第20話(?/?17:40)

 もう一度渡り廊下を渡って、皇子様おうじさまに会いに行く。


「あの人は、いつもあそこにいるんです。失った過去を取り戻したいとでも言うかのように」

「……?」


 失った過去、だとか。

 あの人、なんて誤魔化す表現だとか。

 それは確かに美しいんだけど、何だかこの物語ストーリーには似合わない、似つかわしくない科白せりふだった。


「ああ、居ます」


 どこか諦めたようにクリスさんが呟いて。見上げた先には、息も止まるほどに儚い少年の姿。夢のような人の姿。


「クリスちゃん」


 バルコニーのような、皇宮の壁から突き出たベージュの空間から、クリスさんに声をかけたその人は。

 またもや、美少年でした。


「初めまして」


 ティーカップを口元に運んで、彼は微笑んだ。

 人でないような、夢のような笑みだった。


「僕の名前はセント・ルカ・フィアー・ザクスベルト。サルフィとお呼びください」


 左手を胸に当てて一礼。


「わたしの名前はサエです」

「ええ。聞いております。妹から」


 彼の妹は、わたしがさっき話したあの方。

 エリザベス・ザクスベルト。この世界で唯一の皇女様。


「クリスちゃん。お茶はどう?」


 椅子を勧められる。


「ええ、いただきますけど……先輩」

「わかってる、わかってる。僕ほど老人になると、立ち話はきつくてね」


 また、クリスさんの眼が昏くなる。

 しかし、老人?

 見たところ、わたしよりも少し年上、高校生くらいに見えるのだけど。

 総白髪なのは確かに年齢不詳な雰囲気を醸し出しているのだけれど、碧い瞳や紺色のブレザーを着ている姿からは、ティーンエイジャーという印象しか受けない。


「僕が生まれたのは、1980年なのです。そちらの暦で、ですが。ふふ」


 促されるままに座って、ティーカップに口をつけて、驚く。


「え……」

「とある呪いをかけられていまして。この国に帰って参りましたのは、つい二年ほど前なのです」

「……」


 何も言えない。


「僕の身の上話など、どうでもいいのです」


 角砂糖をティーカップに一つ落として、ティースプーンを揺らす。


「あなたの話を聞かせてください、サエさん」



「——だから、わたしは。逃げてきちゃったみたいなものなんです」


 あなたの話を、という甘言につられて、わたしは地球でのことを—— 一週間ほど前のことを話してしまっていた。


「何だか、わたしは偉くもなんともないなあって。わたしはただ、ぼんやりしていただけで、体裁を取り繕っていただけで。それもこれも、随分前になってしまったんだな、と思うと、わたしは逃げているようで、心がきゅっと締め付けられるのです」


 そう、随分前。あっという間だったけれど、わたしはかなりの時間をこの世界で過ごしてしまったのだ。


「サエさんは、あなたの仕事と、人生と向き合いたい、そういうことですか?」


 くびをたおやかに曲げて。


「多分、そうなのです。わたしは、こうやって逃げてしまうわたしと、楽をするわたしと、おさらばしたいんです。でも、そうしてしまえば、今までのわたしが消えてし

まうような気がして、どこか戸惑っている、それだけの意気地なしなんです」


 逃げたり楽をしたり楽しんだりすることが好きなのだ。友達といつまでも笑っていたいのだ。


 でも、逃げないで向き合ったり、努力をしたり、苦しい道を選んだりすることは、わたしの今までを、わたしの友達だとか、今まで積み上げてきたあれこれを崩して壊してばらばらにしてしまう、そんな気がして。


「そうですか」


 彼は、頷いただけだった。


「なら、僕は、僕の経験則をお話ししましょうか」


 顎を引いて、碧の瞳を見つめる。


「何かを得て、何かを失うのはよくあることです。それならば、、だとも言えるのでしょう。たとえそれが、どれだけあなたにとって大切な物事だとしてもそれは変わらないのでしょう。だから。ということなのです」


 箴言だった。金言だった。

 わたしの心をピンポイントで抉る言葉だった。

 甘えてんじゃねえ、と言われたようだった。


「ルカ先輩」

「僕はサルフィだよ。何? クリスちゃん」

「そろそろ夕食です」

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