第15局 だって、師匠のこと馬鹿にしたから……

「ネクタイ曲がってないですか? 姉弟子」

「大丈夫。っていうか、何で私まで一緒に行かなきゃいけないのさ……」


 桃花の通う中学校の前で、クローゼットの奥から引っ張り出してきたブラウスと女性物スーツというカッキリとした服装の姉弟子が、大きなため息をつく。


 ちなみに、俺も対局時に使うスーツにネクタイ着用だ。


「姉弟子は桃花のマネージャーなんですから当然です」

「やだな~ この歳になって、学校の先生に怒られるの……」


「そんなの、俺だって一緒ですよ……」



「「はぁ……」」



 俺と姉弟子は、もう一度、深いため息をつきつつ、校門にあるインターホンを押す。


 今回は、前回の不審者扱いの反省を活かし、キチンと名前と用件を名乗ったせいか、それとも前回のトラブルでしっかり名前を学校関係者に覚えられたせいなのか、すぐに案内の教師が来て、会議室へ案内された。



「何か落ち着かない……」


 引率の教師から、別室にいる桃花たちを呼んでくると言って校長室を後にすると、姉弟子が、会議室の机の前でポツリと呟く。


 将棋の世界、いや、他のスポーツ競技でもおそらく同様なんだろうが、外部活動のために学校を休まざるをを得ず、出席日数について逐次担任の先生に呼び出されたりするので、あまり学校には良い想い出が無いのだ。



「桃花さんを連れて来ました」


 ガラッと会議室の扉が開くと、この間、俺を不審者扱いした担任の岩佐先生が桃花と一緒に会議室に入って来た。


 体操着姿の桃花がショボンと小さくなりながら、入って来た。


 髪を後ろでまとめて、ヘアバンドで前髪を上げている所を見ると、助っ人をしていたという女子バスケ部での活動の格好のままなのだろう。


「桃花! お前、何してんだ!」

「お父さ……じゃなかった、稲田さん、落ち着いてください」


 桃花の姿を思わず声を荒げてしまった俺を、岩佐先生がなだめる。


「すいません……」

「まずは、当時の経緯をお話させてください」


 そう言うと、岩佐先生が何故、ケンカが起きたのか、当時の状況を当事者やその様子を見た他の生徒の供述を合わせたものだと前置きした上で語り出した。


 俺と姉弟子はゴクリと唾を飲み込む


 相手生徒への謝罪に補償、桃花への学校からの処分……

 最悪の場合は、将棋連盟にも報告して……


 と、色んな悲観的な言葉が頭の中をグルグル回る。



「端的に申しますと、桃花さんは、先日卒業したバスケ部OBの3年生男子の横暴な振る舞いに腹を立てて、男子生徒の顔面にドロップキックを入れました」




「え……?」



男子生徒⁉ ドロップキック⁉


 予想外の話に、俺は思わずアホっぽく困惑を顔に出してしまった。


「な、なんか予想と違ったね……」


 横で、姉弟子も困惑している。


 正直、俺も女子バスケ部内の陰湿なイジメの果ての、女子同士のキャットファイト的な引っかき合いみたいなケンカを想像していたのだが……


 い、いや、相手が男子だからと言って、暴力を振るっていい事にはならない。

 最近はその辺の男女差みたいな物については厳しいご時世なんだから。


「そ、それで、相手の男子生徒さんのケガは?」

「さいわい頭を打ったりはせず、鼻血を出すだけで済みました。病院に行くようなケガではないです」


「それは不幸中の幸いです。じゃ、じゃあ、先方の男子生徒さん宅に謝罪に行かないと」

「いえ、それは当事者である男子生徒からの強い要望で、絶対に連絡しないでくれとのことです」


「……へ? けど、そういう訳には……」


 てっきり桃花を連れて、相手の家に謝りに行くのは必須だと思っていたのだが。


「マコ。それはその男子生徒君が可哀想だよ。その男子生徒からしたら、年下の女の子にケンカで負けるは、自分が女の子に負けたことを親に知られるはで、男のプライドはズタズタだよ」


