第2話


 帰る場所はない。あるにはある。しかし生徒と、それも異性の生徒の家に泊まるのは躊躇われる。さらには異性の生徒というだけではない。いつのまにか結婚相手になっていた。学園は生徒と教員の結婚について反対はしていなかったし、また規則違反でもなかった。ところが、サワの倫理観はこれを赦さない。

 彼女は学園から貸し出された車の中でうずくまる。市街地に出てホテルを探すか、大浴場で身を清めたあと車中泊にするか。新しい物件を探すにも時間がかかる。何よりも、生徒と教員の結婚については生徒側の力が強いのである。それが教える者と教えられる者とが結婚したとき、ちょうど良い分配なのである。紙面上、夫ということになっているカオル・嘴咬はしばみノワゼットを洗脳してしまっていたらしい。

 自身の個人的なこれからの生活だけでなく、生徒に対する態度についても、彼女は二重に考え込む。

 静寂の中にいると、窓を叩く音がした。外に人影がある。錦玉館きんぎょくかんの校章がまず目に入った。窓ガラスを下げていく。そこにいるのは、アズキ・叶哭かなきガナッシュである。

「どうしたの?」

 サワは努めて平静を装った。

「アマツカサ先生、ノワゼットくんのところ帰るんですか」

「ううん。さすがに急だし、ノワゼットくんもちょっと環境が変わって気が変になっちゃってるのだろうし」

「じゃあ、今夜はどちらへ?寮を?」

 彼女はまたもや首を振る。

「申請が遅れちゃったからね……今日はホテルにでも泊まろうかな」

 すると、アズキ・叶哭ガナッシュはチケットを1枚取り出した。

「あの、ホテルの宿泊券、今日の手続きが終わらなかったらって不動産屋さんからいただいたんですけど。別にぼくじゃなくてもいいらしいのでどうぞ」

 サワは刺青の入ったら朗らかな顔を見上げた。

「いいの?」

「もうおうち決まったので使いませんし、ぼくも止めなかった責任がありますから」

「ありがとう、ガナッシュくん。助かった」

 彼ははにかむ。そして品の良い挨拶をして帰っていった。アズキ・叶哭ガナッシュという生徒は、誠実で優秀な生徒である。彼の進路を後押しし、サワはこの場にいるけれども、それは間違っていなかったのだ。彼女は感動した。

 

 生徒からもらったチケットはシュクレホテルのものだった。サワはそこへ車を走らせた。そして部屋をとることができた。

アズキ・叶哭ガナッシュの譲った券は大いに活躍した。ホテルは混んでいるのだったが、この券によって空いていた。

 カオル・嘴咬ノワゼットは問題児だったのだ。内気で陰気で引っ込み思案で目立たず、成績優秀であるために気付かなかった。それに引き換え、アズキ・叶哭ガナッシュは童顔にそぐわぬ刺青によって異様な感じはあるけれど、雰囲気と印象どおり穏和で、成績だけではなく素行も気前もいい。サワにとっては手のかからない生徒のほうが可愛かった。

 彼女はシャワーを浴びてから、ホテルの空気を味わった。市街地にあるため、山や海が見えるわけでもなく絶景というわけにはいかなかったが、金を基調とした古びた彩色の天井だのシャンデリアだのが非日常的な世界観を作り出す。シュクレホテルは主にビジネスホテルとして利用されているが、上階にいくにつれシティホテルめいた装いになっていた。

 サワは、真っ白な女神の彫刻を中心に作られた人工的泉の脇にあるソファーに座っていた。そこは室内公園めいたラウンジだ。金刺繍が固い。

「あ?」

 目の前に人影が迫る。知った制服だった。

「そこ、オレ様の場所」

 革靴からスラックス、ニットベストに片側に偏って留めてあるローブ。留具は生徒会、それも生徒会長を示す金バッヂであった。つまり、今、フリアンフィナンシェ ジェノワーズ校の生徒会長がそこにいる。長めの茶金髪を針金めいたカチューシャでかき揚げ、妙に威圧感があった。

「君は……」

 何故、学生がこの時間、このホテルにいるのか。

「どかねぇ気?ま、いいけどよ」

 ソファーの反対側に彼はどかりと座った。そして自宅のように片脚を上げた。彼がその制服を着ていなければ、サワは素知らぬふりをしていた。だが彼は制服によってフリアンフィナンシェ学園所属だと周りに知らしめている。

