一億の価値はありますか




 ◆


 ラクア王国には犯罪が多い。

 特に、南部発祥のラ・オルカという名のマフィアは最大勢力を誇っている。

 ラ・オルカは、殺人、麻薬取引、高利貸し、マネーロンダリング――罪には何でも手を出します! というノリで悪事に手を染めている組織犯罪集団だ。


 ラクア王国は王都のある北部の方が他国との交通の便が良く、歴史的に商業が栄えている反面、南部は経済発展が遅れている。

 北と南では貧困率や就業率が桁違い。水上都市開発も南部はほとんど進んでおらず、毎年水に沈んでいく地域が後を絶たない。

 そんな、国から取り残されたような環境下で生まれた人々は、正規の職に就けず違法なものに手を出す。犯罪率が上がっていくのも仕方がないと言えるような状況だ。

 そんな歴史的背景もあって生まれたのが今日のマフィアなのだが――。


(この人達の上着に付いてるの、ラ・オルカのシンボルマークだよね……?)


 私はどこに磨く余地があるんだと疑問に思ってしまうような綺麗な靴を磨きながら、ちらちらと目の前のルカ達の様子を窺う。

 ルカは見るからにして柄が悪い。その上さっきボスと呼ばれていた。そして、この資金力――嫌でも辿り着く結論があった。


(この人、ラ・オルカのボスってこと?)


 クロスでクリーナーを塗り込む指先が震える。

 怖い、強すぎる。

 私はこの店で様々な事情を抱える人々と接してきた。とはいえさすがにマフィアのボスなんていう悪の親玉的存在を接客したことはない。恐怖で漏らしそうだ。


 ダビデ、早く来て! と強く念じるが、こういう時に限ってダビデは他の客の対応をしている。

 カウンターでシェイカーを振るダビデに何度も視線を送る。しかし一向に気付いてもらえなかった。面白がってわざと来てくれていない可能性もある。


 諦めて無心で靴を磨く私のことを、目の前に座るルカは機嫌良さそうにじぃぃぃ~っと見てくる。そんなに見られたら視線で穴が開きそうだ。

 早く終わらせて帰ってもらおうと思い、いつもより雑に済ませようとした――が。


(……いや。いくらマフィアでも、お客さんはお客さんだ)


 クロスを片付けようとする手が止まる。

 職業で客を選んではいけない。この人は、私に靴を磨くことを求めているのだから。


 私は逃げる方向に流れそうになった己を恥じ、もう一度新しいクロスを指に巻いた。




 装飾の多い高級靴で、水上歩行の力を補修するのにも丁寧さが必要だったため、結局靴磨きが終わるまで数時間かかった。

 今日は他の依頼を断り、ルカの靴だけに集中した。終わった後は久しぶりにヘトヘトになり、磨いた靴を床に置きながら汗を拭う。


「ふふ、まさかアリアにまた磨いてもらえるなんて思わんかったわ」


 ルカはその靴を愛おしそうに撫で、中に足を入れる。

 〝また〟――さっきから、ルカは私のことを誰かと間違えている。もしくは以前出会っていて、私がそのことを忘れている。

 全身タトゥーだらけで舌ピアス耳ピアスもバチバチな上に顔にデカい傷跡……こんなに見た目が厳つくて特徴的な人物と出会って忘れられると思えない。人違いという説が濃厚だろう。


「はい、今度はちゃあんと受け取ってな」


 ゴトンと大きなケースが再びテーブルに置かれる。

 大金を受け取るのが怖すぎて、一億については先に靴を磨かせてくださいと保留していた。もし私の靴磨きの腕がルカの期待通りでなかった場合、先に一億なんて受け取っていたらトラブルになるかもしれないと思ったからだ。

 しかし、ルカは私の靴磨きを見た後も変わらず一億を渡してくる。

 思わず疑いの目を向けてしまった。


「……この仕事に一億の価値がありますか?」

「あるよ」


 笑顔で即答される。

 このお金をもらうことで、後々酷い目に遭うのではないかなどと色々嫌な想像が頭を巡った。

 相手はマフィアだ。突然五倍にして返せと言ってくるかもしれない。

 いやでも、こんなしがない靴磨き職人に取り立てなんてするメリットが見えてこない。どう考えても返せない額だし。……もしくは私が王子の関係者だから、将来性を見越して接触を?

