第16局 記録係でやらかす弟子
「おはようございます師匠」
「おう、おはよう桃花。姉弟子起こしてきて」
「は~い。ケイちゃん~! 起きて~! 朝~!」
「むにゃ……あと3時間……」
「早く起きないと、師匠の朝ごはん食べれませんよ。今日は、土鍋のお粥です」
「おひょ! それは食べたい」
朝食のメニューを聞いて、現金な姉弟子はすぐに飛び起きてきた。
「ああ~ ちょい二日酔いの身体にお粥の温かさが沁みる~」
「姉弟子、昨日は遅くまで一人飲みしてたんですか」
「いや、学校からの呼び出し対応という大仕事の後には、飲むしかないでしょ。マコが付き合ってくれなかったから」
いや、姉弟子は、昨日はほぼ役に立ってなかったような気がするが。
あの後、桃花と岩佐先生を宥めすかしたり、経緯を説明するのは大変だった。
むしろ、桃花のケンカ騒ぎよりも時間を使ってしまった。
「俺は今日対局なんで、前日には飲みませんよ」
土鍋のフタを開けると、塩で薄く味付けしただけの白いお粥がお目見えする。
このお粥に、梅干しや昆布のつくだ煮、炒ったシラス、温泉卵などのトッピングを好みで乗っけるのが我が家流だ。
「ああ、それで消化が良いお粥なんだね。相変わらずマメだねマコは」
「棋士も脳を酷使するアスリートですから、食事は大事ですよ」
俺が、ちょっと得意げに姉弟子に意識高いアピールをする。
「それが結果に結びついてれば良いんだけどね」
「それを言わんでくださいよ……」
所詮、姉弟子相手に弟弟子の俺がマウントを取るのは難しいか。
「今日は名古屋対局場で対局でしょ?」
マネージャーらしく、手帳を開きながら今日の用事を確認する姉弟子だが、寝起きでボサボサの頭を掻きながら雇い主のスケジュール確認なんて、他所でやったら、そんなマネージャーは一発でクビだろう。
「ええ。
「で、桃花ちゃんは、その記録係と」
「はい。あ、師匠。やっぱりお粥だけじゃ物足りないんで、何か他にないですか?」
お粥を3杯ほど平らげても、まだお腹が満ち足りていない桃花が、何かないか台所を預かる俺に訊ねる。
「冷蔵庫に切り干し大根あるから食べといて」
「はーい」
俺は、ここぞとばかりに、そろそろ食べきっておきたい作り置き総菜を食べるように指示する。
桃花も、食べ物の好き嫌いが無く、なんでも食べるので料理を作る側としては作り甲斐もある。
「けど、もうプロ棋士なのに、桃花ちゃんが記録係やるんだね」
「桃花は中学生の義務教育だし遠方の田舎住まいだったんで、奨励会員時代には考慮してもらって、記録係の仕事はあまりやってこなかったんですよ。けど、今年の1月から名古屋に引っ越してきたし春休み時期だから、今までのノルマ消化として、名古屋対局場の記録係の仕事を入れられていたんです」
「四段に昇段するしないに関わらず、記録係の仕事が前から予定されてたわけか」
得心が行ったという風に、姉弟子が納得する。
プロ棋士の対局には棋譜や残り時間を管理する記録係が就くのだが、記録係は奨励会員が務める。
「じゃあ、行きはマコと桃花ちゃんで一緒に行ってもらえばいいね。近いし」
「は~い♪」
「智将戦の予選の昼休憩は40分しかないから弁当持って行けよ桃花」
「師匠のお手製弁当だ~ 楽しみ~♪」
桃花は、俺と一緒に対局場に行けるという訳でなのか、今日はご機嫌だな。
まぁ、今日の桃花は対局じゃなく記録係なのだから、お気楽気分でも良いか。
「マコ、私の分は?」
「ちゃんと作ってありますよ。食べ終わったら弁当箱はちゃんと洗っておいてくださいよ」
「やった~♪」
生活力が低い姉弟子の分ももちろん作ってある。
2人分も3人分もあまり変わらないしな。
けど、楽をするために姉弟子をマネージャーとして雇ったのに、見方によっては俺の負担が増えているように感じるのは気のせいだろうか?
