#7 決意の朝・Actuary
目を覚ますと、床に倒れ伏していた。
「わた、し、は」
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんってば! 正気に戻って!」
正気? どう、いう――体の違和感に気づいたのは、そのときだった。
「……からだ、でかい。……おちんちん、ある……」
「お兄ちゃんだから! もう『私』の身体じゃないから!! いい加減自分の状況を理解してよ、バカお兄ちゃんっ!」
必死そうな声。パソコンのスピーカーからした声に、『僕』の意識はようやく覚醒する。
「……戻った、のか、ぼく」
「そうよ。私ががんばってループから解放したの! うぅ……お兄ちゃんが戻ったぁ~!」
泣きそうな……いや既に泣いているであろう声で、彼女――なずなが口にした。
――何周、ループしただろうか。
うつむき加減。大学へ欠席する旨の連絡をして、僕はパソコンに向かう。
「……あんな思い、してたんだな」
「ごめんね。……精神の高ぶりにによって、勝手に入れ替わっちゃったみたいで」
一度入れ替わると、二度目の入れ替わりがしやすくなる。ブルートゥースのペアリングのように、互いに「繋がり」ができてしまうのだそうだ。
しかも二度三度と入れ替わるたびに、繋がりは深くなってゆく。その結果、感情の高ぶりや疲労などで勝手に意識が入れ替わってしまうことがある、らしい。
らしい、というのもなずなもあくまで「低確率ながら理論上そういう危険性が算出されている」という程度の認識しかなかったのだそうで、実際にこうなってしまったのは初めてなのだとか。
「……ってか入れ替わってるってことは」
「うん。……お兄ちゃんのおちんち」
「忘れろ。今すぐにだ」
十歳の少女が見ていいもんじゃない。
「冗談よ、ばか。見てないし触ってもないわよ。そんなばっちいの」
ばっちいの扱いもそれはそれで傷つくのだが。男心は複雑なものである。
「実際、入れ替わってたのは一晩だけだし……」
そう伏し目がちに告げる彼女。
「僕なんて放置してどっかに行っても良かったんだぜ?」
意地悪な言葉に、彼女は頬を膨らまして告げた。
「苦しそうなお兄ちゃんを放ってはおけないもん。一晩中頑張ったんだよ?」
「……そりゃ悪かったな。ありがと」
「はーくんにしては素直じゃん」
「僕だっていつまでも子供じゃないんだよ」
「かっこつけちゃって。はーくんのくせに」
「なんだよ、もう」
そんな会話をして、数秒の沈黙。
「あはは、ははは」
彼女の笑い声に、僕はつられて笑いだす。
「ははは……子供の頃みたいだ」
「……そっか」
優しげな声で呟いた彼女に、僕は目を細め。
「……あの日は、ごめん」
ぽつりとつぶやいた。言葉を選びながら、僕はゆっくりと話し出す。
「笑うな、なんて言って。……お前が、その」
「死んじゃう前の日のこと?」
「……ああ」
これ以上取り繕っても意味がないな。そう悟りながらも、僕はなおも言葉を探った。
「お前も、大変だったんだよな。苦しくて、悔しくて、でも必死に笑ってた」
「…………」
「でも、僕は台無しにした。……泣いていいって、許そうとした」
「………………」
「ごめん。きみを傷つけてしまって。……きみの努力を」
「もういいよ」
スピーカーからの声に、僕は口を開けたまま、固まった。
「べつに、台無しにされたとか、そんなことは思ってなかった。むしろ、きみに『許されて』、ちょっとだけうれしかった」
僕の意図していたことがきちんと伝わっていたことに、軽い驚きを覚える。
「……もしも『明日』があったなら、きみにお礼を言いたかったな。きみのおかげで、ようやくスッキリできたって。……きちんと、お別れできたよって」
彼女はモニター越しに、あの微笑を見せて。
「ごめんねを言うのは、わたしのほうだよ。――勝手にいなくなっちゃって、ごめんね」
そう告げた。
胸が苦しくなった。
触れ合いたい。
苦しいほどに、痛いほどに、抱きしめたい。
「……決めたよ」
一瞬の迷いを振り切るように、僕は言い放つ。
「なにを?」
そう尋ねる彼女に、僕は笑った。
「もしお前が生き返ったら、やりたいこと」
いたずらな微笑みをモニター上に浮かべたなずな。
「聞かせてよ」
そんな声に、僕は少し考えて。
「……内緒にしとく」
「えー、なんでー?」
「それを言うのは無粋ってやつだろ?」
「妹相手に、ケチなお兄ちゃん」
「それはゲームの中でだろ」
苦笑する僕。けれど。
「――必ず、お前をその檻から助け出すから」
決意した僕に、モニター越しの少女は頬を赤らめた。
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