第6局 女子中学生なんて、まだまだ子供なんです!
「準備出来たか桃花~?」
「ちょっと待ってください師匠! 前髪決めたら行けます!」
土曜日の朝。
今日は学校は休みだが、桃花は学校の制服を着ている。
俺もビッチリとスーツを着ている。
「荷物多いな。東京へ1泊するだけだろ」
「乙女には色々殿方とは違って備える物があるんです」
俺が手持ちのバッグと小さめな旅行カバンなのに比べて、桃花は小型のスーツケースをゴロゴロと転がしている。
「プロ棋士になったら、対局やイベントで長距離や泊りの移動も多くなるから、荷物は最小限にした方が疲れないぞ。その内、身につくだろうが」
「はい師匠」
師匠っぽくアドバイスをする俺の横で、嬉しそうにニコニコと歩く桃花の表情には一切緊張や気負いは全く見られなかった。
「明日が三段リーグ最終日とは思えない落ち着きぶりだな」
「師匠がプロ入りを決めた時はどうだったんですか?」
「前泊のための移動の時点で、緊張で吐きそうだった……」
今日は、桃花が所属する三段リーグの最終日の前日。
この最終日は、三段リーグに所属する奨励会員全員が東京将棋会館で最終対局を行うので、東海地方在住の桃花は前日の内に東京へ移動して、ホテルで一泊する。
では、なぜ俺も今、桃花と一緒に東京へ向かう新幹線の駅へ向かっているかというと、連盟から師匠として同行するよう指示があったのだ。
「あ、急に不安になってきました……新幹線の隣の席では、手をギュッと握ってて下さい師匠」
「いや、お前、明日の対局で2局とも負けようが、四段昇段確定してるから緊張は皆無だって言ってただろうが」
「ちっ……」
桃花が舌打ちしていると、新幹線の駅に到着した。
改札を抜けて、切符に表示された座席番号の指定席に座り、ようやく落ち着く。
「東京駅の到着時刻は15時くらいだな。チェックインが16時からだから、夕飯はホテル周辺で外食で済ますか」
「師匠、お菓子食べて良いですか?」
「どうぞ~ 制服汚すなよ」
まだ新幹線の発車前だというのに、桃花は、先ほど駅の売店で俺に買ってもらった、好物のチョコのお菓子の袋を開けた。
嬉しそうにお菓子を頬張っている姿は、歳相応の女子中学生だ。
俺も明日の用事は自身の対局ではないので、俺一人の移動なら新幹線の車窓の景色を眺めながら、売店で買った缶ビールで一杯と行きたいのだが、桃花が隣にいるし止めておこう。
「あ……」
何かに気付いたという風に、桃花がお菓子を食べる手を止めて独り言を呟いた。
「どうした桃花? 忘れ物か?」
「いえ、違います。あの3列先の通路側に座っている人、同じ関西将棋連盟所属の三段の人です。ええと確か……
桃花が声のトーンを落として、俺にだけ聞こえるように話す。
俺も桃花の言われた前方の座席の方を見やる。
後方の座席のこちらからは、当然後姿しか見えない。
見たところ、20歳は優に過ぎている男性だ。
身長は高めでひょろ長い体型で、髪は構っていないせいかボサボサだ。
(あ~、こりゃまた、如何にもダークサイドに堕ちてる感じの……)
後姿からでも、暗く黒いオーラが漏れ出ている。
「明日の対局相手じゃないですし、挨拶した方が良いでしょうか?」
「いや、止めておいた方が良い」
すでに四段昇段の2人の枠の内、1人は桃花で確定なのだ。
そんなお気楽な身分の奴に挨拶されても、向こうは桃花にマイナス感情しか抱かないだろう。
「下車する時には、相手の動向を見て反対方向のドアから出ましょうか」
「良い心遣いだ」
「私はもう大人ですから」
桃花がフフンッ! と俺の隣の席で胸を張る
「こういう心くばりは重要だからな。その内、俺が同行なんて出来なくなるんだし、これなら安心かな」
