第8話 人名と地名

 現代の日本を物語の舞台とする場合、難読の人名の採用はお勧めできません。人名が出てくるたびに、これは何と読むのだっただろうなどと読者に考えさせるようでは、読者を物語に引き込むことなど到底叶いません。

 それでも採用したければ、人名に逐一ルビを振っていくことも考えられます。しかし、一々ルビに目を凝らさなければならないのは煩わしい。それが読者の一般的な感じ方ではないでしょうか。

 ただし念のために付言しますが、このような場で現実の日本社会について論じるつもりは全くありません。

 ヨーロッパ風の架空世界を舞台とする場合にも、人名の選定には注意が必要です。以下では明確に家名と固有名を分けて考えることにします。ちなみに、山田太郎であれば家名は山田、固有名は太郎です。

 例えば、登場人物には全員、明らかに意図的にフランス風の名前が付けられている。その中にヘンリエッタ・ブルゴーニュという人物がいた。この場合、この人名には二つの問題があります。

 第一の問題。固有名は「Henriette」と綴ります。そして、フランス語読みを片仮名表記すると、「アンリエッタ」、「アンリエッテ」、「アンリエット」などとなります。つまり、フランス風を意図していながら、最も目立つ冒頭の発音を誤っているのです。

 第二の問題。「Henriette」のドイツ語読みの片仮名表記は「ヘンリエッテ」です。語尾が少々異なるとは言え、それでも「ヘンリエッタ」がフランス風よりもドイツ風に近いことは間違いありません。一方、家名は確かにフランス風。家名と固有名に異なる言語を用いてしまっているのです。

 この問題を分かりやすく言い換えれば、日本人を登場人物とする小説に「山田マイケラ」、「鈴木エリザベサ」などの人名を採用して良いのかという話になります。ミカエラやエリザベータなら採用もあり得るのかも知れませんが。

 作品中にこのような人名が出てきた場合、読者は次のような疑問を持つことでしょう。

 その一。その登場人物には何らかの来歴があるのではないだろうか。もしかしたら、移民かも知れない。帰化人かも知れない。国際結婚をしたのかも知れない。

 その二。作者はキラキラネームを敢えて付けているのだろうか。それ以前に、まさか作者は人名をいい加減に決めているのではないだろうか。

 その一のような前向きな反応ならともかく、その二の如くに読者に足元を見られてはいけません。

 この問題に対する解決策を提示する前に、なぜこんなにも細かいことにこだわるのかを説明しておきましょう。

 現在、大学進学率は半数を超えています。大学で多くの人は第一外国語として英語を、第二外国語としてその他の言語を学びます。その内に大方は忘れてしまうことが多いようですが、それでも簡単な挨拶や数の数え方、言葉の響きなどは意外に覚えているものです。つまり、若い世代を中心に正式に多言語に触れた経験のある者が急速に増えているのです。そのため、外国語に関する手抜きを読者に見抜かれやすくなっているのです。

 人名は小説中に最も頻繁に現れる語の一種です。そして、奇妙な名前が出てくるたびに、読者は「それは変だよ、変リエッタ。どこの人だよ、エリザベサ」などと呆れて苛立つ。これでは、読者はいずれ読み続ける意欲を失ってしまいます。

 それでは、家名に対する解決案の一つを提示します。家名の由来には様々なものがあります。例えば、住処の地名、住処の土地柄、往時の職業、あだ名など。この種の事情は日本でも外国でも同じです。それを逆手にとって、架空の名称を勝手に作り出してしまいましょう。なお、以下の手法は家名だけでなく地名にも使えます。

 翻訳サイトに例えば「白い丘」と日本語で入力し、他言語に翻訳します。翻訳サイトの中には発音を教えてくれるものもあります。その機能を使って実際に耳で聞き、片仮名で表記します。英語であれば「ホワイトヒル」、ドイツ語であれば「ヴァイサーヒューゲル」、フランス語であれば「コリンブロンシュ」、スペイン語であれば「コリナブランカ」などとなることが分かるはずです。さらに言えば、地名の読みの経年変化は現実世界でも珍しい事象ではありません。言語の語感を残した上で、それらを少し変形しても良いでしょう。

 次は人名中の固有名。世界各国の固有名を国別一覧表の形式で公表しているサイトが数多くあります。それらを参考にして、家名と整合性のある固有名を決めれば良いでしょう。

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