水生の魔物




「――すみません、レオ王子! 多少強引にいかせていただきます」


 私はガシッとレオ王子の腕を掴み、無理やり引っ張ってベンチに寝かせた。

 抵抗したレオ王子だったが、かなりの高熱が出ているようで、私の手から逃れる程の力は今ないらしい。しばらくはレオ王子を寝かせようとする私の手を退けようとしていたが、途中で諦めたかのように腕をおろした。


 ダビデが冷製パスタを冷やし続けるためにケースに入れてくれていた氷をハンカチに包み、レオ王子の熱い額に当てる。

 レオ王子の病気は、現状のラクア王国の医療技術では根本的には治せないものだ。しかし、薬や工夫次第で症状を和らげること、少しでも楽にすることはできる。

 私は持ってきていた日傘をさしてレオ王子に当たる日光を遮った。


「私は母に、辛い時は寝るのが一番だと聞いたことがあります。寝て起きて少し楽になっていたら、あとで宮殿のお医者様に今日のことを伝えてください。すみません、私如きにはこういうことしかできないのですが……」

「…………」

「でもせめて、私はずっとここにいます」


 今日は一日を靴の捜索に使いたかったが、緊急事態なので仕方がない。

 そう思って休むように伝えると、寝転がっているレオ王子はぽつりと呟いた。


「……エミリアみたいなことを言うんだね」

「……エミリア様ですか?」

「エミリアも昔、そう言ってずっと僕の手を握ってくれていたんだ。メイドも執事も来ないような、孤独で暗くて広い部屋で、エミリアだけが僕の元に毎日来てくれた。皆、どうせ再発するのにいちいち看病しても仕方ないだろとか、病気が移るんじゃないかとか言って来てくれなかったのに。……エミリアだけだったんだ、僕にとっては」


 レオ王子が私に自分のことを話してくれるのは珍しいことだった。

 高熱で判断力が鈍っているせいで、本来言わないような本音が漏れているのかもしれない。それでも嬉しかった。


「だからレオ王子はエミリア様のことが大切なのですね。……私、エミリア様のことは恋敵だと思ってますし、レオ王子のおっしゃる通り嫉妬もしていますけど、レオ王子を支えてくれた人なら感謝もします」

「…………」

「エミリア様がいてくれてよかった。幼い頃のレオ王子が、本当の意味で孤独じゃなくてよかったです」


 そう言って笑うと、レオ王子の熱い手が私の手と重なった。

 当たってしまっただけだと思って引っ込めようとするが、その手をしっかりと掴んだのは意外にもレオ王子だった。指と指が絡み合い、恋人繋ぎのような状態になる。

 私が驚いて硬直しているうちに、下から寝息が聞こえてきた。


(…………あ、ああ、こういう時エミリア様とは手を繋いでいたからってこと?)


 レオ王子が眠ってしまったのでもう真意を聞くことはできないが、多分そういうことなのだろう。

 いきなりでびっくりした。ドキドキと鼓動を打つ心臓を落ち着けるため深呼吸する。


 レオ王子の綺麗な寝顔をついがっつりと眺めた後、見すぎてはまるで変態のようだと反省して湖の方に視線を向ける。

 視界に広がる青い湖の色が、少しレオ王子の瞳の色に似ていると思った。



 ◆


 目を覚ますとレオ王子はいなくなっていた。

 いつの間にか私まで昼寝をしてしまっていたらしい。戻れたということは、体調は少し回復したのだろう。体調不良が理由とはいえレオ王子と触れ合えたことが信じられなくて、夢だったのでは? とレオ王子と繋がっていた手の平をしばらくぼんやり見つめてしまった。


 西の空が黄金色に染まり、太陽がゆっくりと山の向こうへ沈もうとしている。

 私は周囲の変化に気付き勢いよく立ち上がった。


「ヤバい!」


 片付けていたピクニックケースを開いてパニーニを必死に貪り、喉が詰まらないよう一旦水を飲んでから、おやつとして一緒に入っていたそら豆を頬張って魚取り網を手に取った。

 このままでは夜になってしまう。レオ王子の埋め立て計画が進む前にどうにかエミリアの靴を見つけ出さなければ……!


