不良品の靴
予想外の事態にフリーズした私の前で、ルカがぷっと噴き出した。
レオ王子に支えられているから無事なものの、今にも溺れそうな、必死に人にしがみついている少女を見て笑うとは何事なのか。
「は、早く助けなきゃ……! ルカ、貴方も協力してください!」
「え、助けるん? 何で? ほっといたらアリアの勝ちやろ?」
ルカがきょとんとした顔で聞いてくる。
言っている意味が分からず、その顔を凝視してしまった。
「アリア、あいつのこと邪魔なんやろ。ええ気味ちゃう?」
違う。
エミリアのことを羨ましいと思ってはいるが、いくら何でも溺れ死んでほしいなどとは思っていない。私のくだらない嫉妬なんかよりも人命救助が優先に決まっている。
私は咄嗟に屈んで自分の靴を脱ぎ捨て、携帯している布でその両方を磨いた。この靴にも水上歩行の力はあるが、これだけ大きい湖の上を走って耐えられる程の強度はない。今からより強力な水上歩行の力を与える――間に合うか分からないけれど、何もしないよりはマシだ。
ちらりと横目にルカの靴を確認する。昨日磨いたばかりの高級靴。この靴なら湖の上だって軽々と歩けるはずなのに、ルカは全くそれをしようとしてない。
私は自分の靴を磨きながらルカに懇願した。
「ルカ、お願いします。早くあの人の元に行ってください」
「え~? どうせもう間に合わんやろお」
ルカは余程面倒らしく、悠長に自分の肩を片手で揉んでいる。
「このままじゃ目の前で女の子が死ぬことになりますよ。ちょっとは心痛まないんですか?」
「アリア以外の女なんかこの世界にいらんもん」
「~~~っああ、もう……ッ! どんだけ話通じないのよ、このクソバカ男! 道徳を学び直せーーーっ!」
私はルカへのイライラに任せて勢いよく立ち上がって大きく振りかぶり、自分の靴をエミリア達の方に向かって投げた。
ここからエミリア達の位置までは距離がある。
今から走って行っても間に合わない――そう思ったから。
「その靴に掴まってください、エミリア様!」
大きな声でそう伝えると、エミリアがレオ王子に掴まれていない方の手で私の靴を掴んだ。そのおかげで溺れかけていた顔が水の上に上がる。エミリアは何度か咳き込んだ後、少し落ち着いたのかほっとした顔でレオ王子を見上げた。
これでしばらくは大丈夫だろう。
「待っててください。今宮殿から助けを呼んできます!」
湖にいる二人にそう伝え、裸足のまま走って宮殿へ向かった。
ルカがつまらなそうに私の後を付いてくる。私の全力疾走に息一つ荒げずに追いついてくるのだから何だか複雑な気持ちだ。
「イチャイチャは中止ぃ?」
「残念ですけど、そんな場合じゃなくなってしまいましたので」
「ふう~ん。……なあ、さっきのもっかい言うてよ」
「さっきの?」
「〝クソバカ男〟ってやつ」
「…………」
ぶわりと全身から汗が吹き出てきた。
そういえば私、勢いに任せてマフィア相手になんてことを!
「ちょっとほらあの、言い間違えてしまって」
「別に俺、怒らんよ? アリアからの罵倒やったらなんぼでも聞きたい。なあ、もっかいちょーだい」
恐る恐る真横を走り続けるルカを見ると――物凄く、気持ちよさそうな顔をしていた。
いやどういうことだよ。何で罵倒されて嬉しそうな表情してるわけ!?
