響けユーフォニアム3期の原作改変はやっぱりゴミ

「自分たちならもっと良くできる」

それは「向上心」に由来するものだけではないのだと痛感しました。

たしかな能力や努力がなくても「思い上がり」や「傲慢」だけでそれは成立するのだと。


私は良い物語というのは「こうなるべき、この展開以外ありえない」というのを考えて作られている、作られるべきだと思ってます。


原作小説を書く段階でも色々迷う中で、もっと良いものがあるのでは?という模索の中で書かれてるのだと思います。

ただいかに良いものが書かれていたとしてもそれで書かれたものをどう感じるかは読み手次第。読み手にその良さを感じ取れる能力がなければ意味がない。


私は原作小説を読んだ上での結論として「久美子がソリを吹くのをなぜ変えたのか理解できない、変える必要はなかった」と強く思います。「この展開以外ありえない」と思っています。そもそも主人公が誰なのかを考えれば答えは一つだと思います。黒江が最後ソリを吹いてもカタルシスはない。

久美子が他の部員と様々な経験をして、死ぬほど悔しい思いをして、努力して、葛藤して、上手くなった結果としてソリを吹くべきだと思います。全国金とかの結果はもはやどうでもいい。そのためにあらゆる努力をしたのなら。


アニメ3期の一番の問題点は「麗奈と真由」に集約されますね。彼女らを好きすぎて「もっと特別に描写したい」というエゴが全ての元凶。

麗奈については「もっと特別にしたい」が暴走しすぎて、久美子のソリ決定の権利まで彼女に握らせてしまった。そんなエピソードなんかなくてもとっくに特別なのに。ドギツイエピソードでどんどん色付けしなくても特別なのに。


真由については言動を正当化するためにアニメで過去の描写を追加してましたがずいぶん安っぽい理由付けでしたね。

理解しようとしても理解できない存在ならそのままで良かった。真由の本質を変える必要はなかった。理解できないものを理解できる形に無理やり変えるのは傲慢で想像力が欠けている人がやることです。

結局は無理やり大団円にしようとして久美子に割を食わせただけですね。「本質を見誤ったな」という思いです。


結論として、原作小説を読んだ後も「怒りと悲しみ」以外の感想はないです。

センスがない人の「傲慢なエゴ」によって作品は簡単に台無しになるのだと感じています。


あと、自分の考えを持たず軟弱な肯定に流れている人も嫌いです。

良い作品への向き合い方としては「こういうのでも良いんじゃない?」より「これが最高だ、これ以上のものはない」と胸を張って言えるのが大切ではないかと思います。「どれもいい」はどれも選んでいない、どれも認めていないんじゃないかと。

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