第25話(15:00)
わたしは身を起こす。三階の教室へ階段を上る。
「あ、
教室前で彼女の姿を発見する。にっこり笑って肩を叩いてあげる。
「
「誰も遊んでくれなくってさー。わたし、掃除代わるね」
嘘はついていない。それに、小野寺さんにはやるべきことがあるだろう。見覚えのある背の高い少年が、教室の前で待ち構えている。やや、焦がれたような目で。
教室に入るには彼が邪魔だったので、会釈をしてから入る。そこに立つなよな。
「凊冬さん」
半歩、踏み入れたところで声。
「——ありがとう」
何と言ったのかよくは聞こえなかった。感謝されたことだけがわかった。
「どういたしまして」
掃除をしていると、だんだん人が集まってきた。そういえばそろそろ交代の時間だったような気がする。さっきまでばっちりと決まっていたはずの決心が揺らいでいく。
気が重いな。
変わるって言うのは難しい。
ふと、扉が開いて。何やら疲れた様子の少女が入ってきた。班員の一人が声を上げる。
「あ、小野寺さん」
彼女は不思議そうに辺りを見渡して、
「どうしたの。凊冬さん」
中心に立っていたわたしに声をかける。やや奇妙にも映っただろう。
「わたし、前のままじゃいけないと思うんです」
自分に発破をかけるため。後戻りをできなくするため、わたしは呟いた。
「?」
六人全員、清掃班の面々が不思議そうな顔を揃えてわたしを見つめる。
すう、と息をした。
「今日、午前中掃除をしたのって小野寺さんですよね」
「え? そうだけど」
何も気づかない、というような表情が目に障る。今までだってこれからだって変わらない、なんて思っていやがるのか? だとしたら大間違いだ。
今までは放っておけば小野寺さんがやってくれたかもしれない。わたし自身、そんな風に、優秀な彼女を便利屋扱いしてきたことは認めよう。
でも、それじゃいけないだろう?
成長なんてしようがないだろう?
わたしたちはもっと、自分で仕事を持つ事を学ばなければいけないんだよ。
「そして、午後の二時半まではわたしを含めてみんなでやった。でも、二時半に小野寺さんが来て、それから三十分、掃除をやってくれた。——で、わたしが三時に帰ってきたとこで交代した。……どう?」
意見を求めるようにみんなを見渡す。こんな言い方じゃわからないだろうな、と思う。少しだけ、嫌な気持ちになる。だってその姿は、今までのわたしと同じだから。何も変われない、ただただ流されるだけのわたしと同じだから。
「どうって」
困惑した顔を浮かべる人たち。
「みんな仕事しなさすぎ。楽しすぎ。もっと有り体に言うと馬鹿すぎ」
言うたびに過去の自分を責めて傷つける、そんな言葉が口から飛び出した。今までの自分とまったく同じ、揃ってぽかんとした愚者どもが本当に気に障る。
わたしも同じだったというのに、皮肉なものだ。わたしはあの『無かった一週間』で随分変わってしまったようだな。
「凊冬さん!?」
小野寺さんの困惑した声が飛んで、わたしは彼女に謝らなければいけないことがあるな、と思う。
「だってそうじゃん。本当に今、わたしはわたしが恥ずかしいんだよ。役割分担を決めたりもせずに、わたしはずっと流されて、午前中は仕事もしないでぶらぶらしてた。でも、その間小野寺さんがずっと仕事しててくれたんだよ」
「……」
一寸気まずそうに、みんな目を伏せる。そんな動作してんじゃないよ、全く。そんな動作するなら最初から動いとけっつーの。ま、わたしもだけど。
「あの、凊冬さん。ボク、別に——」
何やら班員を庇ってくれようとした小野寺さんをさえぎる。
わたしは今、わたしを抑えきれない。過去の自分の再投影である彼らを許せない。だからこの口から、言葉のナイフが飛び出て自分の心を突き刺す。それでもなお、彼らに刃を向けることをやめられない。
「わたしは心がけの話をしているんだよ」