ゾゾゾッとまた悪寒が走る。
次の瞬間、余計なことに気を取られたせいか濡れた土の上で足を滑らせて転けてしまった。そういえば早朝は雨が降っていたのだった、と足元に気を付けなかったことを後悔しながら上体を起こす。
すると、ルカが屈んで私の足と背中に手を添えた。何だ何だと思っているうちに抱え上げられ、物凄い速度で宮殿の方へ運ばれる。
「な、な、なに」
男の人に抱えられるなんて童話の中の世界の話だと思っていた私は酷く動揺しながら聞いた。
「アリア裸足やし。怪我したら困るやん」
「もう既に血なら出てますし、私はその辺の貴族令嬢よりはタフなのでそんなに気を使わなくても……」
「血ぃ出たん? 後で舐めたるなあ」
「い、いりません……!」
ブンブンと首を横に振っているうちに、あっという間に宮殿が近付いてきた。
◆
夕刻。私が皆に知らせたおかげでエミリアは無事救出され、原因解明のために一度レオ王子とエミリア、そして宮殿の使用人たちが一箇所に集まり、エミリアの靴を確認することになった。
昨夜は緊張しながら眠ったというのに、まさかの事態が起こったせいで結局作戦は失敗に終わってしまった。レオ王子が私とルカの接近をちゃんと目にしたかどうかも微妙である。
宮殿の者にルカを見られるのはまずいので、ルカには先に帰ってもらった。また出直しかぁ、と大きな溜め息を吐いていた時、一人のメイドがエミリアの靴を持って私の元に近付いてきた。一つは湖の奥底に沈んでしまったらしいので、回収できたのはこの一足のみだ。
「アリア様は日頃は優秀な靴磨き職人としてご活躍されているとお聞きしました。お恥ずかしいことに、この宮殿には専属の靴磨き職人がおらず……。アリア様のお力をお借りしたいです。こちらの靴、アリア様から見てどう思われますか?」
「そうですね。やはり、この靴が不良品だったのが、今回の一件の原因かと……」
私は確かめるように靴に手を伸ばした。さすが上級貴族の履く高級靴、少し触っただけでも質感の違いが分かる。
そこでふと違和感を覚えた。
――こんなにいいものが、突然故障など起こすだろうか?
一流の靴磨き職人が磨いた靴は、靴の質さえよければ十年は水上歩行の力を衰えさせない。見たところそんな古い靴には見えないし、これまで水上歩行できていたのに突然溺れるなんて不自然だ。
うーんと唸りながら考えていると、テーブルを挟んで向かい側、レオ王子の隣に座っているエミリアが言いづらそうに口を開いた。
「……失礼を承知の上でお聞きしたいのですが。アリア様は、あんなところで一体何をなさっていたのですか?」
「えっ?」
痛いところを突かれ、声が裏返る。
浮気のフリをしてレオ王子の気を引こうとしてました、なんて言えない。
「怪しげな方と二人でお話していましたよね。春なのに冬のような服を着て……それに、顔に大きな傷がありました。……アリア様、誰かと協力してわたくし達を陥れようとなどしていませんよね? 今回のことだって、靴磨きの才を持つアリア様であれば靴に細工くらいできるでしょうし……」
「え!? い、いえ、まさかそんな!」
必死に否定するが、私達の周囲を囲むメイドや執事は私に冷ややかな視線を送っている。
――疑われている。ひしひしと伝わってくる、彼らが私に対して疑念を抱いていることが。
私はちらりとレオ王子を見た。レオ王子ならそんなわけないと否定してくれるんじゃないかと期待した。
しかし、エミリアの隣にいるレオ王子は思ったよりも冷たい目で私を見ている。
「正直僕も君のことを信用できない。僕に会いに来たというなら宮殿で待っていればいいのに、わざわざあんなところにいたんだから」
それはその通りすぎるので言い返せなかった。
いつもはレオ王子が何時間エミリアと一緒にいようが大人しく宮殿の応接間で待っていた。そんな私の健気さが逆に今回怪しまれる要因となるなんて。
「君なら動機もある。僕がエミリアと仲良くしているから嫉妬したんだろう」
それもその通りすぎるので言い返せなかった。
この宮殿の執事やメイドには日頃からエミリアとレオ王子の仲睦まじさについて文句を垂れているため、私がエミリアに嫉妬しているという話は一部の間で有名だろう。私が疑われるに値するのも納得できる。
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