引きちぎった耳




「アリア、なかなか帰ってこおへんのやもん。てっきり昼過ぎくらいには来るやろって 思て feliceフェリーチェで待ってたのに、ずっとおらへんから迎えにきてしもた」


 ルカが拗ねたように唇を尖らせる。

  feliceフェリーチェの営業時間は夜からだ。そこで待っていたということは、ダビデの許可を得て一緒に店内で待機していたのだろう。仲が良すぎる。


「ちゅうか、アリア、それ何?」


 ルカが私の手元にあるものを訝しげに見つめてくる。


「魔物の耳……」

「耳?」

「引きちぎっちゃった……」


 見つめ合うこと数秒。

 ルカがぶはっと噴き出した。


「は、あは、はははははは! さっすがアリアやなあ」


 ――その子供のような笑顔に、不覚にもドキリとした。

 見た目は怖いのに、笑った表情には少しの可愛げがある。


「わ、笑わないでくださいよ。こっちは必死で……」

「知っとる知っとる。引きちぎった理由があるんやろ?」

「……はい」


 私は引きちぎった耳から名前の付いたタグを外す。

 ペットにはペットの名前を入れる家庭が多いが、魔物には所有者の名前の付いたタグを付ける決まりがある。

 これを見れば魔物の飼い主、エミリアを湖に引きずり込もうとした犯人が分かる。


 恐る恐る捲ったタグの裏に刻まれていたのは――――レオ王子の宮殿でずっと私と仲良くしていた、執事の名前だった。




 ◆



 翌朝、私はレオ王子の宮殿の皆を広い応接間に呼び出した。

 最初、レオ王子が応じてくれないのではないかと思ったが、意外にもレオ王子はさっさと宮殿中のメイドや執事、警備員、エミリアまでもを連れてきた。


「何かと思えば、エミリア様を陥れようとしたあの娘か」

「我々も暇ではないのだ。言い逃れのために呼び出したなら許さんぞ」


 あちこちから私への文句や悪口が聞こえる。

 昨日よりも冷ややかな視線を向けられる中で、私は大きく咳払いして場を黙らせた。


 そして、状態が悪くならないように保存用の水溶液の中に入れていた魔物の耳を取り出す。


「ひぃっ」

「そ、それ、魔物の体の一部じゃない!」


 メイド達が脅えたように悲鳴を上げ、私から更に距離を取る。

 魔物など王宮の敷地内では滅多に見ないために慣れていないのだろう。地方では小型の魔物をペットとして飼っている人が多いが、王都ではそのような風習もあまりないと聞いている。


「湖の中に、水生の魔物が潜んでいました。これはその耳です。そして、この耳に付いていたタグがこちらです」


 テーブルの上に、執事の名前が書かれたタグを置く。

 場はしんと静まり返り、人々の視線が一人の執事に向けられる。


「この魔物は、エミリア様が落とした靴を探そうとしていた私の足に髪の毛を巻き付かせ、湖の中に沈めようとしてきました。元々人間を襲う性質なのでしょう。大型の魔物は魔物取り扱い免許がなければ購入できません。免許を所持しているのはそこの執事のみです」


 免許については昨日一晩かけてルカに調べてもらった。ルカというか、ルカが率いるマフィアの情報網を用いて、王宮勤務の執事やメイドの出自から持っている資格、家族構成、最近の物品の購入履歴に至るまで調べ上げてもらった。それらを調べても、怪しい者は私が仲良くしていた執事しかいなかった。

 私も信じたくなかったのでできるだけ細やかに調査してもらったが――彼が靴の革を切ったりすいたりするための道具を購入していた履歴が見つかり、時期も一致していたため、靴に細工したのも彼としか考えられなかった。


「私はこれまで、レオ王子がエミリア様と共にいる時間、この執事と常に一緒にいました。世間話として靴磨き職人の仕事についてや、水上歩行をする靴の弱点についても話していました。彼は私の知識を元に、エミリア様の靴に細工したと思われます」


 きっぱりと言い切る。

 私のことを疑っていた他の執事やメイド達もこれには驚いたようで、姿勢良く立っている背の高い執事の弁明を待っている。

 レオ王子は何も言わない。

 静寂に包まれた室内で、エミリアがごくりと唾を飲む音が響いた。


「――貴女はレオ様にふさわしくない」


 口を開いた執事から出てきたのは、私が一度も聞いたことのないような低い声だった。

 彼は急に大きく両手を広げ、レオ王子に向き直る。


「レオ様、聞いてください! こちらの者は、秘密裏に柄の悪いバーに通い詰めている、身分も品もない女です」

「違います! お酒を飲もうと思って通い詰めてるんじゃなくて、母の店に仕事として行っているだけで……」

「同じことだ!」


 未成年飲酒をしていると誤解されるのではと思い、否定しようとした私の言葉を執事が唾を飛ばしながら大声で遮った。


「この方は一国の第三王子なのですよ! 外に出て働くなどという低俗な行いをしている娘と結婚していいはずがない! それも靴磨き!? 土で汚れた靴に触れるような、国民の最底辺のような汚い仕事をしている者が、よくレオ様の隣に並べると自惚れたものだ!」


 ――低俗。この宮殿での唯一の話し相手で、靴磨き職人としての仕事の素晴らしさを認めてくれていると思っていた執事からの罵倒は、私の胸にぐさりと重く刺さった。


「僕はレオ様のことを幼少期から見てきました。レオ様とエミリア様が仲睦まじく成長するお姿を。お父上のご意向で望まぬ結婚をさせられるのが我慢ならない! それをこの娘、何度も何度も宮殿へ来て! 所作も発言も下品! 僕は美しいレオ様がこの後の人生をこの女と連れ添ってゆくことが、どうしても許せないのです!」


 彼の突然の熱意と豹変っぷりに、隣のメイド長がドン引きしたような顔で彼を凝視している。

 この執事は、実は物凄くレオ王子を崇拝していたらしい。


(所作も発言も下品っていうのは否定できないな……)


 レオ王子やエミリアの前では取り繕っていたが、この執事の前では素で話してしまっていた。エミリアへの嫉妬も丸出しにしていた。下品と言われても仕方がない振る舞いはしていただろう。

 その点については反省していたその時、それまで黙っていたレオ王子が立ち上がった。


「――誰が望まぬ結婚なんて言った?」


 レオ王子の静かな怒りを感じる。まさかこんなに近くに犯人がいるとは思っていなかったのだろう。それも、相手は自分の幼少期から宮殿にいる執事だ。


「つまり君は、僕とエミリアが結婚しなかったのが気に入らないからエミリアを危険に晒したってこと?」

「レオ様、分かってください。こうすればあの靴磨き職人に罪を着せられるのです。レオ様も嫌でしょう、あのような者と結婚するのは。あれがいなくなれば、貴方はエミリア様と結婚できるのですよ!」

「早とちりするなよ。エミリアは僕の友達であり、幼なじみであり、妹みたいなものだ。大切ではあるけれど、恋人にしようと思ったことはない」


 エミリアとの仲を否定したレオ王子の言葉に、執事が目を見開く。


 その時、上質なソファに座っていたエミリアが突然立ち上がり、私に向かって深々と頭を下げた。貴族の令嬢は身分の低い者にそうやすやすと頭を下げない。ぎょっとしていると、続けて凛とした声で謝罪がなされる。


「申し訳ありません。アリア様。わたくしは正直、アリア様を疑っておりました」

「……あ、頭を上げてください」


 自分よりずっと身分の高いエミリアにこのような恭しい態度を取られると落ち着かず、あたふたしてしまう。




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