お前らのその心がけが。どうせやらなくたってやったってどうでもいいだろうって言う心が。
古実先輩を、小野寺さんを、ずっと苦しめているんだよ。一部の『やらなくちゃ』って思える人の心を苦しめているんだよ。
鈍感になれることは才能かもしれない。人間がその長い歴史で体得した誇るべき才能かもしれない。
それでもそれは美徳じゃない。そんな心がけが一般的なものだなんて、少しでもその方が良いなんて思えるのが正しいなんて、わたしは思わない。
「だって、わたしたち、仕事をしようとしなかったじゃない。仕事をしなきゃって気持ちもなかったじゃない。それ、良くないことじゃない。わたしは、そのことが嫌なんだ」
だから今も、お前たちを殺したくて仕方がないんだよ? 解らないみたいだけれど。
「ごめんなさい」
脈絡もなく済まない気持ちがこみあげて、思わず口をついた。
「凊冬さん」
困ったように名前を呼ばれて、わたしは彼女から目を逸らす。依然ぼうっとしている班員たちに目を向ける。どうせ相手にされないだとか話しても考えてもしょうがないって言うのが奴らの考えなんだろう。
「明日は、どうしようか。このまま、彼女に任せようか」
意見なんて来ると思っていなかった。最初から期待していなかった。それでも来ないと、やや失望した。本当に詮の無いことだ。わたしもまだ甘いな。
「あ、凊冬さん——」
小野寺さんが何度も口を開くけれど、わたしは無視をする。嫌な人間だ。でも、わたしはそんな自分でいたいんだ。
「ねえ、どうしようね」
「……」
動かない首。止まったままのほうき。ああ駄目かなア、と思ったその時。
「あのさ、凊冬さん」
「ん」
そろそろ伸ばそうと思っていた、中途半端な髪が顔に当たった。目を合わせる。
まさか仕事はやるなんて言ってくれないだろうな。そんなことを言われたらわたしがさっきまで色々言ったことも意味がなくなってしまう。
「ボク、明日は一緒に回りたい人がいるんだ。すごく勝手だけど、仕事は二時間以内でお願いしたい」
「わかった」
一も二もなく承諾した。それは願ってもないことだ。彼女が自ら仕事を辞退してくれるなら、わたしも話が進めやすい。今まで彼女に任せておけばどうにかなると思っていたあれやこれやをわたしたちのことにしやすくなる。
「じゃあ、役割分担をしましょう」
動かないやつらの手助けをしてやろう、と手を差し伸べた。出来ないのならば助けてやろう、わたしならば出来るから。そんなつもりで。
「凊冬さん、無理しないでね」
「え」
驚いた。そんなことを言われるとは。
そんなこと、わたしが今まで小野寺さん本人に思っていたことそのままで。いわば立ち位置が変わっただけのことだから、わたしは何も気にしていなかったけれど、やはり客観視した彼女としては何か思うところがあるのかな、なんて思ったり。
「うん。大丈夫。ありがとう。これが、わたしのやりたいことだから——やるべきことだから」
それはともかく、心配してくれた彼女のために、笑顔を作ってうなずいた。
「ありがとう」
さっきのは、心配してくれてありがとう。今のは、わたしに勇気をくれてありがとう。二つ言葉を重ねて、わたしは皆に向き直る。
「改めて。役割分担をしましょう」
***
役割分担の結果、わたしたち清掃班の仕事をしていなかったメンバーは一人一時間ずつ交代、そして今日やってくれた小野寺さんは仕事を免除という割り振りになった。班員どもは不満そうだったけれど、表立って文句を言えそうにもなかった。
わたしの言い分が正しいのかはともかく、小野寺さんに仕事を任せ過ぎだったのは誰しもわかっているから。
さあ、わたしは今日、新しい一歩を踏み出せた。やや転落にも近い進行だけれど、転げ落ちてみるのも一興だ。
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