第1話 非日常の延長戦(2)
「あ、杏奈ちゃんおはよー! 今日はね、牧場に行くよ!」
昨夜のあのグダグダ感はどこへやら。リビングではお姉ちゃんがハツラツとした表情で既に身支度を済ませていた。現在時刻は11時過ぎ。
それにしてもお姉ちゃんは美人だ。背が高くて、すらっとした体形に小さな頭、スキニージーンズにヘビーウェイトTシャツとシンプルでカジュアルな服装だが、キャラに合ったファッションがむしろ上品だ。これは身内の欲目だろうか。
「おはよう。ってか牧場行くの? こんな暑いのに?」
「いやいや、暑いからこそだよ」
その言葉の意味はちょっと分からないが、彼女の脳裏にはやっとプランが走り始めたようだ。
「じゃあ、ちゃちゃっと着替えてきてよ! 朝ご飯? ブランチ? は車の中で食べればいいからさ!」
「いや、運転は私がしなくちゃでしょ。まだお酒抜けてないんじゃないの?」
「お風呂には入ったし、水もがぶ飲みしたし、睡眠も取ったし大丈夫だと思うけどなぁ。それに杏奈ちゃんの運転ってちょっと荒いから酔うんだよ」
お姉ちゃんは若干不服そうだったが、結局納得したのか「そしたら助手席から食べさせてあげる。おにぎり」と妙な折衷案を提出してきた。まぁ、妥当なところだろう。
お姉ちゃんをリビングに残し、今一度自分の部屋へ戻った。それからとりあえずクローゼットを開ける。お姉ちゃんと少し被るが、この間買ったスキニージーンズにポロシャツでいいか。自分でもびっくりするくらいのそのそと部屋着からそれらに着替えた。
後は化粧とヘアセットだ。ヘアアイロンを温めている間に化粧に取り掛かる。下地とファンデーションは既に塗ってあったので、カシスオレンジのアイシャドウとアイブロウ、赤味の強いリップを付けるだけで終わった。どれもお姉ちゃんに見立ててもらったものだ。
それから温まったヘアアイロンを手に取り、適当にグルグル巻いていく。本当は正しいやり方があるのだろうが、どうせこのあと纏めるのだし。こだわる必要も無い。全体を巻き終え、低い位置で一つにまとめた。こんな感じでいいだろう。
そして忘れてはならないのが日焼け止めだ。夏の外出にはこれが無くては始まらない。とにかく全身に塗り込んでから、いつも使っているボディバッグに財布とハンカチ、化粧直し用グッズの入ったポーチを詰め込み、お姉ちゃんを呼びに向かった。
お姉ちゃんに声を掛けた後、私たちはすぐに家を出た。理由は単純、彼女が急かすからだ。そんなに牧場が楽しみなのだろうか。
「そしたら運転は任せたよ」
「はいはい。でも場所分かんないから、お姉ちゃんがカーナビのセットしてね」
そう言って車のカギを受け取り、運転席へ座った。こじんまりとしたミントグリーンの可愛い車。もちろんお姉ちゃんのモノだ。長いこと乗っているみたいだが、大事に使っているようで、目立った傷はない。
「シートベルト締めた? オッケー、それじゃあ出発!」
「しゅぱつ~」
ふたりで拳をあげる。出掛ける前のルーティンだ。これをしないことには発車出来ない。初めの頃は面倒くさいと思っていたが、慣れればこれはこれで楽しい。
マンション地下の駐車場を出て大きな道路へと合流する。お姉ちゃんは機嫌よく鼻歌なんかを歌っている。私はというとこれといった話題も無かったので、大人しく運転していることにした。身内ということもあり、会話がなくても気まずくならないのが心地よかった。
お姉ちゃんと暮らし始めたのは1年半程前、大学に入学する時だった。私が実家から出ることを渋る両親を説き伏せてくれたのがお姉ちゃんで、その代わりに私の面倒を見ると言って一緒に住むことになったのだ。
お姉ちゃんとの生活はハッキリ言って、特段楽しいことがあるわけではない。時々今日みたいに一緒に出掛けたり、家で映画を観たりするくらいだ。『日常』と呼ぶしかない日々だが、それなりに満足はしている。女同士だと気楽でいい。
「……おーい、杏奈ちゃん聞いてる?」
全然聞いてなかった。素直にそう言うと「そういうとこあるよね」と苦笑いされてしまった。どうやら自分の世界に入ってしまってたみたいだ。
「運転だけは安全にね」
「ごめんごめん。分かってるよ。それより何て言ったの?」
「いや、さっき言ってたおにぎり持ってきたけど食べるかなって」
「うーん、あんまお腹空いてないな~。気持ちだけ貰っておくよ」
お姉ちゃんは「そう? ならお姉ちゃんが食べちゃお! 暑いし痛むと怖いからね」と言って頬張りだした。
天候は快晴。少々日差しが目に痛いが、それもご愛嬌。車は順調に牧場を目指す。
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