疑いの目
「いくら嫉妬したからといって、名誉ある靴磨きの才を殺人未遂に使うなんて。君にはがっかりだよ」
「それは違います!」
そこだけは即座に否定できた。
私は絶対にそんなことしない。靴磨きの才は、靴に水上を歩ける力を宿し、人の生活を豊かにするためのもの。それを悪いことに使うなんて、神が許しても私のプライドが許さない。
「お言葉ですが、私は長年靴磨き職人をしてきました。時と共に磨いてきた財産である己の才能を利用して人を陥れるほど愚かではありません」
しかし、レオ王子には何を言っても届かなかった。
「僕の大切なエミリアを傷付けたとなれば、婚約は破棄する」
「……っ待ってください」
立ち去ろうとするレオ王子の服の袖を掴むが振り払われた。
軽蔑するような目でこちらを見下ろしたレオ王子のマリンブルーの瞳を見て、ああそうか、と納得する。
この人は誰も信用していないのだ。
ただでさえ王族という立場で色んな人に狙われて過ごしてきたのだから、こんなことが起これば疑心暗鬼になって当然である。
それを理解した時、私は一歩下がり、身を低くして申し出た。
「真犯人を私が見つけてきます」
「……は?」
「それまでは、私を宮殿に出入り禁止にしていただいて構いません。ただ、現場調査も必要になってくるかもしれませんので、あの湖には足を踏み入らせていただけると嬉しいです」
レオ王子はしばし無言になった後、何も言わずに歩き始める。
私は顔を上げ、その背中に向かって真摯な思いを伝えた。
「今は信じていただけないかもしれませんが、私は犯人ではありません。原因解明をしなければまた同じことが起こる可能性があります。エミリア様の御身のためにも、これは必要なことだと思います」
レオ王子に寄り添うように駆け寄ったエミリアが、私の方を振り向いて少し驚いたような顔をする。私がエミリアのために動こうとするとは思っていなかったのだろう。
「私は貴方を諦めきれない。貴方にいつか信用していただけるように、今はただ努力します」
言い終えるよりも早く、ばたん――と重厚な扉が閉ざされる。私の言葉など最後まで聞く必要はないと判断されたのだ。
レオ王子が出ていった後、残されたメイド達が「自分が犯人のくせに、白々しい」とこちらに聞こえるような声量で吐き捨て部屋を出ていく。
ぞろぞろと執事やメイドが去っていく中、二人だけ私の元に残ってくれた者がいた。
レオ王子がエミリアと仲睦まじくしている間、いつも私の相手をしてくれる執事と、超おいしいクッキーを作ってくれるメイド長だ。
「アリア様、本当に申し訳ありません。メイド達にはそんなはずはないと事前に伝えたのですが、彼女たちはどうもこう、疑い深くて……」
メイド長は悲しげに視線を下降させている。
ちらりとその隣の執事を見れば、彼も彼女と同様に項垂れていた。
……この人たちは私のことを信じてくれるんだ。
そう感じて少しだけ心が軽くなった。一気に安堵が襲ってくる。
「よかった~~~私一人ぼっちなのかと思ってたよ」
すっかり気が抜けて、深く椅子に座り込んで言った。
「一人でも私を信じてくれる人がいるなら頑張れる。ありがとう、二人とも」
「アリア様……っ!!」
「クッキーお作りしますねぇ……! お持ち帰りください……!」
二人は何故か涙ぐみながら私をワシャワシャと撫でてくる。
この可愛がりよう、最早私のことを娘か何かだと思っているのかもしれない。
◆
「……と、いうわけで。宮殿の敷地内に安易に踏み込めなくなったので、浮気のフリ作戦は中止です」
深夜のバー・フェリーチェ。
湖で別れたルカと約束通りそこで待ち合わせていた私は、ルカとダビデに今日あったことを口頭で説明した。
こんな状況ではあるが、私は正直ルカとの浮気のフリ作戦を中止するうまい理由ができたことに内心ほっとしている。
今日は引くに引けなくて実行に移した。しかし、それで分かったのはこのルカというマフィアが思った以上に心臓に悪いことだ。
この男はろくに言うことも聞かない。日を改めて作戦を実行するにしても別の相手がいい。ここで一旦縁を切っておくべきだろう。
ふと、それまで黙って聞いていたダビデが納得のいかないような表情で腕組みした。溢れんばかりのムチムチ胸筋が腕で寄せられている。
「ていうかぁ、そのエミリアって女の自作自演なんじゃないの? って思っちゃうアタシは性格悪い?」
「庇うわけじゃないけど、エミリア様はそんなことをするお方じゃない……とは思うんだよね」
「分かんないわよ。女ってのは腹の底が見えない生き物だもの。動機で言うならその子の方にこそあるでしょう。家同士の確執がなければエミリアが第三王子の婚約者だったはずなんでしょ? そこをぽっと出の女に……ってなるとアタシでも自作自演して陥れるわよ」
ダビデの言う通り動機は十分。しかし、事件前後のエミリアの様子からしてとても自分であれを計画して行ったようには見えなかった。
実際本当に溺れかけていたし、私の助けがなければ危ないところだったのだ。上級貴族のご令嬢が、いくら私とレオ王子の婚約破棄のためであれ、あれだけ命をかけて体を張ると思えない。
「やっぱあの時見殺しにしとけばよかったんちゃーう?」
カウンター席にいるルカが、酒を飲みながらへらりと笑う。ルカの持つグラスに氷がぶつかってからんと音を立てた。
「何の証拠もないのに動機だけで疑うのはレオ王子のメイド達が私にしてきたことと同じだよ。可能性としては考慮しとくけど、エミリア様のせいと決めつけるのは早いと思う」
私はダビデとルカにはっきりそう言い、湖の地図を開いた。
あの時エミリアが履いていた靴はメイド達に回収され修理に出されてしまった。あれがない以上、手がかりが全くない。
私が探すべきはもう一足――あの時エミリアが湖の底に落とした方の靴。
「ダビデ、明日はお店を任せてもいい? 私、湖で靴を探してくる」
湖の上を長時間歩けるような歩行力を与えて壊れない靴はあの時エミリアに投げてしまって、もう持っていない。
それに高級な靴は貧乏貴族の私がそうすぐに用意できるものじゃない。
けれど今は――一億フェリスがある。
私はダビデの了承を得てからルカに向き直り、お礼を伝えた。
「ルカ、貴方にも改めて感謝します」
「んえ? 俺ぇ?」
「お金は偉大ですね。おかげで、この先の心配をすることなく新しい靴を買うことができます」
そう言って金庫の鍵を取り出した私を見て、ルカはゆるりと口角を上げた。それはそれは嬉しそうな、気味の悪い笑顔だ。
「んふふ、アリアに感謝されてもうたぁ。俺があげた金でアリアが生活を営むと思うとなんやぞくぞくするなぁ。このままアリアの金銭感覚ぶっ壊して俺がおらな生きていけんようにしてあげたァい」
「は、はあ……」
無理やり口の端を上げるような苦笑いを返すことしかできなかった。
ちらりと横目にダビデを見上げれば、ダビデの方は特に怯えていないようで、「やだ~ルカったら」などと言って体をくねくねさせている。
この発言を聞いても何も恐怖を感じないのか、お前は! とその図太さに内心ツッコミを入れたい気持ちになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます