バカだから

 恥ずかしい思いばかりして生きてます。

 それは私がバカだからです。

 私の間違いを、人は間違いだと気づいていても正してもくれません。

 ただ、人は、人の間違いに気づき、影で笑うのでしょうか。

 自分がそうなったときのことは考えずに……


 悲しい気持ちです。

 全てのことが、一瞬に理解できて、一瞬のうちに自分の中で判断をくだせても、そんなことはさして重要ではなく、間違いがないことが重要なんです。

 全て、言葉の一句一句が間違いでないことが重要なんです。

 それが、恥をかかなくていいことなんです。

 たとえ、その言葉にこめた思いが嘘でもまやかしでも、そんなことは何一つ問題じゃないんです。

 ただ、その目に映る文字が間違っていないことが、あの世界では恥をかかずにすむことなんです。

 人よりも、多くの情報を見ていることです。

 頭に止めておくことです。

 それだけしか、重要じゃないんです。

 その一字一句間違いのない、正しい言葉と嘘と真実がごちゃ混ぜになって、全てはもう嘘も真実もなくなってしまった、ただの言葉の亡骸だけが重要なのです。

 それを人は頭に読みとり、また別の場所でその言葉の亡骸を使ってまったく同じ型に組み立てることが重要なんです。


 いつか、人は今よりもずっと生きた言葉を使って暮らしていました。

 その人の心で言葉を紡ぎだし、声にしなければ決して他人には通じなかった言葉……

 それが今では耳からではなく、目から一方的に入るようになった。

 しかも、目から入る言葉は、もはやあなた自身にも選べない。

 必要な言葉と、不必要な言葉をあなたは選べなくなっている。

 それを見分けることさえ不可能になっている。

 その電脳の窓の奥にひたすら視線をそそぎ込み、新しい情報を読みとる。

 あなたがほしいのは言葉ではない。

 声ではない。

 人の温もりでもない。

 匂いでもない。

 表情でもない。

 感情でもない。

 情報という、誰かがゴミ箱に捨てた紙屑。

 時の手のひらから滑り落ちた一塊りの埃。


 私は、そこで……自分が望まない世界で、おそらく一人悲しいんでしょう。

 そして、もう今では何も感じなくなった言葉の亡骸の中に、生まれたての真実を放り込むのです。

 沼に飲みこまれるようにして、生き生きと色を放っていた言葉が青ざめ、すぐに死んでいくのを見るのです。

 そんな悲しい現状を前に、人は無関心に通り過ぎていきます。


 無関心な人が通り過ぎた後には、私のように恥ずかしい思いをする人が何人も残されるのです。

 本当は、そんなことはさして重要じゃないのに。

 重要な世界がある。

 私が重要だと思わないものが、全てとても重要で、それをおろそかにすることを死よりも恐れる世界があるんです。

 私にはもう、死より恐れるものはありません。

 全ては、死より恐れるに足らないんです。

 いや、死さえ恐れないでしょう。

 私が恐れることはただ一つしかありません。

 少しでも愛した人達たちの記憶が全てなくなること。

 私の中にあるもの全てが、きれいに無くなってしまうこと。

 それでもなお生きていることでしょう。

 空っぽの容器だけが、ただ時間の経過とともにそこにあるのです。

 死の瞬間でも、愛した人達の記憶が残されているなら、私は心穏やかです。

 その瞬間には、長い時の中に埋もれている声を、全て聞くことができるでしょう。

 私にとっての、必要なことだけを——




 ——何も理由を知らないままで流れていく時間に耐えられるんだね。

 何も疑問は抱かずに?

 立派な人だね。

 僕には真似できないよ。


 僕のかわいいあの子はね、いつも恥ずかしそうにしているよ。

 ビクビクしている。

 とても心配してるのさ。

 自分はバカだと思ってるからね。

 いつだって気にしてるんだぜ、また何か失敗するんじゃないかって。

 ドジでおっちょこちょいを絵に描いたような子なのさ。

 だから、迷惑かけちゃいけないって、いつもビクビクしてる。

 だけど、あの子ちゃんと知ってるから。

 ビクビクしてるだけでは始まらないんだって。

 いつだって、ぶちあたっていかなくちゃいけないって。

 あの子、じっと見てるだろ?

 目を輝かせてさ。

 でも、たとえあの子が何かを成し遂げてみても、誰からも気づいてもらえないんだ。

 だって、あの子は何一つみんなに言わないんだもの。

 またああやって恥ずかしそうにうつむいてるのさ。

 自分の成し遂げたことなんて、あまりにも小さくてささいなことだから、口にするのも恥ずかしいのかもしれないけど……

 そして、人は彼女のドジばかりを見て笑ったり、蔑んだりするんだよ。


 今、僕が冷静にこんなこと言ってると思ってる?

 ……そう。そうかい。僕が楽しいそうだって君は言うんだな。

 じゃあ、次の言葉はもう君には伝えないことにしよう。

 たぶん、もう君には会わないだろうね。


 最後に、一つだけ教えておいてあげるよ。

 気づいてたかい?

 きっと僕もあの子と同じ目をしていると思うよ。

 同じ思いをしているんだ。

 僕だって、自分のことをバカだと思ってるからね。

 だから、あの子のことがよくわかるのさ。

 今僕の目の前に座る君よりもずっとね。






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