第一話 うしろゆび

……あれから二日が経った。

心にどこか穴を空いたような感覚はあったが、大学にはいつも通り行っていた。

彼女を想って涙が溢れるということもなかった。というか、未だにそれが現実だと思えていないというのが正しいのかもしれない。事実を理解して、『悲しい』と思える段階に、僕は多分まだ到っていないのだろう。

食堂でお気に入りのしょうが焼き定食のお盆を持って友人である啓太の隣の席に座る。

「やっ。啓太」

「お、大地じゃん」

そんな軽い挨拶を交わしてごく自然に隣に座る。そこからした話は友人同士の他愛ない会話といったところだ。例えばここ最近の天気の話とか、面白くなかった授業の愚痴とか、啓太の彼女が可愛いとかいう惚気とかだ。たまに小ボケを挟んできたりして、啓太と話しているのは面白い。何度も自然と笑みが溢れた。

「じゃ、俺はこの辺で」

「うん。僕は今からどうしよっかな」

「いや授業ねえんなら帰れよ」

「そうなんだけどさ、なんかそのまま帰る気分でもなくて」

「ふーん。あ、そういや駅前の床屋の横になんか新しい店出来てたぜ。暇なら行ってみたらどうだ?」

「あー、それアリかも。ありがとうね」

「おう。じゃあな」

「うん。またね」

笑顔で手を振って別れる。

……すると、なんとなく胸が痛んだ。

別に体調が悪いわけではない。いわゆるトキメキとかそういうやつでもない。

これは……そう、あれだ。誰かに責められている時の感覚だ。誰かに思い切り何かを責められて、萎縮しているような、恐怖を感じているような。罪悪感とも言い換えられるような。後ろ指を指される、そんな感覚だった。

理由は分からないけれどそんな気持ちだった。

それを理解したと同時に、気分の良くない今日は帰って酒でも飲んでさっさと寝ようと、俺は決定したのだった。



…………




帰宅し、冷蔵庫からビールを取り出して自室に入った。自室にはPCと楽曲製作用のインターフェースやmidiキーボードが乗せられたデスク、それにベッドも置かれていた。壁にはギターやベースが数本掛けられており、部屋の端の棚にはその他の機材やお気に入りのアルバムが幾つか置かれている。

スマホを取り出してメッセージアプリを開く。上から五番目くらいに表示された『sayaka』という文字を見て、微妙な気分になってやっぱりスマホを閉じた。

「うま……」

口にした新発売のビールの味に感嘆の声を漏らす。今度スーパーに行ったら買い込もうと思った。お気に入りの酒が見つかって素直に嬉しい気持ちが胸に広がったその時。

……また、後ろ指を指されたような気がした。

こんなBADな気分の時はいつも曲でも作って気分転換していたのだが、今はどうにもそんな気分にもなれない。

「やっぱ寝よう」

当初の予定通り、ビールを飲み切ってからベッドに飛び込むことにした。




…………




……電話の音だ。画面には『sayaka』と表示されている。

「もしもし」

「カラオケ行こーよ!」

「急だね。マジで急だね」

呆れた返事をするが、正直今まで振り回され過ぎて呆れることも馬鹿らしくなってきている自分がいる。

「もう予約してるからさ!13時から!」

「そこの準備は良いのになんで集合時間の一時間前に電話したの?」

「大地ならそれでも来てくれるかな~って」

信頼されているのは実に喜ばしいが、その信頼の結果が大体僕が困る方に向かうのはどうかと思う。

(まぁ、これで本当に行っちゃう僕も僕で悪いんだろうな)

「分かったよ。どうせ暇だし、ちょっと最近疲れてたから思い切り歌って気晴らしでもしたかったんだ」

「良いねぇ。じゃ、13時ね!」

プツリと電話が切れる。それからはまず遊びに行く時用の小さいカバンに財布を入れた。そして服を選ぶ。あれが良いかな、これが良いかな、と着ては脱いでを繰り返して試行錯誤する。カラオケは割と近場なので時間的には問題がない。

……などと余裕をこいていたら、結局到着した時間は待ち時間スレスレになってしまった。

この夏場に走るのはかなり疲れたが、その甲斐あって我ながらそれなりにお洒落なコーディネートになったと思う。

「あ、大地!やっほー!」

「やっほ……」

「めっちゃ疲れてるじゃん」

「は、走ったから……」

「お疲れ。じゃあ部屋入ろっか」

……まぁ、それに一切触れてくれないのもさやからしいところだと思う。

部屋に入ってからは四時間ずっと歌い続けた。僕の作曲家としての夢の結実をさやかの歌に託したあの夜の自分は間違っていなかったと、彼女の歌を聞くたびに改めて確信する。その時から凄まじい歌唱力だったが、今では更に磨きがかかっていた。

当然僕も歌う。さやかに比べれば聴くに堪えないものだろうが、それでも終始彼女は楽しそうだったし、僕も楽しかった。

料金の支払いを終えて退店する時、

「また来ようね!」

なんて笑顔でさやかは僕に言った。

口にはしなかったけれど、同じ気持ちだった。




…………………




……目が覚めた。

昨日はさやかとカラオケに行ったんだっけ。ちょっと記憶が曖昧だ。

「……とりあえず顔洗お」

今日は授業がないので早起きする理由もないが、かといって二度寝するような気分でもなく、いつもの朝食のコーヒーとトーストに、今日は時間があるから目玉焼きでも付けようかというアクティブな気分だった。食パンをトースターに突っ込み、お湯をポットで沸かしながら目玉焼きを焼く。一通り朝食が完成したら席に着いてテレビをつけた。

『今日の天気は一日中快晴。夜には星がよく見えるでしょう』

お天気キャスターがそんなことを言った。特に外に出る用事もないのに嬉しい気分になった。

朝食を食べ終え、食器を洗って着替えてから洗濯をする。洗濯機を回している間、僕はギターを持ってPCと向かい合っていた。

新曲を書いているところだ。大枠はもう出来ているから、後は細部を作るだけ。自分のアイデアを叩き込む。途中ちょっと疲れた辺りで洗濯物を干して、再びPCの前に帰ってきた。

「ここはこうして……これで」

ヘッドフォンから作成した音源が流れてくる。

「よし、出来た!」

自分の作品ながら良い仕上がりだと思った。

「さあ、後はこの音源をさやか…に……」

メッセージアプリを開いて、さやかとのチャット欄を開くと、それは三日前の十分少しの通話を最後に途切れていた。

「ああ……ああ……」

言葉が出ない。代わりに涙が大量に出てきた。

昨日カラオケに行ったあの楽しい記憶が夢幻だと気づいたのも今だった。

……ああ、そうか。

僕は、さやかの死がどうしようもなく悲しいんだ。

彼女は僕の初恋で、僕の夢そのもの。

僕はあの時に全てを失ったんだと、この悲しみを以てようやく気がついた。

ふと、笑っていた昨日の自分と、日常を楽しんでいたさっきの自分を思い出す。

「薄情者……」

自然と出た自分自身への言葉が、きっとあの罪悪感の答えだった。

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