 葛藤はありつつ、目の前に広がる札束に、卑しくもぐらぐら心が揺れる。このお金があれば、母の代で行った店の改装費のローンを払いきれるかもしれない。


(まぁ、この人の金銭感覚がバグってるだけかも!)


 ぐるぐる考えた後――私は潔く思考を停止することにした。


「ありがとうございます。このお金は当店のために使わせていただきます。本日はご来店ありがとうございました」


 ばたんとケースを閉じてしっかり受け取る。

 もうどうにでもなれという気持ちだった。


「……店のためぇ?」


 靴を履いて立ち上がったルカが不可解そうに見下ろしてくる。

 こうして並ぶと相当な身長差だ。二メートルはあるのではないだろうか。見上げると首が痛い。


「は、はい。実はこのお店、一度改装されてまして、その改装費を払えてないままにまた修繕しなきゃいけないところもあって……ほら、今閉鎖してる奥のスペースとか、水漏れが酷いんですよ。あそこを直してもっといいお店にできればと思います」

「かわええ〜健気〜内臓引きずり出して全部ええ子ええ子してあげたい」


 目の前のルカは恍惚とした顔をしている。

 いやだから瞳孔開いてるって! 怖いって!


「ルカくんじゃなぁ~い。久しぶりぃ」


 そこでようやくこちらへやってきたダビデが、あからさまに高い声を出してルカに擦り寄る。

 恐れ知らずというか何というか。

 私と一緒の時はそんな声出さないだろと思った。


「最近どうなの~? 南で抗争があったって聞いたけど」

「そんなんとっくにカタ付けとるよ。今頃あいつらは海の底や」

「いやん。ルカくんってば極悪人~アタシには優しくしてネ?」

「ダビデにはいっつも優しいやろお、俺」

「ふふ、そうねっ」


 物騒な会話をしながらきゃぴきゃぴと絡み合うダビデとルカの隆々とした胸筋がぶつかり合っている。見ていて非常にむさ苦しい。

 何だか仲が良さそうだし、ルカのことはダビデに預けて金を奥に運ぼうとしていると、ふとダビデがとんでもないことを言い出す。


「あ、そうだ。ルカくん、アリアの浮気相手のふりをしてやってくんない?」


 何を言い出すのかと驚いてバッと振り返った。


「〝浮気相手〟?」


 ルカがピクリと眉を動かす。

 私は焦って早足で二人の間に戻り、会話に割り込んだ。


「な、何言ってんのダビデ。私そんなの必要ないよ」

「何よ、アンタさっきまで結構乗り気だったじゃない」


 ――ダビデのおすすめする男がこんなアウトローな存在だって思ってなかったからだよ! と反論したいところだが、ルカ本人を前にそんなことを言うわけにはいかない。


「と、とにかく、私そんなの必要ないから。よく考えたら彼に対してそんな方法で気持ちを確かめようとするなんて不誠実だし」


 正論でこの場をどうにかしようとした私だが、後ろからルカの手が私の肩をガシリと掴んだ。有無を言わさぬ握力である。ぞぞっと寒気が走った。


「……そういやぁ、アリア、王室の男の子と婚約したんやっけぇ?」


 何で知っているんだ、という気持ちになる。婚約については正式に結婚するまで大々的には公開されないことになっているのだ。ルカが知っているのはおかしい。


「わざわざアリアを選ぶなんて、王族もお目が高いんやなぁ」

「それが、肝心の婚約者様は幼なじみの貴族令嬢に夢中らしくってぇ。アリア、ヤキモキしてるらしいのよ~。男ってほんとはっきりしないわよね~」


 くねくねしながらあっさり事情を打ち明けるダビデに殺意が芽生える。




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