人魚は不味い

マリエラ・ゴールドバーグ

第1話 非日常の延長戦(1)

 大学生活は人生の夏休み期間である。

 そう言い表したのは一体誰だったか。詳しくは知らないけれども、うまく言ったものだと思う。休日は多いし、課題以外で差し迫った状況になることは殆ど無いし、気楽なものだ。

 奇しくも、という訳では無いが私が通っている大学も夏季休暇へ突入し、約1週間が経過した。今日は8月1日、時刻は深夜の2時を回ったところだ。さらに言えば現在位置は自室のベッドの上。

 これは個人の感覚に依るのだろうけど、8月に入ると途端に『夏真っ盛り!』という気がしてくる。それと同時に夏休み終了までのカウントダウンが始まったようで、図らずも急いた気持ちになってしまう。だからと言って、やることは普段と特に変わりないのだが。

 アルバイトに精を出して、時々友達と遊ぶ。この度の夏休みもその繰り返しで過ぎていくのだろう。可もなく不可も無く、是も非も無くだ。

 なんて取り留めもない、あるいはしょうもないことを考えている内に瞼が自然と下りてくる。そんな夢うつつの状態がこの上なく気持ち良い。次第に夢の比重が大きくなっていくが、激しくドアが叩かれる音で引き戻される。

 「杏奈ちゃーん! 起きてるぅ?」

 絶妙に呂律が回っていない。明らかに酔っ払いの言動だ。

 「寝てる!」

 足元に蹴とばしていたタオルケットを頭から被って防御の姿勢をとった。また絡み酒が始まることを危惧しての行動である。

 「起きてんでしょ! 入るよぅ」

 言葉と共に問答無用で部屋へ入ってくる音がする。ここまで入られてはもうどうしようもない。観念してタオルケットから顔を出すことにした。

 「お姉ちゃん、めっちゃ酔ってるじゃん。またヤケ酒? ほどほどにしとかないと病気になっちゃうよ!」

 同居人でいとこである彼女。私が親しみを込めて「お姉ちゃん」と呼んでいる彼女は真っ赤な顔で機嫌が良さそうにニコニコと笑みを浮かべている。

 お姉ちゃんは私よりも8歳年上で普段は人材業界の営業職に就いている。なかなかに激務な会社のようで、朝早くに出勤して終電間際に帰ってくることが多い。そういうわけで私は忙しいお姉ちゃんに代わり、家事を一手に引き受けている。文句は全くない。なぜなら私にかかっている生活費は全てお姉ちゃんが出してくれているからだ。

 私がなぜ親元を離れお姉ちゃんと暮らしているかというと……いや、まぁそれは今はどうでもいい。

 何のかんのと言ったが、とにかくド田舎からひとりで都会へ出てきてバリバリ働いているという点に関してはとても尊敬出来るが、飲酒癖はその限りではない。なんでも仕事でのストレスを飲酒で発散しているらしいが……。

 「酔ってないよ。ほろ酔いだよ。ほろ酔い!」

 それを人は酔っていると言うのである。

 「分かった分かった。で、どうしたの? 何かあった?」

 「あのね、さっき良い事思い付いちゃってぇ。聞きたいでしょ?」

 お姉ちゃんは私のベッドの縁に腰を掛け、またご機嫌に笑った。若干酒臭いが顔は可愛い。非常に悔しい。

 それにしても酔った状態で考え付いた『良い事』なんて、どうせろくでもないに決まっている。しかし、ここで『聞きたくない』とでも言えば、もっと面倒くさい事態になるだろう。とすれば大人しく聞いておいて、速やかに寝かせるが吉だ。

 「うんうん、聞きたい聞きたい。教えて教えてー」

 「えっとね、杏奈ちゃん明日……っていうか今日、おやすみでしょ? だから一緒にお出掛けしたいなぁと思って!」

 存外マトモな話だった。なんとも拍子抜けだ。

 「うん、バイトも無いし休みは休みだけど。どこ行くの?」

 というか、明日彼女は起きられるのだろうか。

 「行き先はぁ、今はまだ秘密!」

 ふふふ、と含み笑いをするお姉ちゃんだが、たぶんこれはノープランのやつだ。どこかに出掛けたいという欲求が先行しただけのパターンのやつだ。

 「そっかぁ……。ま、いいよ。じゃあお昼頃に家を出ようか?」

 私がそう言うと、途端に含み笑いがフワフワとした笑顔に変わる。さらに拳を上に突き出して「やったぁ!」と素直に喜びを表現した。酔っている時は大抵こんな感じだ。

 「そしたらもう寝よ。明日が辛いよ。ちゃんと水分補給してから寝なね」

 「はーい。杏奈ちゃんはちゃんとタオルケット掛けてから寝なね」

 お姉ちゃんは私の口調を真似してそう言った。それから腰を上げ、少々覚束ない足取りで部屋を出て行った。と思いきや、思い出したかのように戻って来る。

 「杏奈ちゃん、おやすみ」

 お姉ちゃんはそれだけ言って、今度こそ本当にドアが閉まった。

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