第8局 全勝した弟子の笑顔の先

「三段リーグで全勝って凄いんですか? 何だか、周囲の記者が騒いでますけど」

「ええ。今までの歴代の名人や中学生棋士も為し得ていないことです」


「とは言え、今日は最終日ですから既に今期は昇段は無理だって人もいますよね? 桃花さんの相手が、消化試合だからと手を抜いたりは……」


「あり得ません。三段リーグで今期下位の子たちは、勝率が一定値を下回ると降格点がつくので、必死に今日の勝利を取りにきます。来期の残留自体は決まっている子たちも、リーグ内順位を一つでも上げることを目標にします。来期、もし同じ勝敗数で並んだら、最後はリーグ内順位で昇段か否かが決まりますから、今日の1勝がプロになれるか否かを決めるかもしれない対局かもしれないので、一局も負けて良い無駄な対局なんてありません」


「なるほど。ご丁寧に解説ありがとうございました。記事を書く際の参考にさせていただきます」


「いえいえ。それでは」


 礼を言って記者の一団に戻っていく、記者を見送って、俺は一息つく。


「お疲れ、イナちゃん」

「おう、キョウちゃん。この間の関西将棋会館ぶりだな」


 入れ違いに、馴染みの記者のキョウちゃんが俺に話しかけてくる。


「普段は将棋に欠片も興味のない週刊誌記者さんへの解説、大変だね」

「間違ったことを書かれるより、今、丁寧に説明しておいた方が良いからな」


 喋り倒しで乾いた喉を、ペットボトルのお茶で潤す。


「まぁ、週刊誌さんは、可愛い桃花ちゃんの写真をデカデカと載せるだろうから、あんまり記事本文のスペースは無いだろうけどね」


「やっかんでるの? キョウちゃん」

「そりゃ、普段は将棋担当なんて紙面の片隅だからね。こんな賑わいを体験するのは初めてだよ。イナちゃんだって日頃は記者に愛想振りまかないのに」


「会長からの命令だよ。桃花の師匠として、今のうちに記者連中に顔を売っておけってさ」


 昼食休憩を終え、奨励会三段リーグの最終局がはじまり、現在時刻は夕方4時頃。


 対局の結果が出るまで会館の中や外をブラブラしていようかと思ったのだが、『旅費払ってるんだからちゃんと働け』と北野会長に言われて、記者室に放り込まれたのだ。


 奨励会員は、まだプロになる前の言わば候補生なので、その対局の棋譜は公開されないし、当然対局の中継も行われない。


 故に、対局の勝負がついてからでなければ、結果を知ることは出来ない。


 今、桃花が優勢なのか否かといった趨勢はこちらには届かない。


 新情報も入ってこず、待機で時間を持て余し気味の報道陣に、棋士の俺が色々と質問に答えるという寸法だ。


「イナちゃん、そろそろかな?」

「解らんけど、桃花が勝つだろ」


「それは師匠としての願望?」

「いや、一棋士として、桃花の棋力を推し量った結果予想だ。あれは、ただの奨励会員では倒せない」


 会長は、命を懸けてくる相手の気迫や殺気ということに言及していたが、気合や根性でどうにかならない差という物もまた、勝負の世界には現実にある。


 ましてや、殺気や怖れという類の物は、桃花が対局中に纏っている物こそが異様そのものであり、相手に吞まれないどころか相手を塗りつぶす濃さを持っている。


「へぇ~」

「研究会のV《 ブイ》S《 エス》で誰よりも多く、俺は桃花と対局したからな」


「師匠として、手ほどきしてあげてる訳だ」

「いや、大事な研究パートナーだよ。随分前からな」


「へぇ。弟子とは指さない師匠も多いのに、ホント珍しいね」

「ま……まぁな」


 いや、正直、VSでは既に俺と桃花は互角か早晩、自分では歯が立たなくなるだろうというのが俺の見立てなんだがな。


 この事は、流石に気心知れたキョウちゃんにも、まだ言う気にはならない。

 ちっぽけな師匠としてのか、或いは棋士としてのプライドが働いているからなのか。