 あ~、なるほど、そういうことか。


 思春期男子に、それは辛いなんてもんじゃないな……

 下手したら死ぬまで引きずるクラスの黒歴史になるだろう。


「まぁ、その男子生徒の親御さんには先ほど、電話で話しちゃいましたけどね。本人の意志を汲んで知らぬふりで通すので、そちらの謝罪は結構ですという事でした」


 岩佐先生は苦笑いしながら、内情を話した。


 あ、やっぱりそういうのって結局は親には共有されちゃうんだ……


「そういう事でしたか……」


 俺は、一気に肩の力が抜けて、会議室の椅子にへたり込むように座り込む。


「すいません師匠……ケイちゃんも……心配をおかけしました」


 桃花が、蚊の鳴くような声で謝罪の言葉を口にする。


「謝るのは俺たちにじゃないぞ。蹴っちゃった男子生徒の子には、いずれ機会があったら謝罪しような桃花」


「はい、師匠……」


 日頃と違って、桃花は素直に従う。

 その様子に、俺も安堵して、話を具体的に聞くことにする。


「それで、何でこんな事になったんだ? 説明できるか? 桃花」


「はい……OB風を吹かせて的外れな指導や練習を強制してくる先輩に皆、嫌気が差していて、それなら私がはっきり言ってやるってなって……」


 まだションボリモードなので、ポツリポツリと桃花はいつもよりゆっくりと喋る。


「で、口論になったと?」

「周囲の証言によると、男子OBがかなり酷い暴言を桃花さんに吐いていたようです。将棋をやってる女なんて根暗だ、とか」


 岩佐先生が、桃花が言いにくいであろう事をフォローとして補足してくれる。


「それで、頭に来て手が……じゃなくて足が出たと?」


 桃花が繰り出したのはドロップキックだから、色々と紛らわしい。


「ドロップキックなら上手く決まれば、相手を吹っ飛ばすだけでケガはしないって聞いたことがあったんですけど、カッカしてたせいか、跳躍し過ぎて相手の顔面に……」


 そう言えば、桃花はバスケ部の助っ人を頼まれるくらい、運動神経が良いんだった。

 しかし、成長期の中三男子の顔面の高さまで跳躍してドロップキックできるって、身体能力がえげつないな。


 将棋やマッサージ以外にもそんな才能があったとは……


「ちなみにですけど、将棋の師匠というのは弟子にドロップキックを教えるものなんですか?」


「そんなもん、教える訳ないです」


 岩佐先生のアホっぽい質問に、俺はつい前回の不審者扱いもあってか、塩対応で返す。

 隣で、姉弟子は腹筋を抑えて大笑いしたいのをこらえているのか、小刻みに身体を震わせている。


 俺は気を取り直して、緩みかけた場の空気を引き締め直す。


「桃花。理由はどうあれ、暴力を振るってしまったこと自体は反省しなきゃいけない。たとえ、相手が何を言っていたとしてもだ」


 相手がどんなに酷い侮辱の言葉を投げてきたとしても、手が出てしまってはこちらの負けだ。


 忍耐については、これからスター街道を駆けあがっていくであろう桃花には、より一層、肝に銘じておいてもらわなくてはならない。


「でも……だって……」


 俺から説教を受けながら何か言いたげな桃花が、俺の方をチラチラと見てくる。


「でも、何だ?」

「あのOB……師匠の事まで、冴えない男とか馬鹿にしたから……私、つい……」


 伏し目がちに、フルフルと身体を震わせながらポツポツと喋る桃花に、俺も思わず黙ってしまう。


「アハハッ! 自分の事は我慢できても、大好きな師匠の悪口は我慢ならなかった訳だ。良かったね、マコ。師匠冥利に尽きるじゃん」


 姉弟子が、とうとう堪え切れずに大笑いしながら、俺の背中をバンバンと叩く。


 痛いっす姉弟子。

 説教中なんだから邪魔しないでください。


「オホンッ! 桃花いいか? これから、お前は多くの人の視線を集める立場になるんだ。その中には、どうにかしてお前からの反応を得るために、無茶苦茶なことを言ってくる奴も出てくる。そういうのに反応すると、相手の思う壺だ」


「で、でも、師匠のことを悪し様に言われるのは私、我慢できなくて……」

「それに毎回反応してると、桃花の弱点が知られて、余計に俺が悪く言われるぞ……」


「私の……せいでですか……」


「そうだ。だから、俺のために耐え忍べ」


 何だか説教からはズレてきた気がするが、こう言えば桃花は自分を納得させられるだろう。

 再発防止が図られれば、それでいい。



「はい……師匠ぅ……」



 桃花は、なぜか目をトロンとさせて、ウットリとした顔で俺の言葉を受け入れた。


 ちゃんと説教が響いてくれたようで嬉しいが、何だか桃花の様子が変だな。


「桃花ちゃんメスの顔になってるなぁ~。敬愛する師匠から、俺様な命令されてでゾクゾク来ちゃってるわ、これ」


 え⁉


 そんな、さっきの説教に俺様要素ありました⁉

 ああ、俺のために耐え忍べってくだりか?


 前回の不審者騒動からの、彼氏彼女疑惑が拭いきれていないであろう岩佐先生の視線が、俄かに鋭い物になる。


 違うんです! 別にプレイとかじゃないんです!


「そう言えば、先ほどから気になっていたんですが、こちらの方は?」


 疑惑の目を俺に向けつつ、岩佐先生が姉弟子のことを訊ねる。


「あ、私ですか?」

「そうです。桃花さんのご親族の方ですか?」


 そう言えば、桃花のケンカ騒動で頭がいっぱいだったので、姉弟子の紹介を忘れてしまっていた。


「私は桃花ちゃんのお姉ちゃん……というか伯母みたいなものです」

「伯母……みたいなもの?」


 胡散臭そうな目で岩佐先生が視線で姉弟子を射(い)竦(すく)める


「あ~、ちょっと説明が面倒だな。あ、でも、私もマコの家に半同居で出入りするので、今後ともよろしくお願いします~」


 色々な説明を面倒がった姉弟子が、適当な自己紹介で場を乗り切ろうとする。


 って、マズい! その話はまだ……



「ケイちゃん、師匠の家に住むんですか⁉ なんで!」



 半同居の話は初耳だった桃花が、血相を変えて姉弟子ににじり寄る。


「え~、だってその方がお世話するのに便利じゃない。マコも了承してるし」


「師匠ひどい! 私には同棲なんて無理って言った癖に! ケイちゃんが巨乳だからでしょ⁉ 私の御奉仕だけでは飽きたんですか⁉」


「人に誤解を与えるような言い方はよせ! お前は俺をそんなに社会的に抹殺したいのか!」


 姉弟子の言葉足らずな返答に、桃花は今度は俺に食って掛かる。


 ちなみに桃花の言う俺への御奉仕とは、マッサージのことだ。


 それに、お世話だ、奉仕だと言っても、この場合、姉弟子や桃花が俺にお世話をするというよりも、俺が2人の生活面の面倒を見るという意味だが、今の言い方では別の意味でとらえられるだろうが!


「朴訥そうに見えて、女を侍らせる俺様キングとは……あまりに不埒……これは、緊急家庭訪問をした方が……」


 ああ、ほらもうっ!

 岩佐先生が、完全に誤解しちゃってるじゃん!


 俺は、この混沌とした場で、どこから説明をしたものかと途方に暮れるのであった。

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