 湖の上を走り、昼間の場所まで辿り着いた私は、ふとそこから少し離れた一角を見つめた。

 風が吹くたびに水面は小さな波紋を広げ、夕日の光を反射している。その上を数羽の白鳥が悠々と泳いでいた。しかし、その鳥達が不自然に不自然に避けている箇所がある。

 その一角だけ、鳥も魚も、まるで何かがあるかのように曲がって避けている。


 気になって恐る恐る歩いて近付くと、水の底に暗くて大きな影が見えた。


「何かいる……?」


 大きめの魚だろうかと思って覗き込もうとした時、水面が激しく揺れ、渦潮のように渦を巻いて不自然な流れを作り出す。

 ――このままでは引きずり込まれる。嫌な予感がして、水面を走ってその場から離れた。

 振り返れば、水の中から大きな大きな、不気味な魚人が頭を出していた。ドロドロとした太い髪のようなものが頭から生えているが、とても泥を頭から被った人間とは思えないサイズだ。顔のパーツも口と耳しかない。そのおどろおどろしい姿に悲鳴が漏れそうになった。


(――上級の魔物!?)


 ラクア王国の野生の魔物は、一つ前の王の時代に全滅した。今いる魔物は全て人が使役するものだ。それ以外の魔物は、見つかってもすぐに殺される。なのに、王宮の敷地内にこれほど大きな魔物がいるとは。

 湖の奥底に沈んで隠れていたのか、あるいは――。


「きゃあっ」


 ぐるぐると足に魔物の髪が巻き付き、私を渦の中に引きずり込もうとしてくる。

 必死に靴で水面を蹴って抵抗しようとするが、私程度の力では上級の魔物の力に勝つことはできない。水の中に体が沈んでいく。


 溺れそうになりながらも魔物の姿を確認した。髪の毛の中にエミリアの履いていた靴が巻き込まれている。

 そこで、もう一つ重要なことに気付いた。

 ――耳にタグが付いている。この魔物、野生生物じゃない。人が飼っているものだ。


 エミリアが沈んだのはきっとこの魔物のせいだ。更に、この魔物を躾けて操っている犯人がいる。

 これを誰かに伝えなければ、国民が愛しているこの湖でまた悲劇が繰り返される。ここで私が死ぬわけにはいかない。


「誰かっ……」


 助けを求めようとするが、既に靴は奪われており、水の上に浮かぶことができなくなる。

 陸が遠い。逃げられない。

 生存を諦めかけたその時、銃弾が魔物の頭部を貫いた。


 びっくりしてそちらを振り向けば、相変わらずの派手な格好でこちらに歩いてくるルカがいた。その靴は先日、私が磨いた靴だ。あの靴なら問題なく水上を歩ける。


 私は藻掻き苦しむ水生の魔物の太い髪の毛にしがみつき、耳に付いているタグを思いっきり引っ張った。ブチッと耳ごと取れる音がして、魔物が鼓膜が張り裂けそうになるほどの不気味な悲鳴を上げて水の底へ逃げ去っていく。


 同時に水の底に引きずり込まれそうになった私の腕をルカが引っ張って水上に上げた。大分水を飲んでしまった私はげほげほと咳き込みながらルカの腰に手を回し、もう落ちないようにと抱き着く。

 重いかな? と思ってルカを見れば、ルカは満更でもなさそうにしていた。


 その手にはラクア王国の有名な技師が生み出した自動式拳銃がある。一応、銃は騎士団しか所持できないことになっているのだが……と複雑な気持ちでルカを見つめた。王宮敷地内での発砲などもっての外だ。


 しかし、それに助けられたのだから文句は言えない。明らかに違法なのだが、マフィアのボスだからこそできる窮地の救い方だ。


「ありがとうございます。……っていうか何でこの湖に……。勝手に入っちゃダメだって伝えたでしょう」


 大丈夫なのか王宮の警備は、とやや心配になる。




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