「公共の場よ。行儀が悪いんじゃない?」

 それは自分が教師であるという傲慢にも似ていた。サワは教師として言う資格があると意識が過剰だった。

「公共の場、ね」

 横柄な感じのする生徒は、片脚を座面に上げ、片脚を床に投げ出し、肘掛けと彫刻の側面を背凭れにして本を読んでいた。異国語である。図書室のシールが貼られていた。彼は態度を改めることもなかった。目も紙面に注がれたままだ。

「ちょっと……生徒会長なんでしょう?フリアンフィナンシェの生徒として恥ずかしいよ」

 すると生徒会長はやっとサワを見遣った。

「フリアンフィナンシェはそんなご大層な学校じゃないぜ~、お姉さん」

 呆れた調子だった。生徒会といえば、いじめをしていたろくでもない、荒んだ組織である。

「わたしはあそこの教師なのだけれど……」

「あ?マジ?あの芋校の?はっ、よっぽど職にあぶれてたんだな」

「あなた、名前は?」

「言って覚えんのか?」

 彼は異国の本を捲った。ペーパーバックだが表紙は安っぽくない。教師の相手をしている場合ではないらしい。

「教師をバカにしないの」

「教師ってのはそんなにお偉いんですか?先生。無条件でバカにしてはいけないと」

 本が閉じられた。ライオンを彷彿とさせる生徒会長は脚を下ろした。

「先生。それなら、先生も生徒を敬わなければならないと思いますね。先生?え?教える立場からというものが勘違いさせるのでは。忘れちゃいけませんね、生徒のほうが賢く聡明な場合があるということも。年の功でゴリ押すまでもなく」

「人をバカにしてはいけないの」

「それなら目的語は、"教師"ではありませんな。そうですね、先生?」

 慇懃な態度はもはや嫌味だ。

「そ、そうね。そのとおり」

「よろしい。向上の近道はまず認めることです。"僕は"ソウマ・シュトーレンです。ま、明日まで覚えているとは思ってねぇから期待はしてねぇぜ」

「シュトーレンくん?シュトーレンくんね。おうちに帰らないの?こんな時間に……不健全です」

 ソウマ・シュトーレンはソファーから腰を上げた。

「教師ってのは、教師ってだけで随分踏み込んでくるんだな。自宅おうちだって?ここだぜ。ここはシュトーレン家のホテル。分かるか?」

 彼は振り返りかけ、冷ややかにサワを見下ろした。それから精悍な眉を動かした。

「ああ、あんた、さっき生徒会室に来てた人……」

「そうよ。いじめも見ました。やめなさい。最低よ」

 乾いた笑いが漏れていた。ラウンジを去ろうとしていた巨躯が戻ってくる。

「じゃああんたで、楽しませてもらおうか?」

 揶揄だったであろうか。冷笑であっただろうか。脅迫であった。サワは冷えた汗が噴き出す感じがした。近付くと、威圧感を肌でも感じるのだった。





 出勤してすぐに、カオル・嘴咬ノワゼットが駐車場に待ち構えていた。フロントガラスに、問題の生徒が佇んでいるのが見える。サワは平静を装って車から降りた。カオル・嘴咬ノワゼットに動きはない。ただ昏い双眸が、教師を捉えている。

「おはよう、ノワゼットくん」

 すべて忘れたふりをした。何も知らないふりをして、無関係のふりをする。

「どうして昨日、帰ってこなかった?」

 地は甘い声をしていたが、怒気を孕んでいた。

「帰ってこなかった……って?」

「昨日はどこに泊まった?」

「ホテルだけれど……」

 サワの態度は険しくなった。生徒に探られているのが、気に食わない。

「誰と」

「1人に決まっているでしょう」

 小さな溜息が聞こえた。

「今日は帰ってきてくれるんだろう?」

「ノワゼットくん。わたしは教師であなたは生徒。違法ではないけれど、わたしは同意してない」

「書類上はもう、先生と俺は結婚している。夫婦なら一緒に住むのは当然だ。帰ってきてくれ」

 懇願するような口振りで、音吐おんとは落ち着き払っていた。

「同意した婚姻ではないわ。あんなのは無効よ」

「どう証明する?俺の魔押まおう模写を覆せるのか。もう受理されたぞ」

 サワはカオル・嘴咬ノワゼットから顔を背けた。

「書類上がどうであれ、夫婦として生活することはできないから」

 彼女はそう言って、駐車場からキャンパスのほうへ向かっていこうとした。しかし手を握られる。人質のようにカオル・嘴咬ノワゼットに掴まれている。

「待て。どうしても……どうしても先生と暮らしたい。どうすればいい。どうすれば同棲してくれる?」

 サワは目を逸らした。諦めさせるしかあるまい。カ=ステイラ地域の古典文学にも、艶福家の美女が執拗な求婚者を遠ざけるために無理難題を突きつけたという話がある。

「わたし昔からドラゴン妖精を飼うのが夢だったの」

 それはやはり無理難題であった。ドラゴン妖精というのは学園から遠く離れたバーチ・ディ・ダーマキャニオン自然公園に棲まう紅みを帯びた龍で、妖精を思わせる翼が生えているのだった。

