第1話 非日常の延長戦(4)

 そんな感じで牛、馬、羊と家畜のフルコースみたいな体験をしたが、まだ奥に行けそうだった。せっかくだからと進んでみることにする。道中の立て看板には『まきばの展望台』と記されていた。

 そこから十数メートル進むと、小高い丘があり、その中心には大きな公園によくあるような屋根付きのベンチが設置されていた。東屋というやつだろう。

 丘を登ってみると、なるほど展望台の名に相応しい見事な風景が拝めた。畜舎を巡り歩いている時には気が付かなかったが、随分と高い位置にまでやって来ていたようだ。

 青々とした芝生の中にこげ茶色のサイロや白黒の牛が点々と小さく見える。そのもっと先の方には何とかという名前の有名な山々が連なっていた。思えば遠くへ来たものだ。

 「すっごいねぇ。写真撮っちゃお」

 興奮した様子でお姉ちゃんはスマホでの撮影を始める。便乗して私も撮っておこう。

 「杏奈ちゃんも入って!」

 「えぇ? ひとりじゃ嫌だよ。お姉ちゃんも一緒に撮ろう」

 そう提案したが、お姉ちゃんはどうしても私のワンショットが撮りたいと言って聞かなかった。結局、いつものように私が折れて撮らせてあげたのだった。まぁその後、こっそりとお姉ちゃんの写真を撮ったのでおあいこということにしておこう。

 「ちょっと疲れたね。休憩していく?」

 お姉ちゃんがベンチを指差して言った。賛成だ。歩いた距離こそそう多くは無かったが、なんせこの暑さだ。身体自体が熱を持ったような感覚で少し疲れてきた。タイミングよく空いたベンチにふたり並んで腰を掛ける。

 「よいしょっと。あれ、ここちょっと涼しいねぇ」

 確かに標高のせいか気持ちいい風が良く通る。燦燦と降り注ぐ太陽の光も屋根のおかげで遮られていた。

 「あ! そうだ、お姉ちゃんお手洗いに行ってくるからここで待ってて!」

 唐突に思い出したようにお姉ちゃんは座った端から席を立つ。そして私が返事もしない内に丘を下って行ってしまった。

 なんとなく私も立ち上がってお姉ちゃんの後ろ姿を目で追うが、明らかにトイレを通り過ぎていくのが確認出来る。また何を企んでいるのやら、だ。

 それにしても、牧場へ来たのは本当に久しぶりだった。恐らく小学生の時に一度行ったきりだ。お姉ちゃんが誘ってくれなければきっと来なかっただろう。

 お姉ちゃんは一緒に住み始めてからというもの、色んな所へ連れて行ってくれたり、遊びに誘ってくれる。

 一度彼女にあまり気を遣ってくれなくても良いと伝えはしたのだが、「杏奈ちゃんには色んな経験をして欲しいから」と返されたことがあった。

 「経験……かぁ」

 確かに実家に居た頃は両親が共働きだった為、あまり遠出をしたことが無かった。たぶん実家を出てからの方が色んな経験が出来ているかもしれない。

 去年の夏はお姉ちゃんとナイトプールに行ったし、同じ年の秋には京都へ紅葉狩りと神社仏閣巡りに行った。それから冬には有名な温泉街に繰り出したこともあった。その他にもアウトレットモールに行ったり、デコレーションケーキを作ったりと枚挙にいとまがない。どれもこれも、あの窮屈で退屈な実家に居た頃には出来なかったことだ。

 『大学生活は人生の夏休み』という言葉。その意味の解釈が少し変わったかもしれない。

  「お待たせー!」

 そんなよしなしごとをぼうっと考えていると、お姉ちゃんが元気よく戻ってきた。その両手にはなんとソフトクリームが握られていた。

 「トイレに行ってたんじゃなかったの」

 「ふふふ、サプライズだよ」

 精いっぱいのしたり顔でお姉ちゃんは右手に持ってきたソフトクリームを私に差し出す。それを反射的に受け取った。急いで持ってきてくれたのだろうが、すでに溶け始めている。液体となったソフトクリームが一滴手の甲に落ちた。

 「びっくりしたよ。幾らだった?」

 「いいから、いいから。早く食べよ!」

 ボディバッグから財布を取り出そうとしたが、空いた手でそれを制す。ここはありがたく頂戴しておこう。

 「ありがと。って、めっちゃ美味しいじゃん!」

 溶け始めている部分を優先的に舐める。さすが牧場のソフトクリームだ。濃厚だけどさっぱりしてていくらでも食べられそうなくらい美味しかった。

 「でしょ! これだけは調べてたんだよねぇ」

 お姉ちゃんはそう言って誇らしげに胸を張った。もっと威張っても良いくらいのお手柄だ。

 冷たいソフトクリームが火照った身体を徐々に冷やしていく。もしやここに来る前に『暑いからこそ良い』と言っていたのはこういう事だったのかも。納得だ。

 「ごちそうさまでしたー!」

 あっという間にお姉ちゃんは食べ終わる。いつも私の方が遅い。

 「ゆっくりで良いよぉ」

 「うん、私も食べ終わったらお土産買って帰る?」

 私がそう訊ねるとお姉ちゃんは腕を胸の前で組んで思案顔になる。しばらくして何か思いついたのか、パッと笑顔になった。

 「おやすみ!」

 いきなりそう叫んだかと思うと、彼女は座ったまま私から少し距離を取って頭を膝の上、というか太腿あたりに乗せてきた。つまり膝枕の状態だ。

 「ここで寝るの? 嘘でしょ」

 「実はあの後、結局2時間くらいしか寝られなかったの……」

 言ってる内からスッと眠りに落ちてしまったようで、さらに体重が乗ってくる。

 「自由だな、もう」

 私のお腹とは反対側に向いている顔を覗き込む。気持ちよさそうに安らかに眠っている。あまりにも無防備なその姿に思わず母性本能が目覚めそうだった。仕方がない。20分くらい寝かせてあげようかな。

 その小さな頭をそっと撫でてみる。

 「おやすみ、お姉ちゃん」

 ソフトクリーム代は膝枕で相殺させてもらおう。

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