第9局 翌朝はのんびりと思ったら

「おはよ~師匠。あれ? まだパジャマ姿なんて珍しいですね」

「おう……おはよう桃花。なに、ちょっと色々慣れぬ取材対応でな」


 俺は、眠い目を擦りつつキッチンに立った。


 昨日は、大変だった。

 あの後、結局俺と真壁八段はマスコミから質問攻めにあったのだ。


 名古屋への帰りの新幹線の乗車時間ギリギリまで対応する羽目になり、おかげで寝不足だ。

 なお、桃花は帰りの新幹線で、俺の隣の席でグゥグゥ寝ていた。


 それぞれの弟子の普段の様子やら、弟子がプロになって師匠としての心境など、色々な質問が飛んでくるわけだが、真壁八段は俺の横で大号泣していて使い物にならないから、隣にいる俺が必死に翻訳して、答える始末だった。


 北野会長は桃花と棚橋君たちにピッタリ付いてるし……っていうか、お前たちは大人なんだからそれ位、自分たちで何とか さばけという事なのだろうが、慣れぬことなので正直しんどかった。


 俺への質問は、随分若い師匠なんですねという事と、料理お好きなんですか?という質問が多かった。


「さて、新聞やテレビのニュースはどうかな~?」


 桃花がテレビのリモコンを点けて朝のニュース番組をザッピングする。


 昨日は帰宅したのが遅くて、シャワーを浴びてすぐ寝てしまったので、ニュースが何やかんや楽しみだったのだが、


「あ~、どうか……な⁉」



『おお~ん! 本当に良かった!』



 ちょうどチャンネルを変えた局のニュース番組で、昨日の真壁八段が号泣している様が映し出されて、思わずビックリしてしまう。


 こうやって映像で客観的に観ると、壮年で白髪まじりの男性が人目をはばからず号泣している様は中々拝めない場景ではある。


「何これ~ 師匠、全然映ってないじゃん」


 その後、桃花がいくつかチャンネルを回したが、結局俺の映った映像はほぼ無かった。

 あったとしても、真壁八段が号泣してる横で顔半分が見切れている程度だ。


「仕方がない。あれは絵的に強すぎる」


 苦労人の弟子の四段昇段に、我がことのように喜んで人前で大号泣するオッサン師匠の姿が、多くの人の胸を打ったのだろう。


「うわ、SNSのトレンドにも真壁八段が上がってる。昇段した棚橋さんより注目されてる」


「どれどれ」


 桃花が、スマホの画面を俺に見せてくる。

 真壁八段の号泣動画に、他の背景を貼り付けたMAD動画がいくつも上がっていた。


 しかし、棚橋君はとことん運が無いな。


 同期昇段が、初の女子中学生棋士でその影に隠れてしまって、おまけに晴れの昇段者発表の舞台でも師匠に話題を持っていかれるとは。


 とことん、そういう星の下に生まれたという感じだ。

 そういう人、俺は個人的に結構好きなんだけどな。


「もぉ~、折角師匠も世に出るチャンスだったのに。というか、師匠も真壁八段と一緒に大号泣してれば良かったじゃないですか」


 桃花が不満顔でスマホの動画画面を閉じる。


「名俳優じゃないんだから、そんな都合よく涙が出せるか」


「えぇ……私の昇段が嬉しくなかったの師匠? ヒドイ! うぇ~~ん!」

「隣にあんな大号泣してる人がいたら、涙なんて引っ込んじまうよ」


 手で顔を覆って泣き真似をする桃花を尻目に、今日はササッと朝食を済ますために、シリアルを器に盛って牛乳を注ぐ。


「もうちょっと感情を露わにしてくれてもいいのに……」

「大人っていうのは自分をコントロール出来るようになるもんなの。ほら、早く食べないと学校に遅刻するぞ」


「むぅっ!」


 膨れっ面の桃花が、リビングテーブルの椅子に座りつつも抗議を表情で表す。


「しかし、何と言っても昨日の主役は桃花だろ。ほら、新聞も一面じゃないか」


 今朝の朝刊の一面には、桃花が花束を持ってVサインをしている写真と、


『史上初! 全勝での三段リーグ抜けの衝撃!』


 との記事タイトルがデカデカと載っていた。


「これ、記者会見場で師匠に向かってVサインした時の写真ですね」

「いい笑顔してるもんな」


 この笑顔にやられて、また桃花のファンが増えただろう。


「そういや、お父さんお母さんには連絡したのか?」

「はい、昨日会館でちょろっと電話しました。ダイレクトメッセージも送ってくれたみたいだけど、他にもたくさん送られて来てて、埋もれちゃって解んないんです」


 この間の、昇段を決めた時も凄かったようだが、今回はさらに多くのお祝いメッセージが届いているようだ。


「そりゃ大変だな」

「本当の仲良しグループのチャットには、お礼の言葉をかけておいたので、取り敢えずは大丈夫ですかね」


 さすが、生まれた時からスマホやSNSがあった世代だ。


 上手に使いこなしている。


「ん? 俺の方も何件か通知が来てるな」


 俺も何気なくスマホを覗くと、トップに新着のメッセージが来ている旨の通知が出ていた。


「テレビにチラッとですが映ったから、その反響じゃないですか?」


 何だろ?

 棋士仲間からのからかいだろうか?


 そんな軽い気持ちでメッセージアプリを開いた俺だったが、スマホを持ったまま固まってしまう。


「どうしたんです? 師匠」


 シリアルを食べ終えて、足りなかったのか結局、トーストを焼きだした桃花が俺に声をかける。


「桃花……落ち着いて聞いてくれ」

「はい」


「俺、今日のお昼のテレビのワイドショーに出演するんだって」

「あらあら。師匠もようやく本格的にテレビデビューですか」


 桃花は大して驚きもせずに、トーストに塗るジャムをイチゴにするかマーマレードにするかを真剣に吟味している。


 師匠の一大事に、なんでこんな落ち着いてるの⁉ この弟子は。


「今朝依頼があって、今日のお昼にはテレビに出演⁉ 何だこのバグったスケジュールは!」


「ホットなニュースですから出来るだけ迅速にってことじゃないですか? ほら、他にも他局の夕方のニュース出演とかも入ってますよ。後は、インタビュー収録とか」


 混乱する俺に代わり、桃花が俺のスマホに届いたメッセージを開いていく。

 どうやら1局だけではなく、他にも取材やらテレビの出演の依頼が来ているようだ。


「なんで、桃花じゃなくて俺なんだ⁉」


「まだ私が中学生だから、将棋に直接関係ないテレビ出演は一先ずNGってことですかね。その辺の依頼は連盟がシャットアウトして、代わりに師匠に回しておくからって、昨日、北野会長が仰ってました。テレビ局の方のメッセージにも、連盟からこの連絡先を紹介されましたって書いてありますね」


「だったら、俺の方にちゃんと言っとけよ、あのハゲ親父!」


 あのクソ会長め!

 俺が断ると思って、黙ってやがったな!


 俺の慟哭も虚しく、突如電話が鳴り出した。


 知らない番号だ。

 恐らくは、今日のテレビ出演に関しての打合せについてのテレビ局からの電話だろう。



「出たくねぇ~」



 このまま、なし崩しになるのが目に見えているのだが、連盟が認めている以上仕方がない……


 まだ朝だというのに、俺はすでに、相手に首を差し出すための投了前の形作りをするような重い心持ちで、スマホの応答ボタンをタップした。

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