 それでも、桃花は嬉しそうに俺と練習対局をしようと、事あるごとに誘ってくれるんだよな。


「お! 結果が来たか」


 連盟事務局の人が、足早に記者室の中に入って来た。


 そして、記者室の前面にある大きなホワイトボードに貼られた勝ち星表に〇×を書き込む。



「「「「「おおおおおおおおお!」」」」」



 記者から大きなどよめきが起きた。


 三段リーグ勝ち星表は、今日のためにわざわざ今朝時点の成績順に組みかえて、大判の用紙に出力された物だ。


 その一番上にある名前の最後の欄に、力強い丸が描かれた。


 棋界の歴史上初。


 地獄の奨励会三段リーグを無傷の全勝で、しかも一期で勝ち抜いた棋士が誕生した瞬間だった。




◇◇◇◆◇◇◇




「うわ……これは、前回より人が多いな」


 集まった報道陣の多さに、俺は驚嘆した。


前回の桃花が四段昇段を決めた時の対局後の囲み取材時に免疫が出来ていたと思ったが、認識が甘かったか。


「前回、中継逃したニュース番組さんは、局の上層部から大目玉くらったみたいだよ」

「まぁ、リーグ最終日前に昇段が決まることは少ないからな。他の奨励会員の勝ち負けの兼ね合いもあるし」


「なにせ中学生棋士だからね。今後、彼女が名人やタイトルを取る可能性はとても高い。だから、その都度ニュース映像で使うであろう、プロ棋士になった瞬間の映像を持っていない局は、未来の報道にも響くってわけさ」



 キョウちゃんから内幕を聞いたが、どうりでマスコミの皆さんが殺気立ってるわけだ。

 で、今回はこの騒ぎか。


 女性のプロ棋士はすでに誕生しているが、女性で中学生プロ棋士なのは史上初だ。


 その歴史に残る記録に、史上初の三段リーグ全勝一期抜けの新記録が、花を添える。

 マスコミの人も、今日の見出しには困らなくて良いだろうな。


 と、北野会長が先陣を切る形で記者室に入って来た。

 その後ろから、見慣れたセーラー服が部屋に一歩を踏み入れた。



(パシャパシャ! パシャシャッ‼)



 スチールカメラのフラッシュが暴力的に焚かれる真っ白な世界の中を、桃花が口元に微笑みをたたえながら壇上へ上がる。


 壇上の所定の位置で立ち、正面を見据えた所で、フラッシュとシャッター音がより激しさを増す。


 昨日、宿泊先のホテルでピカピカに磨いておいたローファーに、卸したてのソックス、前夜にアイロンをかけたスカートとセーラー服の白襟。


 激闘の奨励会三段リーグ最終局を終えた直後であることを全く感じさせない、整ったサラサラの黒髪が、カメラのフラッシュによる光の世界で光沢を発している。


「不思議なもんだな……」


 そこにいるのは、昨夜俺が整え身支度を手伝った弟子がいるのだが、まるで別世界の人間のように見えた。


 と、ここで桃花が身体の向きを、向かって右側に傾ける。


 撮影する人たちへの配慮だろう。

 既に、撮られることに慣れだしたな、この弟子は。

まるでアイドルみたいだ。後でからかってやろう。


 そんなしょうもない事を考えていると、記者室右奥の壁に寄り掛かって様子を見ていた俺の姿を、桃花が見つけたようで、目が合った。



『師匠、私やったよ! ピース!」



 そんな心の声が聞こえてきそうな飛び切りの笑顔で、桃花がピースサインを俺の方へ向けた。


 そこには、無邪気な等身大の桃花の少女らしい笑顔があった。


「飛龍桃花新四段! こちらにもお願いします!」


 向かって左側の報道陣が慌てて、桃花へリクエストするのに、桃花は笑顔で応じる。

 多分だが、アイドルや女優のデビュー時にもこんな熱気を帯びないのでは? と思うような光景だった。


 その煌びやかな横に、もう一人の新四段が所在なさげに立っていた。



(色々とゴメンな棚橋君……四段昇段おめでとう)



