第2話 不法侵入(3)

「……」

「……」

「……」

 え?なんだろう。この雰囲気は。一言でいえば『気まずい』。

 私たちの前に姿を現したにもかかわらず、人魚は沈黙のままじっとこちらを見つめるだけ。こちらの出方をうかがっているようにも見えるが、それにしては近すぎる。

 しばらくの沈黙の後、お姉ちゃんが口火を切った。

「ええと、話せる? っていうか日本語、わかる?」

「わかるよ。だって日本人だからね。当然」

 銀の尾びれを持つ人魚はそう自称した。人魚にも人種があるのか知らないが、本人がそう言うのならそうなのだろう。

「あんた、私がここで何してるのかって聞いたよね?」

人魚はそう言ってビシッと尾びれの先を私に向けた。器用だなあ。

「それは私が聞きたいことなんだよね。あんたたちこそここで何してんの? 普通に不法侵入なんだけど」

 おっしゃる通りだ。

 こんな時間に他人の住処(?)にずけずけと入り込んで「ここで何してるの?」なんて、怒られても仕方がない。

「ごめんなさい。どうしても気になったものだから、勝手に入っちゃった。言い訳でしかないけど、人魚なんて初めて見たものだから、つい……」 

 お姉ちゃんの謝罪に続いて私も「ごめんなさい」と言った。悪いことをしたなと思った時、素直に謝れるところは私たちの長所だなと思う。

「だ、か、ら、さー。私は人魚じゃなくて日本人なんだってー。はぁ、もういいや。さっさと出て行ったほうが身のためだよ。数時間に一回、警備員が見回りに来るからね」

「え? マジ?」

 とっさに辺りをキョロキョロ見回した。

 大丈夫。周囲はシンと静まり返っている。

 とはいえ、いつ警備員がやってくるかわからない。色々と聞きたいことも知りたいこともあるが、ここは彼女の警告通りに退散するのがいいだろう。

「お姉ちゃん、もう帰ろう。ほら、そろそろ二十二時だし、警備員に見つかったらきっと警察に通報されちゃうよ、ね」

 私は人魚と向き合うお姉ちゃんの肩を軽く引っ張った。それほど抵抗はなく、数歩退いたところでお姉ちゃんは言った。

「ここにいるのはあなたの意志? それとも強制的にここに連れてこられたの?」

 真剣な声色だった。いつか聞いた覚えのあるセリフだった。

「……そうだね、半分は自分の意思で半分はそうせざるを得ない、って感じかな。はい、帰った帰った!」

 人魚は背面から勢いよく水中へと消えていった。

 水に潜る一瞬、彼女が寂しそうな表情を浮かべたような気がしたのは気のせいか。

 その後すぐに私とお姉ちゃんはプールサイドから退却し、旧小学校・現研究施設からも退散した。

「いやぁ、マジでビビったね。まさか人魚がいるとは」

「まったくだよ……。ほんと予想外。世界は広いね」

 それにしてもよくわからない人魚だった。彼女は自分のことを『人魚』だとは思っていない様子だった。それにあの表情。何か訳アリって感じがする。

「あー、眠っ! 早く帰ってお風呂に入って寝ちゃお! お土産のプリンは明日の朝ごはんだね」

「そうだね。もうめちゃ疲れたー」

「でもさ、楽しかったでしょ? お姉ちゃんといると楽しいこといっぱいだよ! また遊びに行こうね」

 お姉ちゃんはそう言って両手でピースサインを作った。

 自信満々だなぁ。

 確かにお姉ちゃんの言う通りだ。お姉ちゃんは私の居場所を作ってくれたし、いつも引っ張っていってくれる。

 お姉ちゃんがお姉ちゃんで私はとても嬉しい。

「うん。でももう研究施設には行かないからね!」

「エッ! なんでよ! また行こう。人魚ちゃんにまた会いたいよ!」

 なんで、って……。もう危険を冒すのはごめんだ。お姉ちゃんは社会人だし、私だってこれから就職活動をしないといけないし、不法侵入という反社会的な行動は慎むべきだ。

「はーあ、真面目だねぇ、杏奈ちゃんは! 人魚、気にならない?」

「そりゃ、まぁ気になるけど……」

「でっしょ! 気持ちには素直になったほうがいいよん!」

 お姉ちゃんはそう言うと夜道をスキップし始めた。酔いはとっくの昔に醒めているはずだが。

「お姉ちゃんのそういう猪突猛進? がむしゃらなとこ? 好きだけどね、今回ばかりはだめ。塀の向こうのお姉ちゃんに差し入れしに行きたくないよ、私は」

 厳しめに言ったつもりだがお姉ちゃんはフンフンと鼻歌交じりにくるんと回ってみせるだけだった。

「だめだこりゃ」

 呆れつつ、空を見上げる。月は雲に隠れながらもしっかりと私たちを見下ろしていた。

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人魚は不味い マリエラ・ゴールドバーグ @Mary_CBE

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