「……」

 カオル・嘴咬ノワゼットは諦めたのか、纏う陰気の色を濃くした。相変わらず不機嫌そうな表情で、むしろこれが素であるならば、無表情であるとさえいえた。

「だからノワゼットくんとは住めないわ。婚姻届のほうはわたしのほうで……」

「3日。3日だ。3日くれ。3日欲しい」

 食い気味に彼は言った。3日もあれば、彼も自身の過ちに気付くであろう。

「分かった。じゃあね」

 サワはその場を去った。一息吐きたい。時折、彼女はこの仕事に対する己の適性を疑った。背伸びをし、虚勢を張り、理想像を演じている。生徒に思い違いをさせてしまうなど教師失格だ。



……ぐぉり、ぐぉり……ごりりり……


……ごりッ、ごりごり、ぐぉり……


 骨に響く音が近付いてくる。硬いものを噛み砕いている。肉食動物がすぐ傍にいるのではあるまいか。


……ぐりり、ぐりっ、ぐり、ぐぉりり……


 サワは息を潜めた。

「アマツカサ先生」

 気配も足音もなかった。驚きのあまり肩が跳ねた。男声にしては高く、女声にしては低い。女性なのだとしたら、畏まっているのが尚更低く感じられる。

 彼女は振り返った。そして唖然とした。髪を乱雑に切られ、白皙の顔面には青花赤花が散っている。何よりも片目がなかった。眼球がないのだ。右目のあるべきところがすぼんでいる。暴力の痕が生々しくそこに刻まれている。

「トゥールトくん、どうしたの、それ」

 咄嗟に生徒の肩を掴んでしまった。

「コーヒー、お飲みになりますか」

 アヤト・トゥールトはコーヒーミルを差し出した。

「そうではなくて……一体、誰が……」

「自己責任による怪我です」

「そんなはずないでしょう? 病院へは行ったの? 誰なの、こんなことしたのは……」

「アマツカサ先生の知るところではありません」

 別の教員に説明が済んでいるのだろう。負傷直後ではなかった。一夜は明けているようだ。わざわざ遠地から赴任した教員に言うことはないのだろう。

「そう。他の先生に相談してあるのね? それならいいけれど。お大事に」

「アマツカサ先生。コーヒーはいかがですか、飲みませんか。紅茶もあります。ケーキも」

……ぐぉり……ぐりり、ぐりっ、ぐりっ……

「じゃあ、紅茶をいただこうかしら」

 アヤト・トゥールトはついて来いとばかりに歩き出した。制服のローブは丈が長いようだ。引き摺っている。対応は年の割に落ち着いて大人びているが、時折、所作にあどけなさが混じる。

 案内された部屋は暗く狭かった。部屋自体も狭かったが、おびただしい数の本の山によってさらに狭くなっていた。出窓の傍にある二人掛けの丸テーブルにも窓台にも本が積み上がっている。外には薔薇の生垣と芝生が青々とした小さな庭を作っている。

「ここは何のお部屋?」

「空き部屋だったところを譲り受けました」

 アヤト・トゥールトはテーブルや窓台の本を片付けにかかる。

「散らかっていてすみません」

「ううん。気にしないで。昨日はごたごたしちゃって、あんまり落ち着けなかったから、今日はこうしてトゥールトくんがお茶に誘ってくれて嬉しいよ」

「そうであるのなら幸いです」

 片付けや掃除は苦手らしかった。給茶器サモワールに点火して、湯が沸くまで彼は本を棚や箱に戻していた。

「コーヒーとか紅茶が好きなの?」

「淹れるのが、好きです。飲むほうは好きではありません。ですが他人事が飲む姿には関心があります。ところで、ケーキはシフォンケーキとチョコレート、チーズがあるのですが、どれにしますか」