 俺は心の中で、棚橋くんに謝りつつ、ひっそりとお祝いした。


 あの新幹線で闇のオーラを纏っていた棚橋君だが、今日の2局を制し、他の暫定2位と3位勢が軒並み総崩れになって、見事2位で四段昇段となった。


 今期の3位は次点持ちではなかったため、今期での四段昇段者は桃花と棚橋君の2名だ。


 まだ昇段の実感が湧かないままなのか、棚橋君は花束を持ったまま呆けた顔をしている。


「新四段お二方に質問です!」


 写真撮影タイムが終わり、報道陣からの質問タイムに移行された。


「今、この喜びを誰に伝えたいですか?」


「応援してくれた家族と師匠です」

「僕も同じく、苦労をかけた家族と師匠です」


 定番の質問とはいえ、新四段の2人は奇しくも同じ答えだった。

 とは言え、感無量さは棚橋君の方が上だろう。


「良かったですね、真壁 まかべ八段」

「うぐぅ……! うぅ……」


 俺は、隣で嗚咽を漏らす、棚橋君の師匠の真壁八段へポケットティッシュを袋ごと渡した。


 袋ごと渡したのは、涙と鼻水でグチャグチャなので、とても1枚では足りないだろうと思ったからだ。


「ありがとうな、稲田くん。びむぅ~‼」


 ティッシュを数枚重ねにして盛大に鼻を噛む真壁八段だったが、幸いにもマスコミの皆さんの喧騒のおかげか気付かれずにいる。


「しかし、真壁師匠も東京まで来られてたんですね。こっちで何かお仕事でもあったんですか?」


「いやな……ワシも最初は家で大人しゅうしとろ思てたんやけど、午前の三段リーグの対局結果見て、信也 しんやが勝って昇段の可能性ありってなったら、居ても立っても居られなくなって、気付いたら東京行きの新幹線に乗っとったわ」


 真壁八段が、薄くなった頭髪を撫でつけつつ顛末を話す。

 ようやく、苦労人の弟子のプロ入りの喜びと感動から、気分が落ち着いてきたようだ。


「いい師匠してますね」

「稲田君かて、一緒に名古屋から桃花ちゃんと来とるやん」


「僕は連盟から保護者役で業務として呼ばれてるので。旅費も連盟から出てますし」

「何やそれ、ずっこいやん! ワシも連盟に言って、何とか新幹線代出ないか聞かな!」


「折角の美しい師弟愛エピソードが台無しになるから、それは止めた方がいいんじゃないですかね……」


 苦笑しながら、俺は再び本日の主役の新四段の2人を見やった。


 マスコミからの質問は、一応新四段2人へ向けてという体なのだが、その質問内容が……


『学校では何部に入ってるの?』

「今の中学ではバスケ部の助っ人をやってます」

「僕はもう学生ではないので……学生当時も部活は何も……」


『好きな食べ物は何が好きですか?』

「師匠が作ってくれる手作りプリンです」

「ラーメン」


 いや、これ端から桃花向けの質問でしょ。

 棚橋君が可哀想。


 っていうか、桃花の奴も少し猫被ってないか?


『師匠の作った?』

「はい。ちょうど、そこに師匠が」

「あれ? 真壁師匠も」


 桃花が指さした、俺と真壁八段がいる記者会見室後方に、一斉に記者たちが振り向く。


 思わぬ話題から師匠の話題が出たため、記者会見室から逃げ遅れた俺と真壁八段に、記者たちの視線が集中する。


「稲田師匠! 真壁師匠! 一言お願いしま~す!」


 正直、『誰?』となっている一般部門の記者たちを尻目に、日頃の経験値の差で棋士の顔と名前が頭に入っている将棋専門の記者たちが、いの一番に俺たちの元に駆け寄る。


 あ、キョウちゃんの奴。ちゃっかり、最前列を陣取ってる。


「手作りのプリンって何ですか? 稲田師匠ご自身が、お弟子さんの桃花新四段に作ってあげてるんですか?」

「真壁師匠、お弟子さんの棚橋新四段になんと声をかけてあげたいですか?」


「ええと……」


 偉そうに、後方の壁に寄り掛かって弟子の桃花を見守っていたというのに、いざ自分にこの数のカメラが向けられるとドギマギしてしまう。


 ここは、年長者の真壁八段に助けを求めて……


 と、俺は傍らにいる真壁八段を見やるが、


「う……うおーん……!」


 記者から、苦労人だった弟子の棚橋君のことを聞かれて、またしても感無量モードに入っているようだ。


 駄目だ。


 これは使い物にならない……


 俺は、投了前のように天を仰いだ。


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