第4話(15:00)

 結局、来てしまった。

 暇を持て余している友達は見つからず、ぼっちでいるのも辛くて、ふらふらと一階の美術室までやってきた。


 開くわけがないと知っているのに、とうとうここまで来てしまった。


 誰も、付近にいない。わざわざ廊下に首を出して確認してから、ドアを閉じてきた。馬鹿らしいとわかっているけど、ほんの少し期待があった。


 美術室の一番奥に展示されている、パステルブルーのドア。表面に描かれた、絡まった蔦。

 真鍮 ――どんなものか知らないけれど多分そう―― のドアノブに、小さくなったわたしが映っている。

 汗ばんだ手を制服の裾で拭って、そっとノブを握りしめた。右に、回す。


 ガチャリ。


 軽く押すと、ドアはあまりにも簡単に向こう側へ開いていった。重いと思って持ち上げたものを、軽すぎて取り落としたときのように、わたしはドアノブに引っ張られるように、扉の向こうへ倒れ込んだ。


「……」


 ずっと握りしめていたから、ドアノブの表面に張り付いた手が引き攣れて痛い。満足に倒れ込むこともできずに、私はその場に中途半端に膝をついていた。

 汗で張り付いた手とドアノブを引っ剥がして、わたしはその場に座り込んでいた。後ろを振り向けば、さっきやってきたばかりの美術室が見える。誰だかもわからない石膏像と目があった気がして、慌てて正面を向いた。


 細長く切った木の板を並べた床。ワックスがかけられている様子もないけれど、不思議とつやつや光っている。

 乱雑にフックに掛けられたたくさんの手提げ袋。縫い目が目立たないものが多い。工場の技術が高いようだ。

 老人の歩みくらいにぶるぶる震えながら時を数える時計の針。やけに現実らしい。

 それに反して、ところどころに提げられたプレートには、見たことのない文字が刻まれている。馴染みのない文字だから、アフリカとかそっちの方なのかもしれない。まあ、日本でないことは確かだ。

 少なくとも、とてもうちの学校とは思えない光景だった。 ――まるで、異世界のような光景だ。


「え? ちょっと待ってこれマジ?」


 わたしではない人の声がした。

 程なくして、立ち上がれないわたしの前に、明るい茶髪の少女が顔を出した。軽そうなショートヘアが目に心地良い。


「うわお」


 口をぽかんと開けて、餌を待つ鳥のような表情をしているわたしに、少女は満面の笑みで言った。


「こんにちは! ミナ・シャギール、十五歳です! あなたの名前は?」

「……凊冬すずふゆさえ、中学二年生」


 お弁当を食べながら妄想していたことなんてすっかり忘れて、呟くように名前を言うと、少女は戸惑った表情を浮かべた。


「スズ・フユサエ? チュウガク?」


 名前を変なところで切られた挙げ句不思議な顔をされた。そういえば、さっきこの子は学校名も学年も言ってなかった気がする。それに、名前の言い方も違ったような。


「あ、いや違くて、冴が名前で、凊冬は苗字」

「サエ・スズフユってこと? じゃチュウガクって言うのは?」

「あの、わたしたちの世界での学校の名前」

「私たちの世界って、どういう事?」


 少女に全く気分を害した様子がないのが唯一つの救いだった。一つ一つ、ゆっくりと確かめてくれる。


「ほら、最近よくある、転生ものとか転移ものとかみたいな」


 そう言ってから、ここが日本じゃないことを思い出す。偶然言葉は通じているけれど、ここが外国なら、流行りが通じない可能性もある。


「転生? 転移? よくわかんないけど、違う世界からここに来ちゃったってこと?」

「あの、こっちの世界から」


 やっぱり流行りは通じていない。違う世界と言われても、多分世界観は同じだと思うけど、こっちの世界という言葉を使って、美術室の方を手で示す。  ――示した、つもりだった。


「何にもないよ? そこ」


 言葉のとおり、わたしの手の先には何もなかった。白い壁紙の張られた壁があるだけだった。


「このドアの下ってこうなってたんだね」


 横にやってきて、すべすべと壁を触るミナさん。わたしはそんな状況じゃないんだけども。


「すごいねー。壁から現れるなんて」


 ドアの向こうの世界が、わたしの住んでいた地球がなくなってしまったことが衝撃で、わたしはミナさんの的外れな推測に突っ込むこともできなかった。

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