「じゃあ、シフォンケーキで……それも、手作り?」

「はい。気分転換になりますから」

 彼は魔氷冷庫を開けてシフォンケーキを取り出すと、ナイフを入れた。しなやかな手付きにサワは見惚れた。

「すごいね。美味しそう」

「レシピどおりに作りました」

「レシピどおりに作るっていうのがまずすごいよ」

 ガラス玉みたいな目がぶっきらぼうにサワを捉える。何を言っているのか分からない、そう思ったかのような。

「暇でしたら本を読んでいてください。そちらにあるのが僕の選書したものです」

 サワは丸テーブルの上の本数冊に目を通す。背表紙で腹がいっぱいになる。


・ビスキュイ地方 酒100選 ピエスモンテ創研社

・ハ=ト・サブレイ地方 街歩き

・士道コンクールへの道 土辺ドベから成り上がる300日

・ジェノワーズの奇跡 ルセット文庫

魔為マナ消費の無駄を減らすメソッド

・健康はイイ崇高水から アンビベ社

・持つだけ! 清浄しょうじょう


 胡散臭い表題部ばかりである。学術書ではなかった。

 彼女は食器の世話をしているアヤト・トゥールトを目で追った。見た目や態度に似合わない選書である。

「なんだか美容室みたい」

 アヤト・トゥールトはわずかに振り向く。感情の読み取れない澄んだ眼が、丈の長い制服と相俟って幼く見える。美少年だ。ただ一瞥しただけらしく、すぐに首を戻す。

「いつもこうしてお茶会するの?」

「いいえ」

「なのに先生のこと、誘ってくれたんだ?」

「僕は人の気持ちが分かりません。ですから人と関わることで学ぶしかない。そのために誘いました。そういう理由では嫌でしたか。他人ひとは僕の勉強道具ではないと、以前言われたことがあります」

 サモワールが沸騰を告げる。天辺に装着した急須を外し、紅茶茶碗に中身を注ぐ。透明性のある赤褐色が瀑布ばくふを作った。物音が心地良い。

「どうぞ」

 小さな円い盆に紅茶茶碗とケーキの皿が乗って、サワのもとにやって来る。

「ありがとう。いただきます」

 アヤト・トゥールトはそのまま対面の椅子に腰を掛ける。

「ティーカップ、かわいいね。自分で買ったの?」

「はい。ですが、無地ですよ」

 形は丸みを帯びているが、分厚い作りの白い陶器である。皿も同様に無地だった。

「え?」

 指摘の意図が分からなかった。彼女は器を見回してしまった。窓から入る光によって微かな青みを帯びて見える。

「柄はありません」

「柄のことを言ったのじゃないわ」

「では、一体何を以ってかわいいとおっしゃられたのですか」

「形が少し珍しいから柄がないほうが曲線が綺麗に見えるし、紅茶の色も映えて見える」

 アヤト・トゥールトは返答に反応することもなく、ただ茫としていた。捉えどころがない。眼球を失った目蓋が、瞬きのたびに引き攣れる。

錦玉きんぎょく館のあるカ=ステイラ地方では、文通の際にまず便箋や墨汁インクに言及すると聞いたことがあります。食器についてもそうなのですか」

「その文化はとても昔ね。最近じゃあまりやらない。形式張りすぎて却って失礼だって。この食器を素敵だと思ったのはわたしの本心。社交辞令に聞こえた? 言い方が悪かったのかも。ごめんなさい」

「いいえ。そういうわけではありません」

 サワはシフォンケーキを一口食らった。鬆のなかに蒟蒻めいた豆腐のような食感が混ざっている。しっとりとして、砂糖が卵の甘味を引き立てている。

「美味しい。ふわふわだけではなくて、ちょっともちっとしてる?」

「口腔の水分を吸収しないほうが、紅茶やコーヒーを愉しめるものかと思ったのでできるだけ水分が多くなるように作りました」

「お店屋さんみたいだね。喫茶部とかあったら、楽しそうじゃない?」

 紅茶を啜る。熱が喉を通っていく。シフォンケーキの後味と干渉せず、さらにあの卵の甘みを求めたくなる程良い渋みがあった。

「すでに喫茶店がありますから。少し前に新設されたのです。わざわざ素人のものを食べたがる人がいるとは思えません」

「素人とは思えない仕上がりなのだけれど……」

 フォークがシフォンケーキを轢断する。


 アヤト・トゥールトと別れ、サワは職員室へと向かっていった。中に入った途端、机に向かっていた教員から呼び止められる。その傍にいた眼鏡の男子生徒も彼女を向いた。長身痩躯で、銀髪。鋭い目付きに知性が宿っている。峻厳な印象は他者が寄り付くのを拒んでいるかのようだった。サワには見覚えがある。

