第12局 弟子のマネージャー

(ピンポ~ン)


 とあるアパートの扉の前のインターホンを押すが、何も返答が返ってこない。


「あれ? ここで合ってるよな? 建物名も部屋番号も合ってるはずだが……」


 俺は自宅から持ってきた年賀状の住所と、部屋番号札を交互に見やる。


 うん。この部屋で間違いない。


「あの、師匠。私は、今日から春休みです」

「そうだな。学生が羨ましいよ」


 4月からは桃花も中学3年生だ。

 来年度も中学生棋士という肩書は有効な訳だ。


「それで、春休み初日だというのに、私は何でこんな、ボロアパートの前に来ているのでしょうか?」


「おま⁉ これから、その家主にお願いしに行くんだから、ボロとか言うな!」


 確かに、ちょっと築年数が長めな物件に見えるが、1人暮らしなら本来こんなもんなんだぞ。


「お願い……? 何だかよく解らず師匠について来ましたが、先方がご不在なら日を改めてはどうですか?」


「そうだな。しかし、ちゃんと連絡したんだがな……」


 あの殺人的に忙しかったテレビ出演やらの合間を縫って連絡をして、本人からも訪問の日時について『あいあい、了解』と適当ながら返事は来ているのだが。


「じゃあ師匠。用事も無くなったのなら、これから一緒に遊びに行きましょうよ」


 そう言って、桃花が俺の腕に自分の腕を絡める。


「何だ? 近くの公園で遊びたいのか?」

「師匠、私の事いくつだと思ってるんですか⁉ 小学生じゃないんですよ私!」


 子供扱いがご不満だったのか、桃花は頬を膨らませて俺を見上げる。


「昔は、研究会の合間に一緒に縄跳びの練習や、ドッジボールの練習に付き合ったじゃん」

「そりゃ、師匠に弟子入りした頃の私は、まごうことなき小学生でしたから……今は大人なんです。ほら! 今日の格好だって、大人っぽいでしょ?」


 そう言って、桃花は俺の腕から離れて、俺の前でクルッとターンして見せる。


 ブルーの襟付きワンピースに、太い本革の茶色いウエストベルトをつけてアクセントとし、足元はベルトと同じ色に合わせた、少しヒールが上がったパンプスを履いている。


 確かに、この格好は公園を走り回るために適した服装とは言えない。


「最初に弟子入りの挨拶に来た時には、もっと腕白な格好だったんだがな」

「だから小学生の頃の話から離れてくださいってば! もうっ!」


「けど、今日は随分気合が入った格好じゃないか?」


 桃花は背が高いこともあり、割と大人っぽく見られがちなのだが、今日の格好は落ち着いた格好なせいか、余計に中学生には見えない。


 高校生か、下手したら大学生くらいに見える。


「そりゃあ、師匠にデート行くぞって誘われたら、服装だって張り切っちゃいますよ」


「サラッと俺の発言を捏造するな。一緒に出掛けるぞって言っただけだぞ」

「適齢期の男女が一緒に連れだって外出することは、デートと同義です」


「いや、桃花の年齢を適齢期と言っちゃうと、俺がアウト判定喰らうからな」


 ちょこちょこ、この弟子は俺を社会的に抹殺するトラップを仕掛けてくる。

 最近はますます気を抜けんな。


「そんな枝葉の話はどうでもいいです。一緒にお出かけしましょうよ、し~しょう~」


 甘えたような声で、俺の手を掴んでグイグイと引っ張る桃花に、確かにここ数日は忙しくて、桃花に構ってやれなかったなと思い出す。


 本当は、テレビ出演や取材やらで遅れてしまっている研究をやりたいのだが。


「しょうがないな、今日だけだぞ」

「やったー! じゃあ、行きま」



「うるさいなー、もう。人の家の前でイチャイチャしよってからに。よそでやれや」



 ドアがガチャリと開き、Tシャツにジャージのズボンにメガネという出で立ちで、見るからに寝起きという感じの女性が、不機嫌そうな顔で、俺たちがいるアパートの共用廊下に出てきた。