「何でですか⁉ 私、まだいたいけな女子中学生ですよ⁉ 1人で新幹線になんて乗れません! 女子中学生なんて、まだまだ子供なんですから!」
おい。
さっき大人なんですからと胸を張ってたのに、幼児退行するのが早すぎるだろ。
「まぁ、確かに未成年の女の子を1人で長距離移動させたり、1人でホテルに泊まらせるのはマズい気がするな」
「そうですよ師匠! だから……」
「今度連盟を通して、桃花の身の回りの世話をしてくれる人の斡旋を頼んでみるか」
「師匠、そうじゃなくて~」
いや、実際これは結構な問題なのだ。
いつまでも桃花の付き人よろしく、師匠の俺が遠方での対局の度についていく訳にはいかない。
今回の移動は連盟からの指示なので、ちゃんと俺の往復の新幹線代とホテル代が連盟から支払われるが、そうでないただの桃花の対局まで俺が同行していたら、旅費で俺が破産する。
それに、俺だってプロ棋士なんだから、対局などの予定が被れば桃花に同行できない日が必ず出てくる。
そういう意味では、桃花のマネジャーみたいな人が必要だ。
出来れば、将棋界のことに詳しい人で同じ女性がいいな。
そうすると……
俺の頭の中で、とある人物の顔が浮かんだ。
「あの~、ひょっとして飛龍桃花さんですか?」
俺の思考は、新幹線の通路を通っている際に、突如話しかけてきたご婦人により中断された。
「はい。そうです」
「わ~! ニュースで見ました! 初の女性中学生棋士だって! 応援してます! 握手してください!」
「ありがとうございます」
桃花が、にこやかな顔で座席から立ち上がって握手に応じる。
しっかり外向け用のスイッチを入れている。
「や~! テレビで見るより可愛い~」
握手してもらったご婦人は大層盛り上がる。
桃花は、可愛いと言われて少し照れくさそうに笑う。
「え、やっぱそうなのあれ? 見た事ある制服だなって思ってたけど」
「なになに? 誰? 芸能人?」
「ほら、将棋の女子中学生でプロになった。この間、ニュースでやってたでしょ?」
「あ~、あの」
ご婦人の甲高い声に触発され、周りの他の乗客もザワザワ、チラチラこちらを見てくる。
やっぱりテレビの力って凄いな。
既に有名人だ。
その後、ご婦人が呼び水になったのか、何人かが桃花に握手や写真を求めてきたので、その対応に追われることになった。
「何だか騒がせちゃいましたね。やっぱり制服だと目立っちゃいますかね?」
ようやくファン対応が一段落したところで、桃花がセーラー服の白襟をつまんでみせながら言った。
桃花が今通っている学校の制服は、襟が大きい、いわゆる名古屋襟タイプのセーラー服だ。
関東でも関西でも、まず見かけないタイプの制服なので、結構目立つのだ。
「制服やスーツを畳んで持っていくと荷物がかさ張るから、行きと帰りに着ていくっていうのが俺的旅行術なんだが、次回からはそうした方が良いな」
今回は、比較的マナーの良いファンだったが、中には変な人もいる。
出来る限り、気付かれないに越したことは無いだろう。
「はい。でも、師匠と一緒なら、ちゃんと師匠が護ってくれますよね?」
「これでも男だからな。体力には自信があるし」
そう言って、俺は上腕二頭筋で力こぶを作って見せる。
日頃、ランニングとスポーツジムで鍛えているのだ。
「ふむ……師匠って細身の割に筋肉質ですよね。脱ぐと凄いタイプと見ました」
「師匠の身体を、対局中のような真剣な顔でマジマジと見るな……」
自分で見せておいて勝手だが、桃花に凝視されて恥ずかしくなってしまった。
巨乳の女の子が周りからジロジロ見られる気持ちが、少し理解できた気がした。
「あの……桃花新四段! 写真いいですか?」
「は~い」
またしても、新幹線の乗客から声を掛けられる。
意を決してという感じで、青年が声を掛けてきた。
こりゃ、本格的に移動中は変装が必要なんじゃないか?