「アマツカサ先生、お手隙ですか」

 ケークサレ先生だ。"退廃魔術及び没義道魔術倫理学"の担任で、4期生を受け持っている。

「はい。いておりますが……」

 生徒に睨まれていることに気を取られていた。どこかで見た覚えがあるのだが、昨日は忙しなく、様々な初対面があった。思い出せない。

「お初ですかな。こちらは生徒会副会長の、トライフルくんといいまして……」

 ケークサレ先生は、生徒へ挨拶を促す。銀髪の男子生徒は軽く礼を見せる。

 生徒会副会長と聞いて彼女は合点がてんがいった。あのおぞましい生徒会で見た顔だ。

「ご紹介にあずかりました、2期生のミフミ・トライフルと申します」

 つまり、アズキ・叶哭ガナッシュや、カオル・嘴咬ノワゼットと同期生である。だが実年齢はもしかすると彼等より少し上かもしれない。雰囲気が大人びて見えた。

「生徒会なら昨日会っているわね。でもまた改めて……」

「アマツカサ先生でいらっしゃいますね」

「覚えていてくれたのね」

「一度聞けば覚えられます。ところで、」

 ミフミ・トライフルはケークサレ先生を一瞥した。

「トライフルくんが校外に出掛けるそうなので付き添ってくださいますかな。カ=ステイラ地方から来て早々、申し訳ないが……」

「承知しま――……」

「ケークサレ先生。1期生の校外実践学習の下見と整備です。何も事情を知らない教員が付き添いというのは憚られます」

 ミフミ・トライフルは視界の端にすらもサワを入れるつもりはないらしい。

「トライフルくんは優秀ですからな。その点に於いては、教員の帯同は形式的なものです。ついでといってはなんですが、アマツカサ先生にゼッポレ山岳を案内しておやりなさい」

 ミフミ・トライフルは眼鏡のブリッジを押し上げ、サワを冷やかに瞥見する。侮りが透けている。

「自分の任務で手一杯です」

「では、アマツカサ先生の引率も任務に入れましょうぞ」

「本末転倒では?」

 ケークサレ先生はミフミ・トライフルからサワへ椅子を回した。

「トライフルくんはとても優秀な生徒です。あまり手は掛からないでしょうが、どうぞよろしくお願いします」

「ケークサレ先生」

「はあ、はあ。そろそろトライフルくんには、人を導く立場になってもらいたいものです。シュトーレンくんとは違って、トライフルくんは少し自己評価を低く見ていますね」

「シュトーレンが傲慢なだけです」

 ミフミ・トライフルはわずかに俯く。

「それではアマツカサ先生、頼みましたよ。詳細はトライフルくんから聞いてください」

「承知しました」

「……失礼しました」

 承諾したのかと思いきや、彼はサワを置いてそそくさと立ち去ってしまった。追う。逃げ出し、隠れたわけではないようだった。後姿は歩いている。心做こころなしか焦っているようにも見えるけれど。

「トライフルくん、待って」

「付き添いは結構です。一人で行きます」

 立ち止まりも振り返りもせず、ミフミ・トライフルは歩いていってしまう。

「でも、誰か付き添うのが規則なんでしょう?」

「私がケークサレ先生に付き添いを願い出ただけです」

「一人で行かせられないわ。わたしもついていきます」

 小気味良い靴音が大きくなる。威嚇のようである。

「どこの分校からいらっしゃったのかは分かりませんが、足手まといにだけはならないでください」

「錦玉館です。錦玉館から来ました。一度聞けば覚えられるんですってね。よろしく」

 男子生徒は鼻を鳴らした。

「転校生が、ジェノワーズ校でも通用すればいいですね」

「そうなるよう手を尽くします。ご心配なく」

 ミフミ・トライフルの足は地下の空間転移室に向かっていた。扉のない個室が並び、そのひとつがゼッポレ山岳と繋がっている。

「1期生の校外実践学習とかおっしゃっていたけれど、何をするの?」

「錦玉館にはないようですね。班を組んで山を登るんです。知っている魔術を駆使するもよし、運動神経で乗り越えるもよしです。私たちは下見をしに行きます」

 彼は制服のローブを脱いだ。襯衣シャツと詰襟のジレ、スラックスの姿で、華奢な体躯であるはずのアヤト・トゥールトのずんぐりむっくりとした制服姿とは随分とかけ離れて見える。

「アマツカサ先生は初めてのようなので、私が先に参ります。失礼」

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シュガーレスホリック【全年齢版】 .六条河原おにびんびn @vivid-onibi

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