「イチャイチャですって。ほら、師匠。やっぱり私達って、周囲からはそう言う風に見られてるんですよ」


 注意を受けたのに、なぜか嬉しそうにしている桃花を放っておいて、俺は、まだ寝起きで目が開ききっておらず、日光に眩しそうに顔をしかめている女性の方に声を掛ける。


「今、起きたんですか? もう10時ですよ」


 そう言えば、この人、寝起きがすこぶる悪いんだった。


「ああん……?」


 そう言って、寝起きで機嫌の悪そうな女性が、眉間にシワを寄らせながら、俺を睨む。


 ようやく、脳が本格的に起動したのか、それともお日様の下の明るさに目が慣れたのか、ようやく俺の顔に目の焦点が合ってきたようだ。


「おお! マコじゃん! 久しぶり~!」

「痛いですって」


 バンバン! っと、相手が急にテンション上げて背中を平手で叩いて来たので、俺は顔を顰めながら痛みを訴える。


「あの、師匠……この方は? 師匠の事をマコって愛称呼びなんて……親しい方なのですか?」


 桃花が、ハイライトの消えた目をしながら、俺に問いかける。


「ああ私? 私はマコの家族だよ。ふわぁ~~」


 俺が答える前に、大アクビをしながら、目の前の女性が桃花の問いに答える。


「かぞ⁉」


 桃花がまるで石化したように固まる。


「まぁ、ある意味家族みたいなものですかね……ってどうした? 桃花」

「師匠に姉妹はいない……見た目の年齢的に母親の線はない……そうなると……」


 ブツブツと独り言を呟く桃花に、俺の声は届いていないようだ。


 桃花は、自身の優秀な脳みそをフル回転させているようだ。

 棋士は、対局中で難しい局面だと独り言を無意識に呟いたりしがちだが、今の桃花はまさにそんな感じだった。


 そして、その頭の回転の速さゆえに、すぐに答えに辿り着く。



「し……師匠。べ……別居婚なさってたんですか……?」



 カタカタと身体を震わせながら、桃花が振り絞るように俺に問いかけてくる。


「は⁉」


 おい中学生棋士。


 なんだ、そのあさっての方向への結論の帰結は?

 その優秀な脳みそは、将棋以外には使えないポンコツか?


「だって……妙齢の人で家族ってことは、そういう事じゃないですか! ひ……ひどい! 私のことダマして!」


 まるで結婚詐欺にあった被害者の女が、ことが露見した詐欺師の男に詰め寄るように、絶望に充ちた表情で桃花が俺に追いすがる。


「いや、落ち着け桃花。そんなんじゃないから」

「今日、師匠の奥さんの住む家に、わざわざ私を連れてきたのが答えでしょ⁉」


 桃花の半ば叫びのような言葉に、何でもない、うらびれたマンションの共用廊下が、ドロドロの昼ドラの世界と化す。


「だから、桃花。この人は……」

「うぐっ……ぐすっ……私は絶対に諦めない……何があったって私は師匠のお嫁さんになってや……ゔぇ……」


 桃花は、とうとう泣き出してしまった。



 駄目だ、この弟子……

 俺の話を聞かずに、1人で盛り上がってしまっている。


 っていうか、仮に俺に奥さんがいたとしても、なお諦めんのかコイツ……


あね弟子からも説明してくださいよ。姉弟子が変な事言うから、うちの弟子が誤解しちゃったじゃないですか」


「一門は ファ ミリーって意味だったんだがな……っていうか、人の家の前でイチャイチャの後の痴話喧嘩展開とか止めろ。近所迷惑だからさっさと入れ」


 そう言って、俺の姉弟子の、綾瀬 あやせ桂子 けいこが、面倒臭そうに部屋の中に入るように、頭をボリボリと掻きながら俺と桃花を促した。

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