俺のルーチェ





「男ってのはねえ、手に入ると目移りするのよ。自分のものになったらす~ぐ浮気するの。いい? 信じちゃダメよ。男の九割は浮気というミステイクを犯すんだから。変に期待してたら裏切られた時に傷付くわ。最初から諦めていた方がいい」


 ダビデは私よりも男との恋愛経験が豊富なため、物凄く説得力があった。

 しかしその内容については、理解できるが少し納得できない。


「……それって例え自分より他の女性を優先されてても、浮気されてても文句言わずに諦めろってこと?」

「そうは言ってないわ。分かってても泳がせて、こっちはこっちで楽しんじゃいなさいってことよ」

「ええ?」

「王子様、きっとアンタがもう手に入ったと思って胡座かいてるのよ。どうせ下級貴族の娘なんて自分と結婚できるだけで幸福で、何しても文句言わないだろうって思ってんの。ちょっとくらい焦らせてみたらどう? ほら、あのカウンターの向こうにいるの、いい男じゃない? アタシああいうのがタイプだわ」


 スタッフルームには店内を見渡せる小窓が付いており、そこから客の様子を見ることができる。

 ダビデの推し男を見るため覗き込むと、遠くにスタイルのいい男が座っていた。証明の薄暗さと煙草の煙のせいで顔まではよく見えないが、よく見かける靴なので常連さんであることは分かった。


「変わった雰囲気の人だね」

「どう? あいつはきな臭い?」

「うーん。正直言うと……」

「うんうん」

「めちゃくちゃきな臭い」


 私のはっきりとした物言いに、隣のダビデがぷっと噴き出した。


「実はあの人のこと、全然接客したことないんだよね。店で見かけたことは何度もあるけど、靴も綺麗だし、何で靴磨きバーなんか来てるんだって感じ」

「アタシ実はアンタがいない時にあの人と何回か喋ったことあるわよ」

「……あれと?」

「いい男よ~。折角なら浮気するならああいう男にしときなさい」


 ダビデに言われてもう一度小窓から彼を見る。

 今日来ている客の中でも、彼だけ雰囲気が異質だ。話しかけてはいけないような感じがする。

 しかし、ダビデの男を見る目は優秀。私なんかの直感よりもダビデを信じるべきだろう。


(浮気かぁ……)


 さすがに本当にするわけにはいかない。

 なんせ、私の婚約者は一国の王子である。不貞を働こうものなら打首ものだ。

 あくまでも一線は越えずに遂行する必要がある。


 興味を持ってじっと見つめていると、ダビデの推し男が立ち上がり、酒代だけテーブルに置いて店を出ていこうとする。

 常連とはいえ神出鬼没。次はいつ見られるか分からない。

 私は咄嗟にスタッフルームから飛び出て男に駆け寄った。


「あの――靴、お磨き致しましょうか?」


 男がゆっくりとこちらを振り返る。

 その鋭い目付きに息を飲んだ。無造作なグレーの髪と切れ長の目。顔に切りつけられたような古傷の痕があるが、恐ろしく美しい男だ。レオ王子とは別枠の妖しい色気を感じる。

 私は彼の顔に一瞬目を奪われた後、その視線をわずかに下降させた。


 はだけた服から覗く胸元に、どす黒い華のタトゥーが彫られている。


 初めて間近で見たことで、サァッと自分の血の気が引いていくのが分かった。


 ――ダビデのバカ。この人、絶対深く関わっちゃいけない職種の人じゃん。


 勢いよく踵を返して戻ろうとした私の二の腕を、男の黒い手袋をした手が力強く掴んできた。


「靴、磨いてくれんの?」


 南部訛りのある喋り方だ。王都出身者ではないのだろう。


「は、はい……。いえでもお金がかかることですし無理強いする気は全くありませんので靴が綺麗なのでしたらお気になさらず」


 早くこの場をやり過ごしたくて早口で言い切った。

 しかし、彼は何故か至極満足気に、にやりと口元に弧を描く。


「いけずやなあ。そんなんお前に誘われてもうたら、金かけざるを得んやん」


 ――その恍惚とした表情を見て、ぞぞぞっと全身に寒気が走った。

 鷹に狙われた兎のような気持ちで硬直する私。


「なあ」


 彼は私の腕を掴んだまま隣にいる別の男に命じる。


「さっきの一億フェリス、この女に渡してくれへん?」


 フェリスというのはラクア王国の通貨である。


(――一億フェリス!?!?)


 目玉が飛び出る程の額を提示され、口をあんぐりと開けてしまった。

 そんなものあったら水上に家を数十軒ほど建てられる。

 隣の男が無言で手にしていたトランクケースをカウンターテーブルの上に置く。中には札束がみっちりと大量に入っていた。


「に、偽札!?」


 私は動揺するあまり、悲鳴のような声を上げて後退ってしまう。


「偽モンなわけないやん。俺がお前に偽モン贈ると思う? いつだって本物しか贈らんよ。金も、愛も」

「愛……あ、あい……?」


 さっきからこの男、一向に私の腕を離さない。

 目も怖い。薬物でもやってるんじゃないかと疑う程に、私を見る瞳孔が開いている。

 私を誰かと間違えているんじゃないだろうか。


「……ボス。アリアさんが怖がっています」


 ごほんと隣にいた男が咳払いする。


(ボス!? えっ、ボスって言った!?)


「あー、ほんまやなぁ。いくら運命の相手とはいえ、久しぶりに喋ったら緊張するよなぁ。俺育ち悪いからぁ、礼儀知らんでごめんなぁ?」


 ヤバ男がこれでもかと言うくらいに甘ったるい声を出す。

 私が唖然としているうちに、彼は私の前に跪き、その手の甲にキスをした。



「俺、ルカっていいます。以後よろしゅう、俺のルーチェ



 ――――このヤバい男との出会いが、私の運命を意味分かんない方向に捻じ曲げて歪めちゃうことになるなんて、この時の私は気付いてもいなかったのだ。





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