まぁ、料理を作るのは半分趣味みたいなもので息抜きにもなってるから良いか。
そんな事を思いながら、俺と桃花は姉弟子に見送られて家を後にした。
◇◇◇◆◇◇◇
「負けました」
相手が、駒台に右手をかざし投了を宣言する。
「ありがとうございました」
俺は、正座から深々と頭を下げる。
3時間の持ち時間をまだ残していたが、最後には相手の王に詰みが発生したため、相手はそこから無駄にねばったりはせずに、潔く投了した。
「ふぅ~終わった。桃花の方は、もう帰ってるかな?」
俺は記録係をしている桃花のいる、別の対局の間をこっそりと覗く。
盤面をチラリと見ると、まだまだかかりそうだった。
そして対局者は、いつも最期の瞬間まで粘り切るでお馴染みの、水戸八段だった。
こりゃ、長くなるな……
俺は、諦めて先に帰ろうと思い、奥にいる桃花の方を一瞥するが、桃花は背筋を伸ばして綺麗に正座して、盤面を見つめていた。
「うん、ちゃんと勉強しているようで何よりだ」
奨励会員が何故記録係をするのかというと、プロの棋士の対局を見て勉強をして欲しいからだ。
今の技術なら、記録係を人が担わなくても、センサーなどを用いて棋譜を正確に記録すること自体は可能だ。
だが、目の前でプロ棋士が対局をするというのはどういうことなのか、仕掛けるタイミングは? といったプロ棋士独特の呼吸やテンポは、棋譜をただパソコンで読むだけでは決して得られないものだ。
まぁ、お迎えは姉弟子に任せればいいから俺は先に帰ろうかな。
そう思い、俺は対局の間から離れて、靴を履いてロビーに出る。
「なんじゃこりゃ⁉」
俺は、思わず驚きの声を上げてしまった。
まるで、タイトル戦の勝敗がどうなるのか待機している時のように、記者の人たちがごった返していたのだ。
今日は、タイトル戦のただの一次予選の日だ。
こんなに注目される対局がある日ではないはずだ。
「やぁイナちゃんお疲れ。テレビ観たよ。最近のテレビカメラは凄いね。実物より男前に映ってた」
「お、キョウちゃん。そんな、からかうなよ……で、何? この騒ぎは」
ロビーには気心の知れた新聞記者のキョウちゃんがいた。
なお、テレビに出て、ある程度は顔を世間に知られたハズなのに、相変わらずのモブ顔なせいなのか、俺はスルリと記者の一団の前を素通りできた。
「注目されてるのは桃花ちゃんだよ」
「は? 桃花が? 今日の桃花は対局じゃなくて、ただの記録係だぞ」
キョウちゃんが意外な答えを返してきて、俺は思わず聞き返してしまう。
「ネット中継で桃花ちゃんが記録係してるって、SNSで話題になったみたいでね。一次予選なのに、中継チャンネルの視聴者数がタイトル戦以上だそうだよ」
「はぁ……まぁ確かに、4月からは桃花もプロ棋士になるから、ある意味貴重な映像ではあるのか?」
しかし、記録係なんて、棋士が手を指したら棋譜を記録して、残り時間を読み上げたりするくらいだから、それだけ見てても楽しいのか?
「いや、中々のエンターテイメント動画だよ。切り抜きのショート動画があるから観てみて」
そう言って、キョウちゃんが見せてきた動画には、桃花が記録係として座っている部分だけが切り出されていた。
するとそこには……
コックリ コックリ と睡魔に襲われている弟子の姿が!
画面上に表示されている残り時間を見るに、おそらくは昼食休憩の後だろう。
俺もかつて奨励会員で記録係を務めていた経験があるので解る。
対局者が長考に入ると記録係にはやることが無く、ただただ座っているしかないというヒマさに、昼休憩の後の満腹が合わさって眠くなるのだ。
俺の作った弁当が多すぎたか⁉
桃花はよく食べるからと、ついつい詰め込み過ぎたか。
そうこうしている間に、桃花がガクンッ! と首が落ちるように、机に頭をぶつけかけて、その衝撃で意識を覚醒させた桃花は、慌てて真面目な顔をして正面を見据える。
いや……バッチリ映ってるし、対局してる棋士にもモロバレだから……
「ね? 面白いでしょ」
キョウちゃんが、動画を見せて嬉々として俺の反応を見るキョウちゃんは、何気に意地が悪い。
「そういうことかよ。けど、さっき俺が覗いた時はシャンとしてたんだがな……」
桃花をフォローするわけではないが、さっき俺が自分の対局終わりに覗いた時には、キチッと背筋を伸ばしていて、記録係の本分を真面目に果たしていたように見えた。
「それは、今の中継映像を観ると答えが解るよ」
そう言って、キョウちゃんがスマホと、あとわざわざワイヤレスイヤホンを渡してきた。
スマホは配信を観るのに必要だが、なんでイヤホンまで? と訝しく思いつつ、俺は大人しくイヤホンを耳に装着する。
スマホの配信映像を観ると、桃花は相変わらずキリッと真面目な顔をして記録係の席に座っている。
対局は終盤戦の入口辺りで、手番は水戸八段で長考しているようで、嵐の前の静けさといった様子だ。
棋士の解説もついていない一次予選なので、イヤホンに伝わる音は、静寂と対局者のわずかな衣擦れの音だけだ。
その時だった。
(グゥゥゥゥゥゥゥ……)
静寂と緊迫感が支配していた対局の間の空気を、気の抜けた音が台無しにする。
これは……空腹で腹が鳴った音だろうな……。
そして、その音の発生源である桃花は、正面を真面目な顔で見据えて平静を装っているが、顔を真っ赤にしている。
一次予選では昼食休憩はあるが、夕食休憩は無い。
よって、昼食後は満腹になって眠くなるくらいだったのに、現在は全ての胃の内容物が消化され、空腹に耐えている状態になっているのだ。
配信のコメント欄には、
『ウトウト居眠りしてる美少女の姿って尊い』
『ずっと観てられる』
『お腹の音を必死に誤魔化そうとする飛龍四段可愛すぎ』
『おじさんがお腹いっぱい食べさせてあげたい』
『日頃は水戸八段の粘りにはファンでもウンザリするが、今日ばかりはグッジョブ!』
と、いったコメントが溢れていた。
対局の内容そっちのけで、記録係の桃花の話題オンリーである。
「これは、後で桃花が見たら恥ずかしさで悲鳴上げるだろうな……」
そう言いながら、師匠の俺は、ただライブ配信の視聴者数の数字が増えていくのを見ていることしか出来なかった。
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