「じゃあ、私が撮ります。通路なのでササッと撮影しちゃいましょう」
周りのお客さんの迷惑にならないように早めに切り上げたいので、俺が撮影係を買って出る。
「ありがとうございます。ええと……桃花新四段のお父様ですか?」
「おと……⁉」
青年の問いかけに、俺は思わず撮影用の彼のスマホを受け取った姿勢のまま、石のように固まる。
俺、まだ20代なんですけど⁉
中学生の娘がいる歳じゃないよ!
この間の、桃花の担任教師の岩佐先生の時と言い、あれか?
俺の顔が年齢より老けて見えるとか、そういう事か⁉
あとこの青年、桃花のことを「新四段」って言ってるから、ある程度将棋の事は知ってるんじゃないのか?
「この方は、お父さんじゃなくて私の師匠ですよ。し・しょ・う! 稲田六段です」
俺の腕に自分の腕を絡ませながら、桃花がニッコリと青年に笑いかける。
あ、この話し方、桃花の奴、少し怒ってるな……
「あ…… あ~! 稲田六段ですか⁉ す、すみません! お名前は存じ上げていたんですが、お顔の方はちょっと知らなくて……」
申し訳なさそうに頭を搔きつつ、青年は丁寧な言葉づかいで俺の傷口に塩を塗り込む。
まぁ、タイトル戦に出た事なんて無いしね俺……
これといった特徴のある顔じゃないし……
もういいや……早く写真を撮ってあげて終わりにしよう。
「じゃあ撮りますよ~」
俺は青年のスマホを構えると、青年が嬉しそうに桃花の横に並び立つ。
カシャッ! とスマホのカメラアプリのシャッター音が鳴る。
「念のため、もう一枚撮りますよ~ はい……」
と俺が、先に撮った写真がブレているといけないので、念のためのもう1枚を撮ろうとすると、不意に、桃花が両目をつむって……
『あっかんべぇ~~!』
と舌を出した。
それを見て俺は思わず吹き出しかけるが、横にいる青年は気付かなかったようだ。
「ありがとうございました~ 三段リーグ最終日、頑張ってください」
そう言って、青年はホクホク顔で自分の席へ戻って行った。
後で、撮った写真見たら驚くだろうな……
「桃花、なんであんなイタズラを?」
俺たちも座席に座ったところで、桃花に先ほどのあっかんべぇの理由について訊ねた。
「だって師匠のことディスるから……でも、将棋ファンの人だから文句言えないから、せめてもの抵抗の証として……」
桃花がシュンとした顔でうつむく。
「それで、あっかんべぇか。ったく……お前は……」
そう言って、俺は桃花の頭を撫でて、別に怒ってるわけじゃないよということを言外に伝える。
「ん……」
喉を撫でられてご機嫌な猫のように、恍惚の表情を浮かべる桃花を眺めていると、『間もなく東京駅~』という車内アナウンスが流れた。
「さて、下車の準備だ」
「もうちょっとお願いします師匠~ あと10分延長で~ 追加料金払うから~」
「怪しい夜のお店か! 東京駅で終点なんだから、清掃の人に迷惑になるから早く降りるぞ」
そう言って、網棚から荷物を降ろそうとした所で視線を感じる。
荷物を降ろしがてら、さりげなく視線の方向に目をやると、件の三段リーグ所属のボサボサ頭の棚橋君だった。
(あちゃ……彼の存在をすっかり忘れてた。さっきのファンと桃花の大騒ぎも当然、気付いてたよな……悪いことしたな)
と思いながらも、三段リーグでまさに人生をかけて戦う前夜の彼に、桃花の師匠として声を掛けるのも悪いかと思い、彼の視線には気付かないふりをして、桃花の手を引っ張って、俺と桃花は東京へ降り立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます