようになります。情景描写の欠如と過剰な会話文。その構成は人の認知の特性から大きく外れているのです。

 読書の間、読者は特に意識することなく自然に、文字情報を元に脳裏に仮想世界を作り続けています。しかし、会話文ばかリで構成される文章には人の声しかありません。その結果、読者は脳裏に仮想世界を十分に作れなくなり、物語はほとんどもしくは全く頭に入らなくなってしまいます。

 読者は小説内の仮想世界を自身の脳裏に転写します。ですから、小説内には仮想世界がきちんと存在していなければなりません。仮想世界を内包していない小説は読者に倦怠を、場合によっては苦痛を与えます。情報の過多も問題だが、情報の欠落は致命的である。そのことを良く理解しましょう。

 絵画の世界にはスーパーリアリズムと呼ばれるジャンルがあります。手描きではなく、まるで写真であるかのよう。それがスーパーリアリズムの特徴です。この節で述べた臨場感の最大化という考え方は、小説におけるスーパーリアリズムの一種です。

 スーパーリアリズムが現れた時、絵画の世界では批判が起きました。絵画は写真ではない。スーパーリアリズムには絵画としての味わいも深みも無いと。

 小説の世界には、ライトノベル、普通に言う大衆小説、中間小説、純文学などのジャンルがあります。そして、それらのジャンルの中でも後者になるほど表現の抽象度が上がります。小説でスーパーリアリズムを追究すると、特に純文学や中間小説を志向する人たちから批判を受ける可能性があります。小説としての味わいも深みも無いと。

 未刊作品には会話文を主体とするものが多い。それは事実です。もし、あなたが将来は純文学や中間小説も手掛けてみたいと思うのなら、会話文は極力減らした方が良いでしょう。もし、あなたが将来もライトな小説を書き続けたいと思っているのなら、会話文の改善に取り組んだ方が良いでしょう。

 かつて絵画の世界では、例えば印象派も批判の対象となりました。それは絵画ではない。単なる印象に過ぎないと。そして、現在は漫画批判です。絵画は漫画ではない。漫画のように描くなと。しょせん創作の世界における批判なんてそんなもの。そんな風に割り切ってしまう、もしくは腹を括ってしまう。それも一つの考え方でしょう。逆に、大勢に沿うのが生き残りの道。それも一つの考え方でしょう。

 最後に一つだけ付け加えておきます。深みの無い物語で臨場感を追求すると、悪い意味でのB級映画のような身も蓋もない代物になってしまいます。物語に深みや重みが無い場合には、臨場感よりも小説に特有の雰囲気づくりに注力した方が良いでしょう。

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